会長ヒストリー(お笑いバンド編・不完全)1994〜1995

1994/6
「飯田キバの弟の友達で打ち込みやってる奴」
・T.A.A.O(田所将志はオーストラリアでアボリジニーと大喧嘩)
友人の兄のオマケとしてデビュー。代表曲はその後もバ−ジョンをかえ
何度も演奏されることになる。

1994/6〜
「銅雷門」
 さとうズグ、鈴木、松本ツモマツ
「人生」のコピーバンドとして結成。
当初は3人だが、後に大所帯となる。鈴木は現在消息不明。
松本ツモマツは親父の仕事の都合でポーランドへ。

1994/7
「をながどり」
 さとうズグ、鈴木
オリジナルをやりたくて結成。
代表曲は「ハンカチ落とし」「木版画」「渡辺さん」
いつしか銅雷門に吸収合併。

1994/8
 「銅雷門」に田口ハムカツが加わる。
田口は3浪で大東文化大学へ進学とのこと。阿呆か。
当時銅雷門はオリジナル主体へと変わり、名曲「検便」「ダンゴムシ」
「ボストン便所」「コンスタンチンちゃん」等はこの頃生まれる。

1994/10
「ニュ〜ヨ〜ク五番街」
 さとうズグ、内村メゲル
何となく結成。内村はなわとび。俺は中ダイコという怒濤のデュオ。
「パリパリパンツは誰の所為?」等を演奏。
内村は家が大地主。

1994/10
「来来!!キョンシーヅ!!」
 さとうズグ、橋本テンテン、三尾ペケ
深い考えはなく結成。名前の由来は、橋本のズリネタがテンテンであったこと、
三尾の妹のあだ名が「ペケ」だったこと。
額にお札をはっての演奏には冷笑の嵐だったが、鈴木は妙にファンだった。
代表曲は「ペットントン」「ファイティング忍者ジライヤ」

1995/1
「銅雷門」に神保ベンチと森村木(後に山森林木)が加わり、ベンチと木が登場。
当時は「マイティボンジャック」「ピングーラップ」「糞漏らし三太夫」
「僕の周りはブスでいっぱい」「エスパー魔美」「コンポスターに大便」
「Ω」「ピンクのストラト」「コシャマインの乱」等を演奏。年のはじめから頭悪かった。
1月2日に対バンと乱闘になり、マイクスタンドで相手のボーカルの肋骨を折る。

1995/4
「↑↓←→(上下左右・本当はファミコンの2コンのマーク)
 Mr.珍(大関)、Mr.宝(俺)のユニット
電気GROOVEの「N.O.」等を演奏した。

1995/5
「恥じらい」
 さとうズグ、矢田ほがらか、ペンタゴン恭司
初の女性メンバー矢田ほがらかと当時小6のペンタゴン恭司によるノイズユニット
「近藤武」「わら半紙」「ポリペプチド結合」等を演奏するが、俺が暴走し、
矢田はま◎こに指を入れられて泣き、恭司はピンポン玉で「たこ焼き」を作られて泣く。
後半は鈴木とツモマツが乱入し、客を巻き込んでの大騒ぎに。
その日の打ち上げで、俺はツモマツの鎖骨を「バスターチョップ」で折る。

1995/5
「明日晴れるか」
 さとうズグ、鈴木、市村ダンチョネ
女子の水着を盗んで停学になった市村ダンチョネを加え、CM曲ばかりをハイテンションで歌う。
「ラブリーキャットフード」「かだん」「ケンちゃんラーメン」を演奏、とりわけラブリー〜はうけた。