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おひさしぶり2003 |
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加藤林太郎 近況と称してお伝えするほどのことが無いのが近況ともいえます。出無精のためゼミの旅行、仏文学会(各地の大学が回り持ちで開催)を有難い旅行の機会とみなして欣然として出かけたものでした。ところで今年の仏文学会の春季大会(東京都内の大学が会場)は草加市の独協大学が会場でした。学会の後、千住というところに立ち寄りました。日光街道がこのあたりからはじまります。JR常磐線、地下鉄日比谷線の南千住の駅を出ると、すぐ前に回向院というお寺があります。この近くには、江戸時代に、刑場として有名な小塚原がありました。この小塚原の刑死者を弔うために創られたお寺です。杉田玄白が刑死者の解剖を実見して「解体新書」の翻訳を思い立ったのもここ小塚原でした。境内の墓地には吉田松蔭ほかの志士たちの墓に混じって鼠小僧次郎吉の墓などもあります。近くには「コツ通り」や「ナミダ橋」と言ったドキッとする地名も目にとまります。さて日光街道の初宿として賑わった千住の商店街を行くと、折から天王祭の準備中でした。天王とは牛頭天王すなわちスサノヲノミコトのことで、これから向かうのはスサノヲ神社です。神社へ入ると、拝殿の東側には芭蕉の句碑があります。そこに刻まれているのは芭蕉の惜春の句「行く春や鳥啼き魚の目は涙」。深川を船で発った芭蕉は千住大橋のたもとで船を降り、ここから奥の細道の旅は始まったのですが、その「矢立初」句碑の前に今立っているのです。芭蕉も渡ったかもしれない千住大橋に立つと、下を隅田川が流れていますが、この橋は東北諸藩の参勤交代の行列だけでなく日光東照宮への往還でも賑わったものです。紫陽花の咲きだした神社の境内は、祭を控え、ハッピ姿の氏子達がお神輿の手入れに忙しく立ち働いていました。 この春「山の辺の道」を少し歩きました。以前JR桜井線柳本で下車していわゆる柳本古墳群をたずねたことがあります。駅の前には黒塚古墳があると言えばご記憶の方もあるでしょう。多数の鏡が出土して一躍有名になりました。私はその直前にこの古墳上を歩いた。もし露出している三角縁神獣鏡などにけつまずいて発見者にでもなっていようものなら、今頃は………! このあたりで一番有名な史跡は、卑弥呼の墓とも伝える箸墓ですが、今回は山の辺の道の桧原神社へと向かいます。この神社からは大和三山や二上山を一望することができます。三輪山は神体山つまり山が御神体ですから神殿はなく、参拝者は鳥居を通して山を拝することになる。ところでこの桧原神社の鳥居は鳥居史上有名な稀少例で、ふつうの鳥居(明神鳥居)の左右に更にわき鳥居をつけたものです。四本の柱をならべ、入り口が三ヶ所あり、それぞれの入り口に扉をつけている特異な鳥居です。これを三輪鳥居といっておおみわ大神神社の拝殿の奥にもあります。 大神神社の参道を下りJR三輪駅を西へ渡ると巨大な鳥居のシルエットが見えてきます。昭和60年5月に竣工した大神神社の大鳥居です。高さ32.2メートルの鋼管のこの鳥居は大きさ日本一、神郷三輪のシンボルといわれています。このように「街道ヘ行く」だけの中途半端な小旅行に時々は出かけることにしています。 |