| 皆無 |
「――以上で一万八千四百円いただきます」 (気紛れにしては結構な値段だな) 内心で苦笑しながら、直江信綱は財布から紙幣を取り出した。 「では、これで」 「はい、二万円からお預かりします」 釣銭と共に紙の手提げ袋を受取り、その大きさと重さにまた苦笑する。 (システム手帳の用紙を買いに来ただけなんだが、な) 自分にとって、文房具店というのは鬼門なのかもしれない。 またしても増やしてしまったコレクションに、目を落としていたのが悪かったのだろう。 「あ……っ」 小さな声が聞こえたのと、左手に軽い衝撃を受けたのはほぼ同時だった。 一瞬の間があって、カシャン、という金属音とともに何本かの色鉛筆が袋から床へと脱走する。 「す、すみません!」 「いえ、こちらこそ」 ぶつかった相手が床に這いつくばるようにして色鉛筆に手を伸ばすのに、慌てて直江も膝を着く。 「考え事をしていた私が悪いんですから、気にしなくていいんですよ。自分で拾いますし」 「そういうわけには……あっ、芯が折れちまってる」 芯先が欠けた色鉛筆を見て、端正な顔を顰める少年に、直江は場合も忘れて見惚れてしまった。 「お客様、大丈夫ですか?」 慌てて飛んできた店員に、ようやく我に返る。 「大丈夫です。――すみませんが、紙袋をもう一枚頂けますか?」 直江は店員に破れてしまった紙袋の代わりを貰うと、買ったばかりの用紙とA4サイズの分厚い缶を詰め直した。その、色鉛筆セットとしては非常識なほどの缶の大きさを見て、少年がますます顔色を悪くする。 「ほんとにすいません……あの、全部は無理だけど、芯の折れたヤツだけでも弁償させてください」 「弁償なんてとんでもない。あなたこそ、お怪我はありませんか?」 ふるふると首を振った相手は、あくまでもじっと紙袋に視線を注いでいる。モノが『120色の水彩色鉛筆セット』だと知って、直江の仕事道具だと思い込んだのかも知れない。 (まあ、当然といえば当然か) 彼は見たところまだ学生のようだし、身なりも清潔だが質素なものだ。ただの酔狂で何万もするようなモノを買い込むなんて、理解の範疇を超えているのだろう。 直江はすこし考えてから、できるだけ穏やかな笑顔を浮かべた。 「では、弁償の代わりにコーヒーを一杯奢っていただけますか? ちょうど飲みたいと思っていたところなんです」 今時珍しい漆黒の髪と、同じ色の瞳をした相手は驚いたように目を瞠り――やがて、ためらいがちに頷いた。 「画材のコレクター?」 十分後。 物静かな雰囲気と薫り高いコーヒーにようやく落ち着きを取り戻していた彼――仰木高耶はパチクリと瞬きを繰り返した。 「はい、お恥ずかしい話なのですが、この手のものを見るとどうしても買わずにはいられなくて……」 『これがあれば――これさえあれば、誰かに何かを伝えられるかもしれない』 直江がそんな衝動を抑えられずに買い込んだものは、クレヨン、クーピー、絵手紙入門セット、パステル、日本の伝統色が詰まったボールペンなど、多岐に渡る。コレクションといえば聞こえがいいが、要は買ったまま死蔵しているだけに過ぎない。 「でも画材を買うのは好きなんですが絵心が皆無でして。この色鉛筆も、使う予定はないんです」 この店に連れてきたのはそれを説明したかっただけで、あなたに弁償させるつもりも奢らせるつもりはありませんと告げると、高耶は複雑な表情で黙り込んでしまった。 「――高耶さん?」 怒らせてしまいましたかとの問いに、高耶は小さく頭を振った。 「いや、買ったものをどうしようとあんた……じゃないや、その、直江さん、の」 「直江、でいいですよ」 とってつけたような敬称に、自然と笑みが洩れる。 楽に喋れるように促すと、高耶はあからさまに肩の力を抜いた。 「とにかく、直江の自由だと思うんだけどさ。やっぱ、もったいないなぁ、と思って」 チラリと色鉛筆の方へ向けられた瞳には、羨望の色が濃い。 「もしかして、高耶さんは絵を描かれるんですか?」 「ああ。ヘタの横好きだけどな」 鋭い印象の黒い瞳が和んだとき、直江の胸にこれまでで最強の衝動が込み上げた。 「なら、この色鉛筆を貰ってくれませんか?」 「――へ?」 もっと、このひとを見ていたい。 もっと、ずっと、色々な表情を見てみたい。 衝動のままに開いた口は、それでも滑らかに回ってくれた。 「このまま私が持っていても、この色鉛筆は活用される確率が皆無なんです。そんな目に遭わせるのなら、絵を描く方に貰って頂いた方が幸せだと思うので」 「え、と……でも、こんな高いもん貰うわけには……」 「ぶつかったお詫びと、お茶に付き合ってくださったお礼です」 「いや、店でぶつかったのはオレの方だし」 お笑い芸人のようにツッコミを入れてから、高耶はそうじゃなくて、と息をついた。 「皆無だなんて決め付けないでさ、直江が使えばいいだろ。色鉛筆だけじゃなくて、他の画材も」 「そうしたいのは山々なんですが、なにしろ絵心が皆無でして」 「だ〜〜〜〜っ! もうっ、カイムカイムってやかましい!! フォークダンスの曲名かっつーの!」 『それをいうならマイムマイムでしょう』 と直江がツッコム前に、店内の客から一斉に 『やかましいのはお前だろ』 との視線ツッコミが飛んできた。 ううう……と顔を紅くして俯いた高耶の代わりに、直江はどこへともなく頭を下げて謝罪する。 店内に静かなざわめきが戻る頃、高耶はようやく顔をあげた。 「……巧いのだけが絵じゃないんだから、好きに描けばいいじゃん。どうしても絵は嫌だってんなら、文字でもいいわけだし。絵手紙セットもあるんなら、そっから始めろよ」 「なるほど、絵手紙ですか」 それは名案ですねと頷いて、直江は内心ほくそ笑みながらシステム手帳を取り出した。 「じゃあ、高耶さんの住所を教えてください」 「――はあ?」 「住所ですよ。それが判らないと、絵手紙が出せないでしょう?」 押し付けた手帳を反射的に受取ってから、高耶は慌てて押し戻そうとしてきた。 「なんでオレに出さなきゃなんねぇんだよ。おまえの友達とか彼女とか親兄弟とか、出す相手はたくさんいるだろうが」 「生憎と、ヘタな絵でも受取ってくれるような寛大な人間に心当たりはありません」 「だからって……」 「それとも、高耶さんはこの色鉛筆を始めとする画材たちを見捨てるんですか?」 にっこり笑って脅してみると、高耶はギロリと睨みつけてきた。 その表情がまた凛々しくて、直江はすこし得した気分になる。 「……おまえ、見かけに反して根性曲がってねぇか?」 自分のものでもない画材たちに絆されて、高耶はガリガリと住所を書きつけた。アドレス欄に促されるまま、自宅の電話と携帯電話の番号まで記入している。 「高耶さんは見かけよりもずっと優しいですよね。もちろん、見かけもとても素敵ですが」 「……いっこ訂正。やっぱ文字は書いてくるな。読むたびに鳥肌立ちそうだ」 「ひどいですねぇ」 こうして高耶の住所を手に入れた直江は、翌日から嬉々として絵手紙を出し始めた。 むろん、『文字は書いてくるな』という高耶の意見を聞き入れる訳などさらさらなく。 さらに言えば、絵手紙だけでのお付き合いのつもりも皆無だったわけで。 結局、直江の画材コレクションの殆どは高耶が使うようになるのだが、それはまた別のハナシ。 |
| 2005.2.26 この小説へのご意見・ご感想は掲示板かメールでどうぞ HOMEへ 100題へ |