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編集後記
byつうじん
95年6月、大祭に向けて何について研究発表をしようか。我々は題材を決めるまで四苦八苦していた。戦後五十周年らしく「太平洋戦争」でいこうかと代表会(部内の意志調整機関)は一押しした。しかし「太平洋戦争」は他の多くグループが研究しているであろうから、我々は趣向をかえてみないかと言う理由で部員の反対にあい話は振出に戻った。
さて何をやろうかと代表会案を反対した造反者は考え、そして取捨選択を繰り返し最終的に決まったテーマが“PAX=SOMEONEA”(誰による、誰のための、誰の平和)であった。
“PAX=SOMEONEA”は造語である。誰の平和、平和とは一体何だろう?平和、平和、う〜んとても漠然として抽象的でかつ空間的な広がりの中で浮遊する感覚を持つ言葉である。我々は今一般的に平和な日本に住み、子を産み、やがて死んでいく。平和について考えるなどは水や空気がなぜあるのかという問題を考えるようなもので、今まで気にも留めていなかった。
しかし敢えて研究発表として“PAX=SOMEONEA”という小冊子作成に至ったのである。この小冊子の中には様々な部員の平和についての価値観が盛り込まれているのに気付くだろう。そしてこれは歴史部のいわば平和を背景とした価値観と価値観のシーソーゲームなのである。我が部内においては様々な価値観が平行して進行する場であり、自分の主義、主張、行動が平等にぶつかり合うのだ。我々に限らず、大学自体が様々な価値観が平行して進行する場なのであろう。
編集を一通り終えて編集側にとって頭を悩ませたのは、個人意見の収集であったことは言うまでもない。すでに話し合いの段階からお互いの意見がすれちがい延々平行線をたどったからであった。結局編集側にとっては何のこれといった定義も明確にできないままこの小冊子を完成させてしまったのである。断っておくが、前述した通り平和という言葉自体空間的な広がりを持つ言葉なのである。この小冊子の中では平和とは主に政治、経済を中心として述べてきたつもりである。しかし真に平和を考えるならばそこには政治、経済のみならず、文化、宗教、哲学などといった社会科学全般にわたって考えなければならないものであるからだ。
平和を語るにはとても量的、質的に物足りないものであることは我々も自覚している。しかし、常に平和と言うものは配当と代償によって成立しているものだと、少し見つめ直してくれてほしい。これは歴史部からの問いかけである。 最後に、この小冊子作成に携わった編集委員と部員の皆さん、そして最後まで読んでいただいた読者の方々に感謝いたします。
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