Formed Northampton, England, 1978; Disbanded 1983.

BAUHAUSご紹介 とりあえずhtmlにしてみた



BAUHAUS

ピーター・マーフィー(Vo.)、ダニエル・アッシュ(G.,Sax)、デヴィッド・ジェイ(Bass)、デヴィッドの弟のケヴィン・ハスキンス(Ds.)により、ロンドン北部・ノーサンプトンで結成された。

当時、テヴィッド、ケヴィン、ダニエルの3人は地元の芸術学校に通っており、3人で結成した前身バンドをデヴィッドの発案により"BAUHAUS 1919"と改名する。

"BAUHAUS"は1919年4月にドイツのヴァイマルで設立された学校で、技術/科学/知性/美といった物質的なものから精神的なものまで、すべての資源を利用し、前衛的に建築家/デザイナーを養成する学校であった。
そのため、当時のナチス当局に廃退と非合法活動の象徴と目され、1933年、結果的に閉鎖されてしまうが、その理想と理念は現在も建築・工業デザインの分野で"バウハウス様式"として残っている。

1979年、"BAUHAUS"と改名した彼らは、初のシングル"Bela Lugosi's Dead"をスモール・ワンダーよりリリースする。
音響的に特徴づけられたベースや多分に病的な魅力を持った歌詞はバンドによって作り出されたもので、同時期のパンク・ムーヴメントとは別の、より難解なバンドとして位置付けられる。

バンドの無性別的な外見や独創的な演出方法は、デヴィッド・ボウイやニューヨーク・ドールズに多分に影響を受けた。
そして、彼らの演出方法は真夜中の粗いモノクローム・ホラー・ムービーを思わせる。

彼らの音楽は、重く機械的なリズム・セクションを基に、不機嫌なピーター・マーフィーの歌声がはなたれ、ダニエル・アッシュのギターが無法に舞う。
アッシュの特異的なギタープレイは、正規のチューニングとかなり外れた、ただし織り込みずみのノイズと、跳ね回るようなサウンドに強調される。
そして時折、マーフィーのゆがんだセクシャル・ヴォイスがアッシュのギターと折り合い、その『音』を描き出す。
その印象的な姿はステージだけのものではなく、デカダンスを模した "She's In Parties" (1983) などの優れたプロモ・ビデオにも見て取れる。
光と影のステージ―彼らにショーマンシップが十分に掴み取れていることは疑う余地もない。

バウハウスは4つのスタジオLPを発表している。

4AD Label リリース

Beggars Banquet Label リリース

(All four CD reissues also feature singles and B-sides as extra tracks.)
In The Flat Field

彼らはまた、ライブ・アルバムも発表している。

1982年に発表されたダブルLPコンピレーションのライブ盤のみを、1988年に再リリース。

BBC ラジオ・セッション・コレクション。

バウハウスは一貫して真の内容と想像力の音楽を作り出した。
ベルベット・アンダーグラウンド(Velvet Underground) のジョン・ケイルは彼らについて曲を書くことにより彼らを十分に評価し、ニコは実際にゲストとしてバンドに参加した。
そして1983年、4枚目のアルバム Burning From The Inside を製作中、ピーター・マーフィーが肺炎にかかる。彼のヴォーカル・トラックが実際に使えたのは9曲中5曲のみだったが、バンドは強引にアルバムを完成させてしまう。
このことが原因で、バンドの中は険悪になってしまった。

この時代にはすでにたくさんの信奉者が存在したが、彼らがまだ20代半ばのころに残念なことにバンドは解散した。
最後のツアーの、最終日・ロンドン/ハーマースミス・パレス。彼らはアンコールで6曲プレイしたあと、デヴィッド・ジェイの「Rest In Place」という言葉のとおり、5年間の活動に終止符を打つ。

その後、ピーター・マーフィーを除く3人は Love And Rockets を結成し、マーフィーは Dali's Car を経てソロとして活動することになる。