世界史

風の独断的考察

5 ローマ帝国

<歴史ワーズ>

bc6世紀末に王を追放して共和政

初期は貴族と平民のうち、貴族だけが政権を握っていた

2名のコンスル(統領)、元老院

重装歩兵としての平民が参政権を要求

bc5c護民官

ローマ最古の成文法、十二表法

リキニウス・セクスティウス法→統領の一人は平民からだす

bc3c官職が平民に開放

ホルテンシウス法→平民会の決議が元老院の承認を得ずに国法となる

ローマは農業国だったので、平民会は土地所有者に有利に働いた

非常時のための任期半年の独裁官(ディクタトル)

重装歩兵の活躍、ポエニ戦争、ローマの内海

中小土地所有民の没落、ラティフンディアの発展

「パンと見せ物」

奴隷の相次ぐ大反乱

閥族派vs平民派

内乱の状態

グラックス兄弟→大土地所有者の土地を取り上げて貧民に分ける→大地主の反対

元老院の権威低下

平民派のカエサルが台頭、三頭政治

カエサル 貧民の救済、属州の政治改革→独裁へ→暗殺される

オクタビアヌス アクティウムの海戦で勝利→アウグストゥス、プリンケプス、元首政→内乱治まる

五賢帝の時代へ

3cはじめ、カラカラ帝のとき、市民権拡大(帝国全土の自由民)

五賢帝最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝のころから政治が乱れ始めた

軍人皇帝時代(ディオクレティアヌス帝から)→共和政のかたち崩れ、専制君主時代へ

コンスタンティヌス帝、キリスト教を公認、オリエント風の官僚制度を確立、市民の自由は失われる

テオドシウス帝、国を2子に分ける(西ローマ帝国、東ローマ帝国)

 

西ローマ

ゲルマン民族の侵入に苦しむ

都市に重税→商業・文化衰える

有力者の大所領が帝国の政治から次第に独立→奴隷の地位の向上、小作制(コロナートゥス)−中世の濃度の制の先駆

社会は次第に封建社会に近づいていく

ローマ文化

多くはギリシャの模倣

アウグストゥス時代はラテン文学の黄金時代

ベルギリウス ローマ建国を歌った叙事詩「アエネイス」

キケロ 雄弁家、ギリシャ思想をローマに広げる

タキトゥス 歴史家「ゲルマニア」

など

市民法が市民権の拡大によって、世界法となる

「ローマ法大全」ユスティニアヌス帝のとき

<考察>

ローマ世界のキーワードは、政治と法ね。共和政が盛んになって、それが衰退していく。領地拡大なんて考えずに、自分たちの土地に留まっていたら、きっと衰退なんかせずに済んだのにね。ホルテンシウス法までは、まさに絶好調って感じで、このままいけ〜なんて思えるけど、結局は最後まで達成することはできない。歴史はゆっくりとしか進まないのよね。戦争と、貨幣経済の拍車は、金持ちと貧民の差を広げてしまう。不思議なことに、国が混乱しているときっていうのは、一人のすんごい人物が現れて、社会を変えていく。結局、リーダーを一人作り、彼のやりかたに任せる、という方法は、スピーディで潤滑にことを進めることができるということか。あれこれ議論ばかりしてたら、現代のどこかの国みたいに、結局どこにもたどりつけなくなる。それでも「絶対的権力は絶対に腐敗する」というわけで、カエサルも暗殺された。国の混乱期にはリーダーは役に立って、安定期になったら必要なくなる、という風に見えるわ。そう言う意味で、五賢帝の時代というのは、奇跡的に見える。きっと帝王の賢さと、共和政がうまくマッチしてたのね。逆に直接民主主義は、衆愚政治になってしまうし。皇帝が自分ばっかりにならなかったってのがよかったのね。

軍人皇帝時代になってますます国が混乱したみたい。ある日、国を二つに分ける、なんてどんなことかも想像しにくい。でもどうして歴史はここで逆流しなくちゃいけなかったんだろう?それともただ逆流に見えるだけなのかな。ローマ建国期にあった共和政の精神は、いったいどこへいってしまったんだろう?「皇帝崇拝」の強調はそれほどまでに浸透していたのかしら。それでもそこまで浸透する理由は?

きっと人間の精神の進化から見て、共和政や民主政が達成されるまでには、まだ遠回りをしなくてはいけなかったのだと思う。まだまだ人間は、いろんな形の社会を体験して、最終的な形を形成するための力をつけなくてはならなかったのよ。ギリシャ・ローマ文化によって人類はある種の理想を掲げることができた。哲学が生まれ、自分たちの道を自分たちで探し出すことを知り、政治の理想像を生み出すことができた。それはおぼろげな形だったし、弱いものだったけれども。この時代は人類にとって、一種のターニングポイントだったのだと私は思う。私たちは今、民主主義の社会に生きてるけれども、それでもまだそれが完全な形になったとは思えない。これからも探求は続くはず。

さあ、次から人類の苦闘の時代が始まる。



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