chapter4.生きがい


デビュー後の彼らは頻繁にテレビに出ていた。コンサートは今のV6や、キンキのように

春・夏・冬と行い、野球大会やアイドル博なんてもので、私の住む地域にしょっちゅう来ていた。

今より数段と会う機会があったのだ。ミュージカルを1ヶ月ぐらいの期間しながら、

ライブもするというハードスケジュールであった。

1992年京都南座で行われた、ミュージカル「ドラゴンクエスト」に、高いチケット代ながら、

私は何度も通った。今思えばこのチケット代もどこから捻出していたのだろう。

おこづかいをこの事だけにためている状況が続いていた。

拓ちゃんに会いに行く事。その事が私の生きがいみたいなものであった。

初日なんとかチケットをGETする事は出来たが、話の内容を知ることで精一杯の席であった。

公演が始まって、3日目、花道横の前のほうの席が取れた。

花道からゲームドラゴンクエストのテーマにのって、踊りながら出てきて、

花道で(私の真横だった。)踊る拓ちゃんがあまりにかわいくて、思わず「かわいいっ」と叫んでしまって、

拓ちゃんがテレながら、笑顔でこっちを見たのを今でも忘れられない・・・

この後も何度かいい席でこの舞台を見ることができた。

今思えばこの頃が一番幸せだったのかもしれない。

その後も、私の1シーズンのコンサートに4,5回は必ず通うっと言う状況は続いていた。

1年に20回近いライブとイベントにいっていた年もあった。自分の地域だけなのにである。

地方であるのに、これほどの量あえたということは、

このころ彼らが、どれほど地方でのイベントやライブがあったのか知ることが出来ると思う。

今思えばその頃は、それが自分の最大の楽しみで、しかも当たり前で、

それでも足りないとさえ感じていたのだ。

今の状況からは考えられない事である。

武道館一日5回公演もこなしていた彼らの、体力は計り知れないものである。

なにが彼らをそこまで動かしていたのだろう。ファンのみんなの気持ちが通じていたのだっと私は信じている。

いや信じたいのだ。

私と同じようにライブで彼らに会うことが生きがいだっと思ってる人はたくさんいたのではないであろうか。

そして今はもっとたくさんの人がそう思っているのであろう。

好きになって、10数年たった私もいまだにこれが生きがいなのだ。

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