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フェチ男とフェチ子〜ある恋の物語〜


by 夫婦生活
1、プロローグ
20世紀も刻一刻と終焉に近付きつつある今日この頃、愚者で溢れかえるステキな街はいつもと変わらぬ表情をもって、様々なカップルを包容し続けていた。援助交際、ホモ・セクシャル、ノーマル、レズっ子万歳等々・・・特にクリスマスが待ち遠しいこの季節だからこそ恋人達もいつも以上に大胆不敵になってくると言うもので、フェチ男とフェチ子にしてもその例外ではなかった。彼等も付き合い始めてはや6箇月、そろそろ念願のフェチ子の裸体を思う存分味わってみたいと思うフェチ男であったし、フェチ子もフェチ男に自分の全てを愛して貰いたいと願っていた。明日は待ちに待った12月24日、その日の為にl箇月も前からフェチ男は大枚をはたいて某高級レストランにディナーの予約をし某ホテルのスウィートまでキープしており、フェチ子も親に対して慎重に予防線をはり続けてきた。この様な涙ぐましい二人の努力も全ては明日の為に、そう全ては報われる筈だった。二人の妙なこだわりさえなければ・・・・
 「ああ美味しかった。今日は最高の日ね。ありがとう」部屋にはいるなりフェチ子はフェチ男に語りかけできた。「何が旨かったのだろうか・・・」フェチ男にしてみれば、フェチ子との初めての営みを前にして砂を噛むような味気無い夕食だったのだが、そこはムードを尊重して愛想笑いを浮かべるフェチ男だった。しかし次の瞬間、意外な程早く訪れたフェチ子の一言にフェチ男の理性の灯は完全に消え去ったのだった。「抱いて・・・」
 どれ位の時間が経過したのだろうか、フェチ男はフェチ子の豊満な乳房を、フェチ子はフェチ男のエレクトしきったモノを中心に愛撫を繰り返していた。「そろそろかな」大の乳輪好きのフェチ男は期待に胸を膨らませながらフェチ子の乳バンドをたくしあげた。「御開帳〜」・・しかしその瞬間、悲劇は起こった。「乳輪が小さい・・・」不幸はフェチ男ばかりではなくフェチ子にも訪れた。それはフェチ男のブリーフを彼女が引き降ろした時だった。「包皮がない・・・」大の包茎好きのフェチ子にとってはショック以外の何ものでもない。あのかぐわしい香りを思いっきり楽しむつもりだったのに。
 そして、二人の営みは寸断され性夜は空しく更けていったのである。その夜以来、二人の仲がギクシャクしているのは言うまでもない。

2、フェチズムとは何か
 fetishism(フェティシズム)の解釈
  1・呪物信仰
  2・物神信仰
 1の解釈の根拠はポリネシアのマナ信仰(特定の事物に精霊が宿る)からきており、2の解釈の根拠はマルキシストの主張する、貨幣信仰の延長線上にあると言える。まあ我々が広くイメージするところのフェチズムとはどちらかど言えば後者に近い事になるが、世に横行するフェチズムは、信仰と言うよりは趣向に近いと思うのが私の持論だが皆さんはどのように捉えられるだろうか。2の捉え方でいけば、資本主義世界全てがフェチ野郎と言うことになり、アカ大喜びとなるのだが・・・まあ俺は趣向でいくから。

3、性的趣向是非論
 性的な趣向を有することが良いことか悪いことか。これが一刀両断できればこんなエロレポートなど書く必要ないのだが、人間には必ず性的な趣向があるはずなので悪いとは言えないだろう。それがノーマルだろうとアブノーマルだろうと関係は無く、人間の生殖チャンネルを開くあの鍵が、各人の持つ性的趣向なのだろうから。例えばフェチ男にしても大きな乳輪でないと彼の生殖チャンネルは作動しないのだから仕方がないし、ジュリーが鈴木その子のたれた尻たぼを見なければ何ともならないのだから仕方がない。やむを得ないのにアブノーマルとされる様な性的趣向に対しては、世間は容赦なく変態と言うレッテルをはる。極論からすると「男は黙ってヴァギナをなめろ」と言う暴論が社会を支配していると私としては言いきれてしまうのである。(だって巨乳、巨尻好きが市民権を得ることができたのだって80年代に入ってからなんスよ)性的社会規範に合わぬマイノリティーをフェチストと言う型にまとめて区別するのはファッショ・オブ・セクシュアルの発露に他ならないのでは。う〜んけしからん話ですなぁ。
 しかしこういう考え方もできないだろうか。フェチズムと言う物は群体の恒常性維持に重大な支障をもたらすのでは? だって考えてもごらんなさい。プロローグの例では無いが男女相方の性的趣向か一致する確率は骨髄適合と同様に極めて少ないんですよ。ただでさえ子供が少ないと言われる御時世にあって、いつ現れるとも知れない白馬の王子様、王女様を待っていちゃ解決する問題も解決しませんよ。しかも更なる問題はこれらの異常な程に性的趣向に執着する奴等が、社会の生殖シーンにおけるトレンドリーダーになっていると言うことである。団鬼六や松阪季美子は彼等の妄想の産物に過ぎないのだ。以上のことから私が言えるのは、ファッショ・オブ・セクシュアルの制度的側面を強化し人心を惑わす矮小なフェチスト共を社会的に追放する事である。平たく言えば、乳児プレイやゴールデンシャワーはお上の特権であって、下々には「ヴァギナ見てエレクトして射精してクソして寝ろ。」と言う教えを徹底教化することなのだ。

4、性的ゼロイズム
 前述したファッショ・オブ・セクシュアルを完遂する為の施策として、私は以下の案を提示したい。
 1、現行性教育の更なる強化(国策遂行の為に満12才の児童に初歩的な性体験をカリキュラムの上で義務つける。)
 2、成人向け図書及びビデオの類は全て国定とする。
 3、全ての出版物および、映像表規に関しても審査を更に強化する。
 4、25才以上の成人男女に対しは婚姻を義務付ける。(候補者なき時は国家が斡旋する。)
 5、満18才に至る、全ての日本国民は適正検査の被験者となることが義務付けられ、不適当な者は収監されしかるベき処置を受ける義務を負う。

〜エピローグ〜
 様々な世迷い事を述べてきたが、結論から言うとフェチ男とフェチ子は永遠に結ばれないだろう。だってフェチ男はフェチ子の世界を、フェチ子はフェチ男の世界を否定してしまったのだから。生殖チャンネルを開く鍵が異なるだけで、二人は本当の意味で一つになることを自らが否定してしまったのである。エヴァンゲリオン的に考えれば、これも人と人の間を分かつ壁、ATフィールドの概念と捉える事ができるのだろうか?とにかく、人間には性的趣向と言うものがありそれが、脳ミソの活動に由来するものであるならば人は知的活動が可能となったと言う幸福と引き替えに、他の価値の存在を否定すると言う不幸も手に入れたのである。フェチ男とフェチ子の実らぬ悲しき恋の物語も趣向と言う物が二人の間を分けた一つの例なのであり、こんなフェチズム一つとっても自己と他者との間にはマリアナ海溝よりも深い溝があると言う、深遠な人生哲学が込められているのだと感じる今日この頃なのであります。思い切り男性の観点からのレポートなので女性の方々ごめ0んなさい。それでは改めて「万国のフェチストよ団結せよ!」

〜夢オチ〜

 前ページでばフェチズムを一方的に性的趣向と決めつけてしまった俺だがはたしてその通りだろうか。もう少し、フェチストに対して温情的な解釈はないだろうか。そうだ精神医学的に分析できないだろうか。フェチストを正常な人間の目から見て、異常者と割り切るのはとても簡単な事である。我々、男性が例えば自慰を行う時五体が備わっている女性の姿を想像して行為にふける。しかし、フェチストはそうではない場合が往々にしてある、視点が節片的なのである。(乳や尻など)
 かようなフェチストの性意識は、どの様に醸成されてきたのか。それは、西欧における女性の役割にその起因があるのではないかと私は考える。西欧においては女性は母であることよりも、妻であることをもとめられる。だから夫婦中心の生活が営まれる訳だが、こうなると、子においては母を節片的にしか共有することができない。これがフェチストを養成する素地になっているのでは・・・
(1)日本のフェチストと西欧のそれとの関わり
(2)希薄な母と不在の父
(3)社会のフェティッシュな傾向をどう見るか。

〜真エピローグ〜l
 ファッショ・オブ・セクシュアルの基幹イデオロギーは禁欲である。満足の延期と性的エネルギーの蓄積は、人間の大きな飛躍をもたらす。このような肛門期的性格形成の動きは社会においても言えることで、蓄積された資本と性的エネルギーに由来する攻撃性が結びついて、後年の帝国主義、植民地主義をもたらしたのではないだろうか。これに対していわゆるタブーとされる様な性的趣向に縛られる、フェチストが登場してくるのは人間本性の倫理への抵抗運動なのである。
   そうか僕等はここにいてもいいんだ!

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