-東女瓦版181号2面掲載作品- 「影の島」 愛田絵理 高峰聡史は、公園の大きな噴水の前に腰掛け、ある人物を待っていた。腕時計を見ると、約束の一時からすでに五分が過ぎている。聡史は今日の昼飯を食べ損ねることを覚悟した。 公園の雑踏がたてる音に耳を傾け、聡史は今までに自分が失ってきたものたちについて考えた。 大切なものというのは、なぜかいつもなくなってしまう。 特撮ヒーローのレプリカ。 昔はやった映画のパンフレット。 飼い犬だったロン。 そして、両親。 大したことのないものから大きなものまで、様々なものを失ってきた。そして、今、失おうとしているのは・・・・・・。 「高峰聡史さん、だね」 頭の上から声をかけられ、聡史は下を向いていた顔を上げた。目の前には、茶色いスーツを着た体格のいい中年の男が立っていた。 「はい。そうです」 「時間に少し遅れてしまってすまない。私が今回の事件を担当している池谷だ」 そういって名刺を差し出すと、男は聡史の隣に腰を下ろした。名刺には、『都内中学生失踪事件担当・池谷古彦刑事』と書いてあった。 「東京だけ、なんですね」 「え?」 「いや、事件が起こっているのが」 ああ、と頷き、男――池谷刑事はいった。 「今の段階では、だがな」 ~ここより未掲載文~ その言い方は、これからどうなるかは分らない、といいたげだった。池谷は懐から分厚い手帳を取り出し、ぱらぱらとめくった。 「えーと、高峰さんは弟の孝太君とは二人暮らしで、現在は工場勤務をしているとか」確認するように池谷はいった。 「はい。金属を加工する工場で働いています」 四年前、聡史が高校二年生で孝太が小学校三年生の春、両親は交通事故で他界した。特に親しい親戚もいなかったため、二人を引き取るという者は現れず、結局聡史は自分と幼い弟を養うために高校を辞め、それからはずっと今の工場で働いている。 「で、弟のことですが・・・・・・」 聡史はそういって、自分の体が強張るのを感じた。自分が今失おうとしているもの。それは、二週間前に失踪した弟であった。 「何か、分ったんですか」 わざわざ日中に呼び出すくらいだ。何か捜査に進展があったのかもしれない。一瞬聡史の目が輝いた。だが、池谷の口から出てきた言葉は聡史を落胆させた。 「いや、申し訳ないが、これといって進展は」 「そうですか・・・・・・」 聡史は気落ちした様子を隠せなかった。捜査が始まってからもうずいぶん経つ。だのに、何の手がかりも見つけられないままだなんて。 二週間前。聡史が狭いアパートに帰宅すると、いつも出迎えてくれるはずの弟がいなかった。仕事で遅くなり、もう十二時を回っていたため、最初は先に寝ているのだろうと思った。この春中学校に上がってから、孝太は部活で野球を始めた。毎日しごかれているようだから、疲れもたまるのだろう。最近は十一時には床に就くようになっていた。 だが、寝室をのぞいてみても、孝太の姿は見当たらなかった。風呂場もトイレも見てみたが、やはりどこにもいなかった。孝史がこんな遅い時間に出かけるとは考えられない。聡史はすぐに、何かが起こったことを悟った。 警察に連絡しなければ。 そう思い携帯電話を取りに行こうとして、孝太の勉強机の上に何かが置いてあることに気付いた。近づいてよく見てみると、一枚の紙切れに『影の島へ行ってくる』と書いてあった。文字は黒いボールペンで書かれており、紛れもなく孝太の字だった。それを見て聡史の頭に浮かんだのは、ここ何週間かで頻繁にニュースで耳にした『中学生失踪事件』という言葉だった。 近頃、東京都内では、中学生が突然姿をくらます事件が相次いで起こっている。事件は四月から始まり、五月に入ってからはその数は増す一方であった。当初は誘拐事件の可能性が高いとされていたが、捜査が進んでいくうちに、どうやら誘拐ではないらしいということが分ってきた。身代金の要求がないことなど、その他いくつかの理由からそのように判断されたのである。 この事件には不可解なことが数多くあった。第一に、失踪者が全員中学生だというのが妙である。集団での家出かとも思われたが、子どもたちの通う学校はばらばらで、塾やスポーツクラブなども調べたが、どこにも接点を見つけることは出来なかった。それに、どの子どもにも、これといって家出をしなければならないような理由は見つからなかった。さらに、子どもたちの消えた場所や時間がはっきりと特定できないというのも、警察を悩ませている要因の一つだった。学校からいつまでたっても戻らないとか、家にいると思っていたのに気付いたらいなくなっていたとか、目撃証言も全くなく、まるで神隠しにあったかのような消え方なのであった。 そしてこれがこの事件での最も不可解な点なのだが、どの子どもも失踪する直前に、ある謎の言葉を残しているのだ。 『影の島へ行く』 この言葉だけが、どこにも接点のない子どもたちの中での、唯一の共通点であった。ある子は授業中、問題を解いている最中にいきなり黒板に『影の島へ行く』とチョークで書き始めた。またある子は、失踪する日の朝、自分の妹に『お姉ちゃんは影の島へ行くのよ』と話したという。聡史の弟のように、紙に書き残す子も少なくなかった。 警察は、このたった一つの手がかりのことでずいぶんと頭を悩ませていた。『影の島』とは一体何なのか。なぜ失踪した中学生たちは、そろいもそろってこの島へ行くのだろう。どこかに実際にある島なのか。それとも架空の島なのか。ゲームやサイトではやっているのではないかと調べたり、若者たちの間で聞き込みを行ったりもしたが、結果は無駄足を踏んだだけであった。 初めの失踪者が出てからもう一ヶ月以上が過ぎようとしているが、未だに行方は皆目分らない。それどころかどんどん失踪者は増えていく。捜査は暗礁に乗り上げていた。 孝太の残したメモを見つけた後、聡史はすぐに警察に連絡した。だがしかし、他の失踪者の場合と同じように、捜査はすぐに行き詰まった。何しろ手がかりがほとんどないのだ。それからというものの、進展らしい進展もないまま、聡史は毎日警察からの連絡を待ち続けていたのだった。 だから孝太がいなくなってから二週間目である今朝、警察から突然、今日の昼に刑事と会ってもらえるかと連絡が来たときも、すぐにはいと返事をした。てっきり、新たな情報が入ってきたのだとばかり思っていたのだが、どうもそうではないらしい。だったら、この池谷という刑事は何のために今日自分を呼び出したのか。 聡史の思っていることが伝わったのだろう。池谷は続けていった。 「じゃあなんで、今日自分は呼び出されたんだと思っているだろう」 聡史は図星を突かれ、仕方なしに頷いた。 「何か期待をさせたなら、悪かった。ただ俺は、失踪者の家族には、一度ちゃんと会っておきたいと思ったんだ」池谷はいった。「特に、君はまだ若い。働いているといったって、まだ二十一だろう。色々と不安も多いと思ってな。こういうときこそ警察が役に立たなきゃならんのだが、何しろこの事件には分らないことが多すぎる。なかなか力になれなくてすまない」池谷は一呼吸おいて続けた。「ただ、この先事件がどう転がっても、うろたえるな。その覚悟だけはしておいてくれ」 池谷は、その後しばらく聡史の仕事のことや当たり障りのないことを訊ね、それじゃあといって立ち上がった。 「貴重な昼休みを割いてくれてありがとう。話ができてよかった。何かあったらいつでも連絡してくれ」そういい残して、池谷は去っていった。 聡史が池谷刑事と話をした日から、さらに数週間が過ぎた。相変わらず捜査に進展はなく、失踪者はさらに増え続け、神奈川県や近隣の県にまで及んでいた。もう六月になっていた。 そんなある日のことだった。聡史が仕事から帰ると、ちょうど孝太が消えた日と同じように、孝太の勉強机のうえに一枚の紙が置いてあった。急いで紙に目を通すと、そこにはこう書いてあった。『明日は待ちに待った夏至の日だ。僕たちは明日の夜、出航する』紙の下の方には地図が書いてあり、横浜付近の港の住所が書いてあった。 聡史は携帯電話を手に持つと、この前もらった名刺に書いてあった電話番号を押し、池谷に電話をかけた。 「やはり君のところにも届いたか」 電話にでた池谷は、聡史の連絡を予期していたようだった。 「実は、他の失踪者の家族のところにも、同じような内容の手紙が届いているんだ」 ――とにかく、明日の夜港で会おう。一人で来られるか?ああ、分った。ならいい。じゃあまた。 手短に電話を切ると、聡史はなんともいえない疲労感に襲われた。明日の夜、全てがはっきりする。ずっと張り詰めていた緊張が一気に弾けたような、ますます引き締まったような、不思議な感覚がした。 当日聡史は仕事を休んだ。とてもじゃないが、仕事に行ける気分ではなかった。工場の人たちも事情を理解してくれているので、特に支障はなかった。 手紙に記されていた時刻まではまだかなり時間があったが、港にはすでに多くの人々が集まっていた。大部分が失踪した中学生の両親や家族で、それに警察関係の人が混ざっている様子だったが、どこから嗅ぎつけたのか新聞記者やテレビの取材をしに来ている人々もいた。聡史はそれらの群集から少し離れたところで時が来るのを待った。 やがて海の向こうに太陽が沈むと、夜がやって来た。ふと視線を感じて隣を見ると、いつのまにか池谷刑事が立っていた。目が合ったが、二人とも黙ったままだった。海風が頬に冷たい。夜の闇が次第に濃くなっていく。 ふいに、聡史は辺りの空気が震え出すのを感じた。小刻みな振動が、空気を通して皮膚の表面に伝わってくる。そう感じたのは聡史だけではないようで、周りを見渡すと、他の人々も同じように感じているのが分った。何かが始まる。港にいた人々全員がそれを悟った。 それは最初真っ黒な海に浮かぶ小さな光だった。光は滑るようにこちらに向かって移動して来て、近づくに連れてだんだん輝きを増していく。その場にいる全ての人々が注目するなか、それは正体を現した。 巨大な船、である。しかもその船は自らまばゆい光を放ち、オレンジに輝いていた。そしてその船の上には・・・・・・。 「孝太!」 聡史は思わず叫んでいた。船の上には消えた子どもたちが乗っていた。どんなに探しても見つけることの出来なかった何十人もの子どもたちが、今、船の上に姿を現した。 「孝太」 聡史はもう一度弟の名を呼んだ。今度はつぶやきになった。遠目からだったが、船の上の孝太は失踪する前と何ら変わりなく見えた。とりあえずそのことに、聡史は安堵した。 船が完全に港に着くと、辺りはオレンジの光でいっぱいになった。不思議な暖かい光が人々を優しく包んだ。子どもたちはぞろぞろと船を降り始め、それぞれ自分の家族のもとへと向かって行った。 「兄ちゃん!」 聡史の目の前に孝太が現れた。数週間ぶりに会う弟を、聡史は強く抱きしめた。 「ごめん。突然いなくなって」 孝太は抱きしめられたまま聡史に詫びた。 「ばかやろう!どんなに心配したと思ってるんだ!」 聡史の目から涙があふれた。それは留まることなくあふれ続けた。もっといいたいことがたくさんあったはずなのに、胸がいっぱいで言葉にならなかった。港は再会を喜ぶ人々で騒然となった。 ひとしきり泣き終えた後、聡史は、今度は孝太を質問攻めにした。 「どうして何もいわずにいなくなったりしたんだ?今までどこに行ってた?影の島ってのは何なんだ?」 孝太は、それらの質問に答えることもなく、ただ兄の顔をじっと見つめていた。やがて、意を決したように孝太は静かに語り出した。 「兄ちゃん。僕はもう、こっちの世界にはいられない」 ――皆で『影の島』へ行くんだ。 そう孝太はいった。 「逃れることはできないんだ。僕たちは、選ばれてしまったから」 一体何に選ばれたというのか。 「『影の島』はこの世界とは別の次元に存在する島なんだ。そこでは、何十年かに一度、こっちの世界から子どもを連れて行かなければならない。そういう決まりなんだよ」 弟が何をいっているのか、聡史には理解できなかった。 「こっちの世界では、生き物は死ぬと魂が肉体から離れてしまう。離れた魂はさらに『陰』と『陽』との二つに分かれる。『陰』はこの世に留まるけれど、『陽』は別の世界へと飛んでいく。その『陽』が飛んでいく世界こそが『影の島』なんだよ」 孝太は続けた。 「『影の島』では、飛んできた魂を導かなくてはいけないんだ。彼らがちゃんと生まれ変われるように。魂は生まれ変わるまでに長い旅をするんだ。たくさんの世界を旅して、再び生きる力を蓄えるんだ。世の中には僕たちが住んでいる世界や『影の島』の世界以外にもたくさんの世界がある。パラレルワールドっていえば、分かるかな?魂たちがその色々な世界を旅できるように、手助けをする人間が必要なんだ。魂は不安定だから、迷わないように導いてやらないといけない。魂を導く人間は、若くてある程度大人で、健康でなくてはならない。だから、中学生が、僕らがその役目に選ばれた」 聡史は孝太が喋るのを黙って聞いていた。海風が少し強くなってきた。孝太の短い髪が風で乱れる。 「兄ちゃん、だから僕、もう行かなきゃ」 自分をまっすぐ見つめ、きっぱりと孝太はいった。もう、こいつを止めることはできない。聡史は自分でも不思議なくらい、冷静にそう感じた。見た目は変わっていないけれど、しばらく見ない間に、弟がずいぶんと成長したことを知った。自分に今出来ることは、弟を見送ることぐらいだと思った。 ただ、最後に一つだけ、聡史はどうしても弟に聞いておきたいことがあった。 「孝太、お前はこっちの世界で、幸せだったか」 孝太はにっこり微笑んで答えた。 「もちろん」 聡史も微笑み返した。 「俺もだ」 兄弟はしっかりとお互いの手を握った。 「元気でいろよ」 「兄ちゃんも」 今度こそ本当のお別れだった。孝太は手を離し、振り返ることなく船に向かった。他の子どもたちも船に乗り込み、現れたときと同じように小さな光になって消えていった。 残された家族たちは皆声を上げて泣いていた。聡史も静かに涙を流した。 「池谷刑事」 「なんだ」 「あなたは、こうなることを知っていたんですか」 池谷は前を見つめたまま答えた。 「さあな」 池谷はポケットからタバコを一本取り出すと、それを口にくわえて火をつけた。 「ただ、長いことこの仕事をやってると、だんだん分かってくることってのもある」 細い煙が海風に吹かれ、聡史の目の前を流れていった。そういえば、この人がタバコを吸うところを見るのは初めてだ、と聡史は思った。 (完) |