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AD1930

byジュリー

 本レポートは1930年のドイツ国会選挙のレポートである。この選挙でなぜナチスと共産党が勝利をおさめたのか、またなぜ既成の諸政党が敗北したのかを、自分なりに考えてみたいと思う。また、その後ヒトラー独裁にドイツは移行していったが、その理由についても説明してみたいと思う。

   1 国会解散と総選挙
 1930年3月30日に成立したブリューニング内閣は、国会の過半数をとれていない少数内閣であった。このため最初から不安定な国会運営を強いられていたが、財政安定のために発した大統領令を国会で否決されたため、国会を解散した。不況でしかも各地方選挙でナチスや共産党が勝っていたのにもかかわらず解散したのである。
 さて選挙となれば勝たねばならない。ジリ貧だった与党の保守中道勢力は、この際結束してこの局面に当たろうとした。しかし数々の選挙協力はうまくいかなかった。
 それでも与党は負けるつもりはなかった。なぜなら経済界、農業界、労組の一部などの幅広い勢力の支持を受けていたからである。また野党第一党の社会民主党もたいしたことはなかろうと、たかをくくっていた。
 そのような甘い考えは、9月14日に無残に打ち砕かれた。ナチスはここで12議席から107議席に、共産党も54議席から77議席と躍進をとげ一方保守中道諸党と社会民主党は惨敗した。なぜこのようなことになったのだろうか。以下に分析してみたいと思う。

   2 既成政党の敗因
 1.不況の深刻化…もともと20年代を通じてドイツ経済は低迷していたのだが、28年頃から不況に突入し、30年にはかなり深刻な状態になっていた。この不況が直撃した農民、自営業者、失業者がナチスや共産党へ走っていった。
 2.各党の主張の時代錯誤性…各政党の綱領はあいもかわらず数十年前と変わらないことを言っていた。自分達がナンセンスと自覚していたのにもかかわらず党内抗争の激化を恐れたためである。
 3.党員構成の高齢化…当時、概して既成政党は高齢化しつつあった。社会民主党を例にとると国会議員の過半数が50歳を越えていた。これに対して共産党は国会議員の実に96%が50歳末満だった。このためナチ、共産両党はよく時代の変化に適応したのに対して、既成政党が対応出来ずに没落していった要因の一つである。
 4.魅力に欠けた指導者達…何人かの例外を除けば、既成政党の指導者達は魅力が無かった。彼等は教養があり、人格者であったが、それだけであった。
 このような難局に対応するために必要な独創性、決断力、堅い意思、責任感、大衆的人気に欠けた政治家だらけだったのである。
 5.「封建的」な党幹部…既成政党の幹部のルートは、著しく固定化していた。上流階級出身者か自由業者、あるいはなにかの大組織の幹部によって独占されていた。このため一般の大衆とは遊離した主張になりがちで、しだいに支持が減じていく原因の一つになった。
 6.歴代政府の「失政」…歴代の政府は失業、不況、社会不安等によく対応できなかった。そしてささいなことで次々に内閣が倒れていった。このため各政党は懸案そっちのけで政争にあけくれている、と判断し議会政治の破棄を叫ぶ、ナチ、共産両党に投票したのである。

   3 ナチス、及び共産党の勝因
 1.過激な政策…失業したり、破産したりしたものは、当然現状に対して大きな不満をもつ。両党の過激な政策は彼等に支持された。
 2.武装集団を持っていたこと…ナチ、共産両党は、強力な私兵組織を持っていた。そしてこの私兵組織が派手に戦闘したり、示威行進をするので、現状に不満を持つ若者は感銘をうけてしまった。
 3.大衆的な党構成…既成政党が、多かれ少なかれ上流階級的色彩を帯びていたのに対して、両党は大衆的だった。このため両党は大衆のいだく不満をよく吸収したのである。
 4.魅力的な選挙戦…既成政党が旧態依然とした選挙をおこなっていたのに対してナチ、共産両党は、莫大なビラやポスターをばらまき、ラジオを駆使するなど、派手な選挙を行っていた。特にナチスはヒトラー、ゲッペルスという天才的扇動家を擁していた。このことが両党の勝利に大きく貢献した。
 以上の要因の他、技術的な要因(選挙協力の失敗等)やドイツの反議会主義的な風潮などのもろもろの要因が重なって、あのような選挙結果になったのである。そしてその後のドイツの政局は混迷を極め、パーペン、シュライヒャー両超然内閣を経てヒトラー内閣の成立につながっていくのである。

   4 結論
 以上のようなことを考慮すれば、特に、危機的状況において一般大衆はしばしば理性的な主張ではなく、極端でデマゴギー的な主張を支持する。「銀行王や取引所王からの財産没収」とか「ベルサイユ条約の即時無条件破棄」などというメチャクチャな主張を支持するのである。なぜならこのような政策は簡単に理解でき、また破滅的なものであるだけに、現状を打破する切り札のように感じられるのである。そしてなにがしか「人民的」なものを感じられるからである。さらにその主張を魅力的な人間が強力に叫び、強力な組織が宣伝するとき、民主主義社会において、これ以上はない強力なものになる。
 「日本は違う」などという人もいるかもしれないが、古くは安保改定、最近では金融問題における世論の動向をみるとき、筆者自身は民主主義に対して無条件の支持は出来ないのである。そして民主主義を牧歌的に礼讃し政治や社会のあらゆるものを民主化すれば理想社会に近づくなどと考える人に賛成することが出来ないのである。
 しかし民主主義は悪い制度であっても、それよりましな制度をみつけていない以上、なんとか折り合いをつけてすこしでもましなものになるよう努力していくより仕方がないのではなかろうか。



     参考文献
 エーリヒ アイク著 救仁郷繁訳 ワイマル共和国史3 1986年
 平島健司著 ワイマール共和国の崩壊 1991年
 栗原優著 ナチズム体制の成立−ワイマル共和国の崩壊とドイツ経済界− 1981年
 飯田収治、中村幹雄、野田宣雄、望田幸男共著 ドイツ現代政治史 1996年
 木村靖二編 世界歴史大系 ドイツ史3−1890〜現在 1997年
 村瀬興雄著 アドルフヒトラー「独裁者出現の歴史的背景」 1997年

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