第1章 個人に対する負荷が重くなるということ
現在、私たちが住んでいる日本では従来の価値観が次々と崩壊していき、新しい価値観へ移行している。それは、市場という概念が様々な分野に影響を及ぼしているからだ。この価値観の移行の中には、個人にかかる負荷が重くなるという特徴が見受けられる。いくつか具体例をあげて説明していくことにする。
2002年4月にペイオフが始まる。これは銀行が倒産したときに、これまでのように預けていたお金が全額保証されるのではなく、1千万円までしか保証されないということだ。よって、自分がお金を預ける先の銀行を、自分で財務体質や経営方針をチェックしなければならないことになる。そうしなければ、自分のお金を預けている銀行が破綻に追い込まれたとき、1千万以上預金している場合、1千万円を差し引いた残りの額は自分の手からなくなってしまうからだ。要は自己責任ということだ。
これまで、銀行と言えば都市銀行を筆頭に各行、金利・サービス面の差は全くないといっていいほど同じであった。「みんな一緒に差をつけないで仲良く固まっていきましょうよ。」というのが護送船団方式の簡単な意味であると思う。しかし、この方式は経済のパイが拡大傾向にある高度成長時代には通用した制度であったが、バブル崩壊を期に住専問題・総会屋問題など次々と問題点を露呈した。
このことによって、政府は本来の銀行の姿を取り戻させるために金融ビックバンを実行し、外資参入に対する規制緩和などの政策を打ち出していった。そして、金融業界のなかにも本来の市場原理が生まれ、これまでの方法では生き残れなくなってきたので、合従連衡を繰り返し4大金融グループなどが生まれた。しかし、それでもバブルの後遺症は簡単には治らず、現在の慢性的な金融不安という状態が生まれた。
今度のペイオフ解禁が実行されることによって、どれだけの預金が流動するかはまだわからないが、少なくとも市場原理が今までよりは働き始めると思う。そこで、私たちは自分のお金がきちんと管理できる銀行を選んでいかなければならない。
このことは今までとは違い、自己責任という名のもとに個人に対する負荷が重くなるということである。
私たちは、以前は自分が主に使う銀行を選択する要素の中に、経営状況や財務体質など含まれていなかったと思う。私のような若者は地域性(自分の住まいの近くにある銀行)を重視し、会社員は自分の勤め先がどのグループ(三井・三菱・住友などの財閥を中心としたグループ)に属しているかという基準で銀行を選んでいたと思う。後者に関しては選んでいたというような主体性はなく、むしろ勝手に選ばれていたと言った方が適切かもしれない。しかし、今後は経営状況・財務体質などの、これまで専門的と考えられてきたような情報を、自分で読み取れるようになることを要求されるのである。
日本型401k導入が始まった。日本型401kとは、『米国で普及した確定拠出型年金401kの日本版。税制上の優遇措置を受けながら掛け金を積み立て、老後に使うという仕組みは米国と同じだが、貯蓄商品に近い米国と比べ、日本型401kは公的年金の補完の色合いが強く、制約が多い。例えば米国では住宅購入資金など一定条件を満たせば途中で積立金を取り崩せるが、日本型は60歳になるまでは取り崩しは不可。米国では企業が支払う掛け金に社員個人が上乗せして積み立ててもよいが、日本型では個人による掛け金の上乗せは認められない。(日経経済用語辞典 2001年版 日本経済新聞社 P218 日本型401k引用)』というものである。従来の確定給付型年金と違って、確定拠出型年金というのは、株式で運用するのか、投資信託を購入するかなどの選択は個人で選べることになり、また、その金融商品の運用実績によって将来得られる年金額がそれぞれ違ってくるというところに注目したい。なぜ注目するかというと、ペイオフ解禁後の銀行を選択するように、このこともまた、個人が金融商品を選択しなければならないからだ。
つまり、日本版401k導入も個人に対する負荷が重くなるということである。自分の勤め先が401kを導入している企業であるなら、当然金融商品に対するある程度の知識がないと、自分の老後の人生設計もままならないということである。
上述した2つの具体例からわかる両者に共通することは、個人に対する負荷が重くなることである。すなわち強い自立性が要求されるということである。経済学者である金子勝氏は著書『市場』の中で、『近代社会あるいはそこに生きる近代的人間は分裂に直面することになった。近代以降、全ての人間が自立性への要求と共同性への要求という分裂した要求を抱えるようになったからだ。(市場 金子勝 岩波書店 1999年 P3 引用)』と述べている。
現在の日本社会において、自立性と共同性という2つの対立する要求の内、どちらのほうが強く要求されているかといえば、明らかに前者であると思う。自立性という点と、共同性という点で結んだ直線を描いたときに、日本社会が人々に要求していることは、どの位置にあるかということを考えると、高度成長時代からバブル崩壊にかけては共同性寄りの場所に位置し、バブル崩壊から現在にかけては自立性寄りの場所に位置していると思う。
つまり、高度成長時代から現在にかけて、日本社会が人々に要求していることは、共同性側から自立性側に、徐々に移行してきたという変遷があるのではないだろうか。このことをもう少し詳しく述べていきたいと思う。
