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神風と言霊にみる日本の防衛思想


〜PAXプレジャパーナ外伝〜
byきゃみさん

 その昔、大僧正がやったPAXプレジャパーナのレポートにおいて私は平安時代のあまりにもお粗末な軍制度の話しを聞き、ちょっと日本の防衛思想について興味をもったので少し調べてみたので御報告したい。かなり話が突拍子もないものなので話し半分ぐらいで気軽に聞いてちょうだい。

☆神風と言霊にみる日本の防衛思想
 神風という思想が日本に起こったのは、皆さんご存じのように13世紀の元寇の時である。しかしこの事件は神風思想の発生のきっかけになったがそれだけが原因ではなかった。もともと日本人には軍隊あるいは軍事というものを嫌う傾向があったため神風思想が発生したというわけである。
 平安時代の官僚である貴族たちはそもそも防衛が必要だという認識がないのである。このことは篠さんのレポートを見てもらえばわかると思う。貴族たちは軍団を廃止し、軍隊と言っても現在のセコムと変わらないお粗末ぶりである。こんなことは他国では考えられない。こんな社会を代表するのが平安日本の首都「平安京」である。平安京は風水によって霊的防御はきちっと整備された都市であったが、長安をモデルにして造ったわりに実際に外敵が攻めて来るということをまったく考えていない都市であった。
 日本人は、防衛というのは面倒臭い、なくてもいい、あることがかえって縁起がよくないという発想をするらしい。つまり、防衛などというものを考えるから戦争が起こるのだという発想をしてきたのである。それが神道における言霊の思想であり、日本人のほとんどが神道の信者でなくてもなんらかの関わりをもっているので多少なりに言霊思想を共有しているのもあながち嘘ではないだろう。
 言霊の思想というのは、「何かを想定してはいけない」と考えるもので、たとえば「事故に遭うのでは」などと言ってしまうと、その言葉の霊力が、何かを引き起こしてしまうのである。この発想自体は「万葉集」の時代からある。柿本人麻呂は、日本は「言挙せぬ国」つまり言葉をみだりに使ってはならない国であるとも、「言霊のたすくる国」であるとも言っている。つまり日本人にとって言葉そのものが呪文なのである。
 このことは古代・中世だけでなく、つい先日の太平洋戦争においても言霊という思想はあらわれた。日本が戦争に負けるということを言葉に出すと、それはどんな動機からであっても、非国民の敗戦主義者になってしまった。あの山本五十六も対米戦の発言によって、恐米病だの非国民だの敗戦主義者だというレッテルをはられた。口に出した時点で、それを望んでいるということになるのだ。このような思想のなかではおおげさに言うと、軍隊が創設されると、その存在自体が戦争を呼んでしまうのである。よって、平和・PAXを手に入れようと思えば、軍事・侵略に関係のあるようなものを全部排除してしまうことになる。その意味で「平安京」は日本人の典型的な防衛思想を物語るものであった。
 こんな発想は他国にはなく、貴族が武装せず平和を求めるのは、日本史上だけの特異的なものである。それでも太古の貴族は武装していた。応神天皇や仁徳天皇、さらにさかのぼると神武天皇などは自ら鎧をまとって戦った。ところが、平安時代ぐらいになると、まず天皇はいっさい武器を持たない。持ったとしても象徴的な剣ぐらいで、貴族たちも、鎧も着なければ刀ももっていなかった。これに対して欧州や中東では貴族=武士であった。十字軍でも百年戦争でも戦いの主役は皇帝であり王であり貴族であった。中国においても、皇帝は武装はしないが、やはり剣を持っていたし、護衛のための武官もおいていた。もし他国が攻めてきたら日本以外のすべての国では自らが剣を取って戦うだろう。ところが、日本はそれを全部廃止してしまった。そしていざ戦争という事態になると、戦争請負人=武士にやらせたのである。貴族たちは決して手を汚さなかった。手を汚すのは武士だけであったのだ。
 どうしてこのようになったかというと、神道には穢れという発想があったからである。穢れは日本人にとって一番の悪であって、現代の穢れよりずっと範囲が広かった。たとえば殺人罪の穢れ、あるいは死の穢れ、血の穢れなども含んでいた。よって平安時代になると、篠さんの「薬子の変」のレポートの記述のように前の奈良時代とまったく違って死刑が執行されなくなる。奈良時代には、大津皇子事件や長屋王の変などで、ばったばったと皇族同士が殺し会っているのに、平安時代になると菅原道真公のように国家反逆罪の罪状で、普通の国でれば絶対死刑であるところを太宰府への流刑ですまされている。他にも応天門を焼いた伴善男も死刑でなく流刑であった。このことは平安末期になって武士が勢力を持ち出し、保元の乱とか平治の乱といったクーデターに対して、その戦争犯罪人が死刑にされるまで続けられたのであった。それほど貴族たちは死の穢れ、血の穢れを嫌ったのである。だから、戦争をしなければいけないというときでも、絶対自分達では武器を取らなかった。人にやらせたである。

☆神風(Divine Wind)
 では、この穢れと神風思想がなぜ結びつくのかというと、元寇のとき、敵を撃退したのが鎌倉武士の軍事力だったからである。つまり、鎌倉武士が機動防御したかしないかは知らないが、彼らが頑張ったからこそモンゴルの軍隊を撃退できた。これが歴史的事実であることは皆さんもご承知だろう。ところが、それをどうしても認めたくない人がいた。現代でも平和主義者などがそうである。平和というものは、日本人なら誰にとっても、ものすごく崇高な価値を持つものであるが、それが穢れた手で達成されたとは思いたくもないし、感謝もしたくない。それが貴族の考え方としてもともとあったのである。
 実際には、確かに暴風雨が吹いて元軍が海上で全滅したのは本当らしいが、元軍を陸上から追い出し、船上で宿営させたのは紛れもなく鎌倉武士の軍事力の脅威であり、一番肝心なところは軍事力によって元軍に勝ったことである。しかし、武士たちは穢れている。この事実をどうしても貴族たちは認めたくない。そこで考えられたのが、あれは運命だった、神様が助けた、天祐神助である、などと武士の努力ではないと思い込むことだった。そこで、神風という話ができあがったのである。
 このようなことを最初に言い出した人物で記録に残っているのが「神皇正統記」を書いた北畠親房である。この人は南北朝時代、後醍醐天皇の側近として活躍し、その息子の顕家は日本の貴族でおそらく数人しかいない実際に鎧を着て戦っている人物である。この「神皇正統記」は出だしから「大日本者神國也」で始まっており、さすがに神風という言葉じたいは出て来ないが近いニュアンスのことは書かれている。また自分自身、鎌倉幕府滅亡を目の前にみているのに、足利尊氏や新田義貞、楠木正成などの武士の軍事力が鎌倉幕府を倒したことを認めず、「神皇正統記」には「鎌倉幕府の命運はすでに定まっていた。武士たちは歴代の朝敵であり、恩賞を望むのはおかしい。なぜならばあれは天の功績であってかれらの功績ではないからだ。それを彼らは思い違いをしている」と記述している。ここでも穢れの思想があらわれている。鎌倉幕府、北条政権は武士たちが守っていて、それを倒すためには軍事力が必要であった。実際、戦いがあり、殺し合いをして勝ったからこそ、後醍醐天皇の政権が確立したのである。ところが、親房がそうだとは決して言わないのは、軍事というものは穢れたものだという考えがあったからだ。穢れたものによって自分達の新しい政権が達成されたとは認めたくない。だからあれは神の功だと言ったのである。
 まったくこっけいな発想である。しかし皮肉なことに、現代の平和主義者も結局同じことを言っている。戦後、日本が何によって守られていたかといえば、やはり日米安保と自衛隊によるものが大きい。税金の無駄だろが、沖縄の問題があろがそういう軍事力があったからこそ、戦火からまのがれていたのだ。ところが平和主義者はそれに感謝したくはない。それを認めたくはないわけである。そして、平和憲法を守ったおかげだと言っているのである。つまり、平和憲法=神風、神の加護になってしまっている。これはたいへん非論理的なことで、平和主義者は大概神風という思想には大反対するものであるが、軍事力を正当に評価しない彼らの考えかたは神風思想そのままなのである。
 平和憲法を日本人がいくら守ったとしても、外国に対しては拘束力がないのだから、他国が攻めて来ればそれで終わりである。「平和憲法を守ったから日本が平和だった」というのはどう考えてもおかしい。それをおかしいと思わないところに、日本の平和に対する神風思想が表れていると思う。神風が平和憲法に変わっただけで、中身は変わっていないのである。平和主義者論理は、何もしなくても、軍事力がなくても、日本の平和は守れるのである。

☆精神の国「日本」
 話はかわるがもっとオカルトな話をしてみよう。太平洋戦争中も結局日本は神頼みであった。日本は明治維新の後、文明開化で欧米の科学技術を取り入れ、神風思想や怨霊幻想は捨て去ったはずだった。しかし最終的には神風思想が再び甦ってしまった。神風など迷信だから忘れてしまえと明治以後やってきたが、迷信といっても信仰であって、我々日本人が昔から信じていたことであって、結局は心の中に残っていたのであった。
 太平洋戦争では神風の他に英霊というものが言われた。英霊とは何かというと怨霊の予備軍みたいなものである。例えば昭和16年の日米開戦の前にアメリカが提出したハルノートにおいて、中国からの撤退の要求があったが、東条英機は英霊にすまないという理由でその要求を蹴った。つまり、中国の領土を得るために、どれくらいの日本兵が死んでいるのか、もし今、この成果を放棄したら、英霊が怨霊になってしまうのではないかということなのである。日本では死んでしまった人は関係ない、生きてる人間のやりたいようにやる、ということには決してならない。かつて国のために死んだ人を勝手に見捨てるのは、日本の考え方から言えば一番いけないことなのだ。
 英霊に相済まぬという言葉は、戦争の単なるうたい文句であるだけでなくて、本当に人々を動かす原動力になったのだ。もっとわかりやすい例を出してみよう。例えばここに花園めざすラグビー部がある。部のみんなで頑張って練習していた。そんなとき、一人の部員が練習中の事故で死んでしまった。このとき彼らからどんな言葉がでるだろうか?「死人が出るような危ないスポーツ、ラグビーなんてやめよう」ということになるだろうか。決してそんなことにならないのが日本である。むしろその人の遺志を継いで一層頑張ろうということになる。死んだ人間を単なる物質だと思うなら、死んだらもう文句は言わないのだから、生きてる者の勝手にやればいいのである。だがさっきも言ったように実際はそうとはならないのである。
 この考えは日本人に一番強い感情である。だから、逆に言えばあまりそういうことが多くあったので、日本人は進路を誤ってしまった。結局、戦争をなぜやめられなくなったかというと、たくさんの人々が死んでいるからである。戦争をやめて植民地などを手放すことになると、そのために亡くなった人の死が全部無駄になってしまうという脅迫観念があるのである。人間は死んでも無にはならないという怨霊思想は根強く残っているのである。芦田一佐の18番の「元寇」という軍歌でも最後に「死して護国の鬼と誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし」と歌っている。鬼とは霊のことで、死んでも霊となって国を守るという意味である。日本では軍人は死ぬと靖国神社で軍神になり日本を守り、そういう国だから天祐神助があり、神風が吹くという発想していたわけなのである。

☆〜我に神風あり。ゆえ、皇国に敗北なし〜
 この他に50年前の日本では、必勝の精神とか、員数主義(帳簿上、数が合えばその数があることになる。)など精神主義が横行した。そしてそのことに対して我々は馬鹿げたことだと思うし、神風や天祐なんてあるはずがないと笑いとばすだろう。しかし今、日本だけは戦争にはかかわりないと思っていることや軍隊や安保はいらないといってることは、馬鹿げたことではないのだろうか。日本には軍隊がありアメリカが後ろについているから平和だったのではないだろうか、それとも平和憲法の御利益のおかげなのだろうか、我々の平和は不戦平和のお祈りのおかげなのだろうか。少なくとも現在でも日本は神風思想、精神思想が残っている。我々は過去を笑えない。日本人はリアリストになりきれていないというのが現実だろう。  

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