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腐れよ形而上とタモリは言った。

      1995/11/15 いくま
禁止条項:カタカナ、六文字以上の熟語、いくま父

 科学と一人の気〇がいが神を殺したときに、そして「森田の哲学大王」がうちきりになったときに、もはや形而上学の居場所は世界には存在しなくなった。
 哲学なんて必要ない、これが今回の結論である。

・What’s哲学。
philosophy=sophia(知恵)をphilo(愛する)と言う意味。
世界、人生、事物をの根本原理を理性によって極めようとする学問(国語辞典)。
幸福の内容を決定することが哲学(岩崎武雄)。
哲学とは何だろうと考えることが哲学である(いくま父)。
現代の哲学は平和を最大の問題として扱わなければならない(梅原猛)。
人間だけが自分の死について考える(魔首領奴素子)。
cogito elgo sum(デカ……昔の仏人)。
amlo marriage sam(Newyork Times)。

・哲学の歴史
 紙面の都合で割愛。

・いくま父の歴史
 土地転がしを経てぷう。

・哲学が必要ない理由。
 さて前項までに述べてきたことを総合すると、哲字がこれまでに果たしてきた投割は以下の三つに集約されるだろう。
 1.人間の存在を思推すること。
 2.神に代わって社会を律すること。
 3.神に代わって個人を律すること。
 4.き〇がい学生を華厳の滝に飛び込ませること。
 これらはすべて現代においては意義を失ったのである。

*1.人間の存在を思推すること。
「人間はどこからきてどこへいくのか」とは哲学最大の問いであるが、その答えを求めるのは哲学ではない。その役目は動物生態学、社会学、精神病理学、人工知能の研究等々にその役目を取って代わられた。今では哲学者の仕事は、これらの研究結果にけちを付けることしかのこっていない。TVでたまにみる哲学者って、単なるけち屋さんだろ?

*2.神に代わって社会を律すること。
 それは法律の役目です。

*3.神に代わって個人を律すること。
 宗教から哲学を経て、現代人を規制する律法はたった一つに絞り込まれた。
「他人の欲求を侵害しない範囲で己の欲求を追求せよ」
 これではもはや哲学とは言えまい。猿だってこんなこと分かってる。それ以上の律法を求めたがっても、多数の合意は得られない。
 1945年、梅毒病みが地下壕で鉄砲をくわえたときに、それ以上の個人の律法は世界に否定された。

 そして哲学の仕事はなくなり、哲学者は難解な言葉をもてあそぶだけのおっさんになった。中世の教会が不要に繁雑な儀式をしていたのと同様に、哲学者の難解な言葉は彼等の地位を守るための手段であるように思えてならない。
「いかなる存在に対して対自は自己を現前たらしめるか? 対自が現前であるのは即時存在に対してである。対自の現前は、即時存在という一つの全体を存在させるものである」
(「存在と無」サル……左翼仏人)。
 分かる人いたら意味おしえてください。

・自称哲学者いくま父が必要ではない理由
 働かないから。

・歴史も……
 哲学が不要になったのは、実験と証明ができないということに原因があるだろう。例えば心の働きを調べるには、哲学者の難解な言業よりもCTスキャンで脳みその働きを見せるほうがよほど説得力がある。
 歴史もこれについては人事ではない。歴史学の役目とは過去の事跡の検証よりむしろ、それにいかなる価値判断を加えるのかということではないだろうか。
 歴史と哲学は昔から仲が良いが、それは歴史が価値判断という点を哲学に頼ってきたからだ。哲学が意義を失ったのだとするならば、それにもとづいた歴史の価値判断も意味がない。両者とも実験も証明もできないから、多数の合意は得られない。
 大僧正が肉を食べないという歴史的事実がある。それは証明できる。
しかしそれをいかんと価値判断しても、なぜだめなのかは証明できない(できても誰の合意も得られないから、証明したことにならない)。
 ルイ16世は真性包茎であった。それは証明できる。
 しかし包茎の王に耐えられずフランス革命が起こったという価値判断は証明できない。
 パイレーツは胸がある。それは証明できる。
しかし谷村新二がパイレーツを狙っているという価値判断は証明できない。

 しかしながら歴史学が価値判断をやめて過去の収集にいそしむのなら、それは「思いでアルバム」作りであって、学問と名を冠するのもおこがましい。
 証明できずに合意も得られない価値判断を下すのか、あきらめて「思いでアルバム」作……

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