人間を対象とした学問のパラダイムについて


 人間の存在について探求するとき、研究者のありかた、例えば生活様式や考え方、哲学などが最も反映される。心理学や教育学という人間を対象とした学問において、対象への接近法、尺度の用い方は、その研究者が人間をいかに眺めるか、ということに左右される。つまり研究者が洗練された考え方を持って生活していればいるほどに、奇抜で新鮮な、時には力強い考察を行うことができるのである。それゆえに、人間を対象とする学問において、優れた考察が全く理解されない、という事態が最も生じやすいのである。なぜなら、人間としての成長、正しい人間の関わり、あるいは思考の洗練、力強い認識力は、一人一人がこの社会生活のなかで身につけていくものであり、それを身につけていない者には、それを身につけている人間の主張を理解することはできないからである。ここに人間を対象とした学問の独自性がある。つまりこのような学問の成長は、一人一人の人間としての成長にかかっているのであり、それゆえに一人一人の現実の生活の中に、探求者としての資質を磨く機会があるのである。

 我々が認識できる事実は、我々の中に潜在的に生きている法則や、我々が無意識的に行っていること、あるいは我々が身につけてきたものに依存している。例えば我々のなかに物理的な法則が働いていないとすれば、我々は物理法則を理解することはできなかったであろう。我々の中に生殖とか形態の変化、生と死などがなければ、我々は植物の法則や細胞の法則を見いだすことはできなかったであろう。さらに言えば、我々が活動しない存在なら、例えば食べるとか働くとか、あるいは眠るというような様々な活動をしない存在だったなら、我々は動物について知ることはできなかったであろう。我々が何かを知る、というのは、我々の中に生きている法則を、対象に当てはめることによってのみ可能なのである。これらの例で言えば、我々のなかに物質的な側面、植物的な側面、動物的な側面が備わっていなければ、我々はそれらのものを認識することはできないのである。我々は成長するが故に植物が生長することを認識できるし、活動するが故に動物が活動することを認識できるのである。

 この観点から人間について考えるなら、私が先に述べた人間を対象とした学問についての前提を理解することができるだろう。人間独自の本質は、人間自身で培っていく。動物学的に人間の本質に迫る方法はナンセンスと言わねばならない。動物には人間のように何かを解き明かそうという性質は備わっておらず、人間自身への考察は、人間自身の進歩によってのみ可能なのである。我々は進歩すればするほどに、我々自身への新しい認識を手にすることができるのである。人間だけが歴史を持ち、歴史の中で進歩を遂げている。動物的進化と進歩を取り違えてはいけいない。例えば基本的人権が意識されていなかった時代には、その時代の人間も潜在的に人権を備えていたとは言っても、基本的人権についての説明を受けても理解が困難であっただろう。

 発達心理学における社会的学習理論ほど退屈な理論は存在しないが、我々がそれを部分的に理解できるのは、それが現実の一側面を確かに表しているからである。この理論の提唱者も、後継者も、またそれを理解する読者も、自分がそうされてきたこと(賞と罰の尺度あるいはモデリング)を知っているからである。それは発見ではなく、自分のされてきたこと、していること、つまり自分のよく知っていることを現実にあてはめ、それで全てを説明しようとしているにすぎない。

 認知的発達理論における道徳性の研究を洞察してみると、私の主張を理解するのによい手がかりとなる。この理論は、いかにして道徳を獲得するか、という点ではなく、道徳観はどのように進歩していくか、という研究をしているのである。そしてどのように進歩していくかを語ることができるのは、そこまでの進歩を遂げてきた者だけなのである。他律から自律へ、拘束から協同へ、結果論から動機論へ、という考察のなかには、それぞれ後者のほうが優れたものであるという認識がまずあるのである。でなければ、この研究者はそのような尺度を、研究のために用いることは不可能であっただろう。

 重要な点は、人間としての成長は、はじめから備わっている他の法則とは違って、一人一人が獲得していくということである。だから一人一人、趣も違えば程度の差も大きくなる。新しい法則は、生まれてから生活する中で、試行錯誤しながら、我々一人一人が見つけだし身につけていくのである。その時初めて、我々は人間自身を研究していることになる。人間を対象とした研究は、既存の尺度に当てはめるという他の対象への研究とはことなり、我々一人一人の創造的な行為によって可能となるのである。人間は自らの存在の意義、行為の目標、目的を自ら探求し、自ら規定する。人間は自分自身に従って、自分自身でそれらを決定するのである。人間が世界にどう関わっていくかは、人間の判断に委ねられている。新しく得られた尺度はそれゆえに、同じ真理を見いだした者にしか理解できない。それでも我々はこの事実に打ちひしがれる必要はない。我々は関わりのなかで生きているのであり、その関わりの中でお互いを教育しあったり、示唆を与えあったりすることができる。人間を対象とした学問はまさにそのためにある。




論文を閉じる