第四章 TAの応用 文書の分析

 TAは関わりだけでなく、我々の身の周りにある様々なメッセージ(新聞や広告に始まり、暗黙のルールに至るまで)にも応用することができる。それらのメッセージをいかに受け取るかも我々の注意のいるところである。その応用を例として挙げる。

ケース1 「快く素直に」

食品販売サービスのある店舗で、職員がアルバイトの人たち宛に「お知らせ」を張った。

「夏休みになると帰省する方や旅行に行かれる方が多いため、シフトを組むのが難しくなります。提出していただいたスケジュールの日程以外にも、出勤を依頼することになると思いますので、その際には快く、素直にOKしてください。」

考察

快く感じるか感じないかは、アルバイト側の問題であって、社員にどうこう言われる筋合いはない。「素直に」という言葉を「つべこべ言わずに」と置き換えると、社員側の考えがすっきりと分かる。つまり順応を求めているのである。

「快く、素直に」という言葉には罠が仕掛けられている。断ることがあたかも悪いことであるかのようなメッセージ(私の依頼に応えればあなたはOK)を含んでおり、断りにくくさせるのである。CPのメッセージ(ドライバー「喜ばせよ」)である。

ケース2 「命の尊さ」

ある中学生がいじめを苦に自殺、朝礼でのそれに対する校長の発言。

「一度しかない人生です。命は尊いものです。生命の尊さを忘れないで生きていきましょう。」

考察

NPに見えるこの発言も実はCPである。この言葉は、自殺や凶悪事件が起こるたびに繰り返される言葉であるが、「命は尊い」と何度繰り返して発言しようとも「命の尊さ」は相手に伝わらない。この言葉に応えて、テレビのインタビューに対して「命の大切さを知りました」などと応える生徒もよく見かけるが、私にはとてもそれが本当のことを言っているとは思えない。つまり順応からきた言葉であり、固定観念的にその言葉を使用していると考えられる。「先生が『命は尊い』と言ったので、命は尊い」という根拠とも言えない根拠に則った言葉である。(自我状態AC)

命の尊さは、特別に作られた言葉で伝わるものではなく、日々の生活の中の、人間対人間の生きた交流から感じるものである。

いかに正しいとされる言葉を連発しようとも、固定観念として発言している限りは「正しい言葉」とは言えない。

またこの言葉は「学校の生徒に対する対応として、こういうことをしました」という責任逃れの言葉として使用されている。テレビのニュースにおいても、アナウンサーが「**は命の尊さを強調しました」と何の違和感もなく話しているのをよく見かける。

ケース3 「それなりの言い分」

あるカウンセラーの言葉。

「子どもにも家庭にもそれぞれに、それなりの言い分や事情があります。・・・学級担任がどんなことでも聞いてくれる人であれば、担任のところへ話に行きたくなるものです。・・・全身で聞くことです。聞いて一つ一つに答えを出すのではなく、ただただ真剣に聞くのです。そうすると、きっと、やがては解決につながる手がかりが見えてくるでしょう。」

考察

「それなりの言い分」

クライエントをばかにした表現。ひどいディスカウントを含んだ言葉である。

「どんなことでも・・・行きたくなる」

ほとんど共生関係を勧めているとしか思えない言葉。人間には聞きたくない話、言いたくない話もあるのであり、それを無理やり聞いたり話したりするのは、自分にも相手にも有害である。(禁止令「あなたであるな」)

「全身で聞く」

曖昧な言葉で、理解不可能である。

「一つ一つに答えを出すのではなく」

根拠のない考え。一つ一つ答えを出さないで、どうやって答えにたどり着くというのだろうか。(禁止令「考えるな」)

「きっと・・・見えてくるでしょう」

無責任な言葉。答えが見えてこないときにどうすればいいかは考えられていない。




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