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洗脳百景
1998/9/19 byいくま
「おい、孝ちゃんのやつクソしとったで」
「うわ、きたねー。あ、かえってきたで、やーウンコマン〜」
<一部再現映像でお届けしております>
ありふれた小学校の光景である。が、なぜだ。便所は排泄するところ、便器はクソが流れるところ、そして人はいつもよおすかわからない。それなのに学校で大便をしたものは不可触賤民(アンタッチャブル)あつかいなのである。
ここには不自然さがある。とりあえず清掃業者の仕組んだ陰謀に洗脳された結果とのみ言っておこう。
何を言っているのか分からなくなってしまったが、このように(?)社会には意識せざる洗脳行為が渦を巻いているのだ。
貴乃花がどうとかTOSHIがこうとか世間は騒がしい。馬鹿どもが。しかし俺の名誉のために付け加えておくと、今レポートの着想は八月以前にあり、けっしてあれら下卑た事件にインスパイヤされたものでないことはお断りしておく。
今回は洗脳という行為について、ワイドショーのコメンテーターのように高所から偉そうにではなく、足元から盗撮マニアのように考えてみよう。
・洗脳の条件と定義
だまされることには二種類ある。虚偽あるいは不完全な情報を伝えられて事実を誤認すること。ようするにウソとかホラ。もう一つは虚偽を判断する能力を失っているために事実を誤認すること。これ洗脳。
インドに旅行に行って、レートを知らないためにミネラルウォーターを200ルピーで売りつけられてしまったのは単純にだまされただけだが、10万円の鍾乳石の壷を宗教団体の上役に勧められて買ってしまうのは明らかに判断力に異常をきたしている。珍味セット2000円も同様。買っちゃった蟻国ばあちゃんも同様。
あらためて定義しよう。洗脳とは、植えつけられた作為的な固定観念のために、判断力の鈍摩とともに常識との間にギャップが生じること。
ではこれよりその作為的な固定観念を植えつける方法を考えよう。これさえ、学べば洗脳するもされるも思いのまま。
・教会の椅子は硬く、坊主のマラは硬い(減点1)
教会に行ったことがあれば分かるが、十分も座っていればケツと背中が痛くなる。かって一本の板を直角にくっつけただけのあの長椅子の痛さは、二十年近くたっても忘れられん。
薄暗くてうすら寒くて変にしーんとしてて、椅子は硬くて痛い。文句を言うなんてとんでもない。
別に金がないから安い椅子なわけではなく、あれは舞台効果というものである。苦痛を与える点ではファーストフードの椅子と変わらないが、その狙いはまったく違う。マクドナルドは椅子が苦痛で客は早く出ていくが、教会はそういうわけにはいかない。
あの椅子に座っていると疲れる。出ていくわけにはいかず、つまらん説教を聞いていると眠くなるがあの椅子で寝ることもできない。で、どうするかというと我慢して話を聞いているほかない。話がつまらんからますます疲れる。
疲れると人は判断力が鈍る。そうするとあからさまにウソな聖書ももっともらしく思えてくるのである。
明日のためのその一。苦痛を与えるのみ。苦痛を制するものが洗脳を制するのだ。
それが可能なら暴力が一番てっとり早い。軍人はぶん殴られて判断力を喪失していくのである。薬物ならもっとてっとり早い。
学生服のカラーも教会の椅子と似たようなものである。あれは海軍の軍服なのだが、軍隊とは学校以上に洗脳を施す場所であり、教会の硬い椅子は学生服の硬いカラーなのである。今はどうだか知らんが、昔の軍服は窮屈だったり面倒だったり、とにかく不愉快な作りになっていたそうだ。
朝生が深夜にやってるのも多分そういう理由だ。
・ラマダン御影局則全十八条
イランに行ったことがあれば分かるが、ラマダンというものがある。日本語で言ったら断食日、イスラム教の戒律の一つでその日は何も食べちゃいけない。あのひもじさは何年たっても忘れられん。
戦中に生まれたことがあれば分かるが、尋常小学校の校門すぐには陛下の御影が収まった個所がある。登校下校時にそれに敬礼を忘れたときなど、教員にぶん殴られたものである。あのげんこつの痛さは五十年以上だった今も忘れられん。
局合宿に行ったことがあれば分かるが、局則全十八条というものがある。どーでもいいようなルールであるが、三日間カンヅメでそれについてうだうだたらたら拝聴させていただくと、とても重大なルールに思えてきて是非とも守らねばならないような気がしてくる。あのありがたさは三年たった今も忘れられん。
三例が三例とも、どーでもいいようなルールをまことしやかに強制しやがる。なぜこんな手間をするのだろうか。
前項で述べた方法で疲労した脳みそに間達いを吹き込むには、誰がすればよいのか。普通の人? だめ。社会的に地位が高い権威のある人? いればそれにこしたことはないが、いなければどうしよう。答えは簡単、それになりすませばよいのである。
他人に強制する力あり、そして自分のルールを他人に強制することができれば、それだけでとても権威に思えてくるのだ。その人の言葉は、普通の人のそれよりもずっと価値が重くなる。
明日のためのその2。えぐり込むように強制すべし。
「孝ちゃんトイレでうんこするのよ」「孝ちゃん早く寝なさい」「孝ちゃん自慰は一日三回までよ」このようにルールを強制することで、親は孝ちゃんの権威になっていったのである。
・電動仏壇7000円
創価学会に入れ上げている知人がいれば分かるが、スイッチを入れるとうみょーんと電動で扉が開く仏壇がある。さぞかし高いシロモノだったのだろうと思い値段を聞くと、七千円と良心的な答えが返ってきた。存外安いなと感心したが、まあどうせほかでむしり取られてるだろうから、こんなもんは安くしているのだろう。(*実は七千万円であったことが後に判明)
例えば新興宗教は高い御布施をとる。なんたらセミナーも高い入会金を取る。局も局費を取る。歴史部も部費を取る。もちろん経済的な理由なわけだが、もう一つ目的がある。ケーキバイキングにいったとしよう。しかしどのケーキもおいしくない。すぐに帰るだろうか、それとも「払った金の分ぐらいは食べてこう」と思うだろうか。後者を取る人が実に多いのである。
知らずになんたらセミナーに行ってしまった時、あからさまに怪しくて洗脳的なセミナーだったとしても、「金払ったんだから」というさもしい考えが即退場の足をどこかでとどめるのである。もっともすんなり帰してくれないことも多いが。
疲労した頭に権威の力で吹き込んだ間違いを定着させ、社会に引き返させないためにはどうしたらいいか。人質を取るのである。「今逃げ出したらこいつの命はないぞ」と思わせるのだ。“こいつ”は金でも労力でもいいし、達成感でも共有感でもいい。
「孝一、高い入学金払ったんだから、ちゃんと塾行きなさい」
もっともこの場合は、人質を提供したのは孝一ではなくて親だけど。
・修行するぞ修行するぞ修行するぞ
混乱させ、権威のふりをして、人質を取れば洗脳は成功したも同然である。あとはまちがいを何度も何度も手を変え品を変えしつこくあざとく考える暇を与えずに繰り返せば、まちがいはまちがいでなくなる。
これで洗脳人間の完成だ。
・以上洗脳方法をまとめると
1.苦痛を与え、疲れさせる。
2.ルールを強制し、権威を装う。
3.代償を取る.人質.
4.主張を繰り返す。
*ケース1
おともだち「孝ちゃん魔人ブウな、俺スーパーサイヤ人」
孝ちやん「いややーわいもサイヤ人〜」
ゴツゴツン。
おともだち「ええな、俺がサイヤ人な」
孝ちゃん(わいもサイヤ人やりたいなあ、でもこいつ以外遊んでくれるやつおらへんしな)
<一部再現映像でお届けしております>
*ケース2
社員A「会社とはなにか、それぞれの意見を述べて下さい」
研修社員B「会社とは社会の(以下略)」
研修社員孝ちゃん(早よ終わらんかな)「死にたい」
研修社員C<煙草に火を付けつつ>「<以下略>」
社員A「あ、ここは禁煙だから煙草だめ」
<一時間経過>
社員A「会社における<以下略>」
研修社員B「会社とは社会の<以下略>」
研修社員孝ちゃん(なんでこんなことしとんのやろ。でももう二度と就職活動なんてしたないから我慢我慢)「死にたい」
<一時間軽過>
社員A「会社においては<以下略>」
<一部予測映像でお届けしております>
・どのような人が洗脳に弱いか
まとめてみた。数字が若いほど優先順位が高い。
1.権威に弱い。
2.友人は少ない。
3.集中力・継続力がない。興味が持続しない。
4.社会と自分を比較する視点が弱い。
5.マゲをゆっていて、チャンコを食う。
権威に弱い:権威に弱い人間は、自らの論理基準を信頼できない。ハナからそんなものないことも多い。ゆえに社会の論理基準にも弱いし、洗脳者の論理基準にはなお弱い。
友人が少ない:近年の洗脳手段は共有感を人質に取る。共有感を求めてやまない共有感乞食は、いとも簡単に人質を取られる。
集中力・継続力がない:疲労した状態でも集中力があれば洗脳者の言葉に対抗できるが、それがなければ言葉を受け入れるしかない。そもそも自らの論理基準にも集中力がないから、それに固執することもない。
社会と自分を比較する観点が弱い:ようするに世間知らず。比較対照する材料が少なければ少ないほど、作為的な固定観念を検証する能力がない。
マゲをゆっていて、チャンコを食う:マゲをゆうと頭皮が緊張して疲労しやすい。チャンコを食うと満腹感から眠くなって判断力が低下する。
・洗脳を解く方法
1.監禁したり酔っぱらわせたりして苦痛を与え、判断力を喪失させます。
2.権威を用意します(親とか先生とか介護士とか)。
3.洗脳されていることの不利益を示唆し、洗脳以前の生活を人質に取ります。
4.相手が反論しなくなるまでこちらの主張を繰り返します。
スペシャル.対象の直接指導者を論破ないしは殺害する。
あらふしぎ。洗脳する方法とまったく一緒ですね。洗脳を解く方法とは逆洗脳のことであります。
がしかし、そんなことで真人間に戻れるわけではない。洗脳されやすい人間とは、人格に欠点のある半端な人間失格者なのだから、またどこぞで洗脳されてしまうのである。判断力を他人に委ねる安楽さの味をしめたら、もはや後へは引き返せないのだ。
ようするに洗脳される人は洗脳されたがっているのだから、外部からどうこうすることはできない。端的には洗脳に対抗する手段はないということである。
・結尾
我々は様々な洗脳技術にさらされながら生きている。そしてそれに対抗する手段は事実上ない。自分の考えをしっかり持って健全な理性を失わないこと、と役にも立たん簡単なことができない人間がこれほどたくさんいるのだから、もうどうしようもない。勝手に洗脳されてろ。
洗脳のノウハウは古代から変わっていない。しかしその中身に若干の変異はある。昔の宗教や政治体制が取る人質は物理的欠乏が主であったが(「ツァーの時代の困窮を再び味わいたいか!」)、今日の人質は“金銭を払ったことの達成感”や“明解に導いてくれる教義”や“社会では味わえない仲間意識”などの形而上的欠乏にスライドしつつある。
我々はオウムを嗤った。しかし本来その嗤いは我々に向けられるべきものである。なぜなら彼等の方法は、そのまま我々の方法でもあるからだ。彼等の方法とは、我々の方法を拡大して強化して修行や薬物をちょっと付け加えただけだからだ。
我々の社会にどれほど多くの不合理が、自明の理としてまかりとおっているだろう。学校で大便をしてはいけない。銀行は企業でありつつ公共機関だから経営の失敗の責任は取らなくていい。ディカプリオはかっこいい。自己責任などという言葉がはやる一方、高校生の売春は認めない。土俵に女は入っちゃだめ。金払って乗ってるのに飛行機で煙草吸ってはいけない。シャネル持ってなきゃ恥ずかしい。中国兵はゲリラだからどれだけ殺してもよかった。冷麺は夏にならないと登場しない。日本語話せて愛国的じゃないと国籍与えない。孝ちゃんは常に死にたい。とかとかとかとか。
これら不合理を受け入れている我々は、洗脳されていないと胸を張って主張できるか。
我々は十五世紀の農民より、はるかに大きな情報と多様な価値観を持っている。にもかかわらず十五世紀の純朴な農民なみにころころ洗脳されてしまうのを見ると、人類の進歩というものに疑念を抱かざるを得ない。少なくともそのメンタリティーに関しては。
いいころかげんな習慣や観念で洗脳したりされたりすることなく、合理性のみが判断基準になるなんてことはきっと永遠にないのだろう。
なお、煙草は薬物中毒であって洗脳された結果ではない。
洗脳百景 おわり
SPECIAL THANKS 孝ちゃん(大僧正)
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