世界史
風の独断的考察
4 ヘレニズム世界
<歴史ワーズ>
アレクサンダー大王の東方遠征−東西融合という理想
イッソスの戦い(bc333)、vsアケメネス朝ペルシャ−ダレイオス三世
ディアドコイの争い
プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、マケドニア
文化の中心が東方に移る、首都アレキサンドリア
文化
ギリシャと東方文化の融合
細かい技巧に流れる
コスモポリタニズム
哲学も政治からの逃避や個人の心の安静を追究
禁欲のストア派、精神快楽のエピクロス派
自然科学の隆盛、ムセイオン
エラトステネス−地球の周囲の長さを測る
アリスタルコス−地動説
アルキメデス−数学・物理学の諸原理
ユークリッド−平面幾何学
<考察>
広大な土地を征服したという意味でもアレクサンダーはすごい、と思うけど、その一方で、彼の業績が残した影響も見逃せないわ。ポイントは「世界市民主義」。こんな発想、今までなかった。ギリシャ人でさえ、自分たちとそれ以外の人たちを分けてヘレネス−バルバロイって呼んでいたんだったわね。今でも世界市民主義的な考えはあるし、それが一つの理想みたいにも考えられてる。この発想は、国家間の違いをかき消してしまう力があるけれども、いきなりこんな考え方を持つのは難しかったにちがいない。今でもこの発想を理解できない人はいるし。なぜそんな問題が起こるかというと、人間は生まれたときから自分の生まれた地域の文化を吸収して育っていくから。身につけてきたものが当たり前なので、それ以外のものを理解するのは難しいのよ。地域固有の文化から離脱するときにのみ、世界市民という感覚が身に付くし、その時同時に、自分の個性や存在が、一個のものとして浮かび上がる。世界市民であることは、同時に孤独を引き受けることみたいに見えるわ。世界と私、という関係に気づいた、とも見えるわね。
それでも、いくら世界市民的な考えが理想的でも、地域にはそれぞれ個性があるのだから、地域性とか国家性という特徴をかき消すことはできないと思う。結局ここでも「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、極端に世界市民化を強制するのは間違ったことなのよ。個人は、個人であり、地域の住人であり、国家の一員であり、世界市民である、ということを同時に満たしていくことが肝心だと思う。
世界市民的な考えが根底にあるせいか、この時代の科学はダイナミックね。それに「普遍性」ということが、科学に意識され始めたんじゃないかしら。数学や物理学の法則の発見。最初に発見した人たちって、いったいどうやって見つけたんだろう?驚きだわ。あと、このころか地動説があったっていうのもびっくり。ガリレイさんもびっくりだろうな。
哲学から政治が切り離された、というのは面白い。あまりにも政治的理念が大きくなったので、ついていけなくなった、ということかしら。
それにしても、ここら辺までくると、人類は自然から独立したって感じははっきりと分かるわね。関心が外側から捉える法則に向かうと同時に、厭世哲学的なものが生まれた。外側の法則と、内なる自らの法則。でも、政治と哲学を切り離すことって、いいことなのかしら、悪いことなのかしら。それはある意味で、政治は、私たちの生き方には本質的な関わりを持たなくなった、ということね。このころから政治の、あるいは人間の生活の表面化、経済的利潤追求化が始まったと言えるのかな。