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テーマ 戦後の日本外交
日本は番犬を愛しているか


by akko

 *はじめに
 「日米安全保障条約が崩れたら、誰が日本を守ってくれるのか。『日本は米国を番犬だと思えばいい』と、ひどいことを言った人もいたが、番犬というのはかわいがらなければ番犬にならない。日本は番犬を愛して、愛し抜いているのか」 〜梶山官房長官(当時)
   1997.7.10 中日新聞


(1)日米安保体制のはじまり
 1.終戦から再軍備ヘ
 終戦後、アメリカを始めとする連合国は、日本が再び軍事的脅威を持たないように、日本の非軍事化と民主化を進めた。しかし、間もなく冷戦が始まり、1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発したことが点火したかたちとなって、当初の占領政策の方針が大きく転換される。アメリカは日本に、当時アジアに広がりつつあった共産主義に対する“防波堤”として、再軍備を要求し始めたのである。そして、GHQの切り札である「超法規的手続き」による政令によって、あくまでも治安維持を目的とした警察予備隊が創設された。この時の警察予備隊の合憲の根拠は「警察力の枠内」というものであった。

 当時の首相・吉田茂は日本の独立を早期に進めるため、「日本の独立回復後も、米軍は日本の基地を使用してもよい」ことをアメリカ側に伝えていた。つまり、“日米安保構想”が日本から提案されたのである。そのため、在日米軍の駐留を前提とする日米間の安全保障協力(=日米安保条約)が、対日講和(=平和条約)の基本原則となった。

 アメリカ側はサンフランシスコ講和条約、日米安保条約を締結した後、「冷戦が激化する中で講和後の日本の再軍備は不可欠」とし、一方の吉田はその余裕はないとしたが、妥協で警察予備隊を改編して保安隊を創設した。政府は保安隊を「近代戦を遂行する能力がないので合憲」とし、戦力には該当しないとした。これによって、日本は独立回復後、安全保障をアメリカに依存しながら、軽武装国家として経済復興を目指すことになった。

 日本政府は安保を安全保障の要としてとらえていたが、国内では反対運動が根強く続いていた。その一方で、公職に復帰した有力保守政治家はいずれも自主独立の証として、再軍備を目標に掲げた。そのため経済復興を第一に考えて再軍備に消極的であった吉田も、アメリカとの外交上の協力を取り付けるために、1954年(昭和29年)、防衛庁と自衛隊を発足させる。そして、それ以後の自衛隊合憲説の基盤となる「必要最小限度の実力を保持することは、憲法に抵触しない」という論理で、その存在に法的な正当性を与えたことになった。〜この時の、平和憲法を持ちながら、一方では再軍備を進めていくという日本の矛盾した姿勢が、今日までのなし崩しと既成事実の積み重ねを生み続けていくことになる。

 2.新安保条約の締結
 1957年(昭和32年)に首相に就任した岸信介は、安保の改定を外交の最大の目標とした。安保条約上は日本は米軍の駐留を認める以上の義務を負っておらず、米軍の日本防衛義務も不明確であったため、岸は「平等で相互援助を内容とする新安保条約の締結」を求めた。

 1960年(昭和35年)1月に安保改定交渉が妥結、調印を果たした。政府はこれを、国民に対しては「米軍が日本以外で作戦行動する時は、事前に日本政府と協議する。それによって日本が戦争に自動的に巻き込まれるのを防ぐ」と説明したが、国民は「アメリカが日本を基地としてアジアを侵略するのに、積極的に協力するものである」と理解し、安保反対闘争が激化した。しかし同年5月、自民党が衆議院で強行採決したため、新安保条約はその日から30日後に自然成立した。

 新条約は米軍の日本防衛義務、六条に基づく在日米軍の行動の事前協議、日本施政下の領域での共同防衛の義務(五条)、条約期限を10年とすることを主な内容としている。しかし、事前協議の結果に日本が同意しなかった場合の対応や、五条に関しての日本の自衛権と相互防衛義務、六条の「極東」の範囲がどこまでかといった問題点も指摘されている。

(2)今後の日米同盟のあり方
 1.日米安保共同宣言
 1996年4月に行われた、クリントン大統領と橋本首相による日米首脳会談の際に、日米安保体制の堅持をうたった「日米安保共同宣言」が発表された。その直前に締結された“米軍と自衛隊の間で、物品や役務を相互に融通しあう”ことを目的とした「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」と合わせて、日米安保体制は現行の安保条約締結以来の転機を迎えたといわれる。

 というのは、近い将来アジアで戦争が起き、それに在日米軍が介入した場合、日本は湾岸戦争時のように、資金提供のみで済ませるわけにはいかなくなったからである。ACSA協定の対象となるのは、食料、水、宿泊、輸送、燃料、衛生業務……など、詳細に決められているが、弾薬以外すべてと考えてよい。これによって、自衛隊員が米軍機の整備を行ったりするといった後方支援が可能になるのだ。但しこれは日米共同訓練、国連平和維持活動(PKO)、人道的な国際救援活動の際に適用されるもので、今のところ有事に適用されることにはなっていない。

 1997年9月23日、日米両国政府は安全保障協議委員会(2+2)で新しい「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を策定した。これは1978年(昭和53年)の合意以来、初の改定となった。「日米安保共同宣言」に、日米共同行動の指針となってきた現行のガイドラインを見直すことを盛り込んでいたためである。

 2.日米防衛協力のための指針(ガイドライン)
 1978年(昭和53年)に策定された現行のガイドラインは、有事における日米共同作戦の基本方針を定めたものである。つまり、日米安保条約第五条に掲げられた「共同防衛」条項に軍事的な現実性を与えるものといえる。その中心は日本が攻撃を受けた時の対処である。しかし、極東に範囲を広げた有事に関しては「日米両政府があらかじめ相互に研究を行う」としか書かれておらず、二度会合は開かれたものの中断、先送りされていた。それが共同宣言を受けて、極東有事の研究が再開され、今回の新ガイドラインの策定に至った。但し、新ガイドラインはその適用範囲を日米安保条約でいう「極東」ではなく、“わが国の平和と安全に重要な影響を及ぼす事態が起こりうる地域”として「周辺」を用いており、地理的に一概に画することはできないとしている。

<新指針(ガイドライン)の骨子>
一、新指針は憲法の枠内、専守防衛、非核三原則に従い、国際法の基本原則に合致
一、日米両政府は日本有事の共同作戦計画、周辺事態(有事)の相互協力計画を検討
一、周辺有事は日本の平和と安全に重要な影響を与える事態で、地理的概念ではなく、事態の性質に着目したもの
一、周辺有事の日米協力は民間空港・港湾の提供、補給、輸送、捜索・救難、機雷除去、国連決議の下での不審船検査(臨検)、日米が協力して実施する非戦闘員退避など四十項目
一、周辺有事の後方支援は戦闘地域と一線を画される日本周囲の公海およびその上空で実施
一、自衛隊と米軍による常設の「共同調整所」を新設

 現行のガイドラインが日本有事(日本領域に対する、外国による武力攻撃)の際の対応を柱としているのに対し、新ガイドラインは日本周辺有事(日本周辺地域での紛争)の対応に重点が置かれ、日本の対米支援について、従来のものより踏み込んだ内容となっている。新ガイドラインの実効性を確保し、超法規的な行動・措置を許さないために、政府は自衛隊法改正などの、有事に自衛隊が円滑に行動できる法的な仕組みである「有事法制」について、整備されることが望ましいとし、98年の通常国会には関連法案を提出する方針としている。しかし、法整備は民間の施設を使用するなど私権制限の側面が強く、難航が予想される。

*終わりに
 現行の日米安保条約を“再定義”したとされる「日米安保共同宣言」が発表された96年の4月頃から、テレビを始めとするマスコミで「極東有事」という言葉を頻繁に目にするようになった。当時の某報道番組の企画で、街の人々に「キョクトウユウジ」を漢字に直させるというものがあったが、画面を観ている限りではほとんどの人が正解しなかった。
 一方では「新安保条約締結以来の転機」とされ、日本が日米安保体制において新たな領域に踏み込んでいるのにも関わらず、国民レベルではほとんど議論されないどころか、実感としてもなかったように思われる。しかも、先日策定されたばかりの“新ガイドライン”は何ら法的な根拠を持たず、これからそれに合わせて国内法を整備していく方針という。
 時代に合わない法が、時代の要請によって改正されるのは当然である。しかし日米安保体制に関する法は、こと日本の国是に関わる問題である。しかも国民的なコンセンサスが得られるかどうか不透明な問題であるのに、まずアメリカとの協議ありき、でよいのだろうか。
 日本の歴代内閣は戦後50年の間、特に憲法九条に関わる防衛問題について、「外圧」を利用して“解釈改憲”を進めてきた。有事の際の日本の対米支援の範囲がこれまで以上に広がり、憲法の存在が日本にとって免罪符でなくなりつつある現在、憲法の改正も含めた安全保障問題を国民全体で真剣に議論する時期が来ていると思われる。
 国家、そして国民を守るために憲法が存在するのであって、憲法ではなく、国民を守るために国家が存在する。しかし、憲法を守ろうとするあまり、国民を守るためのあらゆる方策を打つことに対して「有事に民間施設を利用することは、私権を制限するので、民間人への人権侵害になる」として反発する某党(閣外協力中)。この「有事に日本人の生命を守ることが人権侵害につながる」という不可解なパラドックス〜彼らがかつて声高に主張していたように、そう遠くない未来に日米安保が廃棄されるに至って、日本人はやっと真剣に“防衛”とはなにか、そして日本は“番犬”を愛していたのか〜を考えるようになるのかもしれないが……。



 ○日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(抄)
第二条[経済的協力]−省略−

第三条[自助及び相互援助]締結国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。

第四条[協議]締結国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締結国の要講により協議する。

第五条[共同防衛]各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

第六条[基地許与]日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は1952年2月28日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。

第十条[効力終了]−省略−



   ○日米防衛協力をめぐるあゆみ
1945.8  ポッダム宣言を受諾
  46.11 日本国憲法の公布。戦争放棄を規定
  50.8  朝鮮戦争勃発に伴い、マッカーサーの指令により
警察予猫隊が発足
  51.9  対日平和条約、日米安保条約に調印
  52.10 警察予備隊を改組、保安隊が発足
  54.7  防衛庁、自衛隊が発足
  56.12 国連に加盟
  60.1  新安保条約に調印。安保闘争激化。5月に自民党が単独可決
  70.6  新安保条約、自動継続となる
  72.5  沖縄が本土に復帰
  76.10 防衛力整備と維持・運用に関する基本的指針として「防衛計画の大鋼」決定。防衛費のGNP1%以内を閣議決定
  77.8  政府が有事法制の研究を開始(81、84年に国会報告)
  78.4  政府が在日米軍駐留経費(「思いやり予算」を含む)の拠出開始
    .11 「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を策定。自衛隊と在日米軍が共同作戦計画の研究を開始
  87.1  防衛費がGNP1%枠を突破。「総額明示方式」へ
  95.11 冷戦後の防衛力整備の指針となる新「防衛計画の大綱」を閣議決定
  96.4  日米首脳会談で「日米安保共同宣言」発表。ガイドラインの見直しで合意。「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」を締結。
    .6  ガイドラインの見直し作業を開始
  97.9  「安全保障協議委員会(2十2)」が新ガイドラインを決定、発表



<参考文献>
「戦後日米関係の軌跡」 花井等・浅川公紀編著 勁草書房
「昭和の五十年」 井上清 講談社現代新書
「アジア有事七つの戦争」 アジア軍事分析グループ21 二見書房
「日本の軍隊(下)自衛隊編」 前田哲男/貝原浩 現代書館

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