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飛行機

by bashi
 百年前、中西部の牧師が説教で、いつか人間は鳥のように空を飛ぶようになるだろうなどと大胆な予言をする空想家をきびしく戒めた。
「空を飛べるのは天使だけです」と善良な牧師は声を大にした。「人間が空を飛ぶようになると言うことは神を冒涜するものです」

 空を飛ぶことは昔から多くの人のかなえられぬ夢でした。ギリシャ神話にあるダイダロス・イカロス父子の例をひくまでもなく、人は空に憧れ、唯一空を飛ぶことを許されたのは鳥と一部の生き物たちだけでした。鳥をまねて高所から飛び下りた人々はいずれも悲喜劇こもごもの結果をむかえています。無論、空を飛んだと称する方は数多くいましたが。

 空を飛ぶということを最初に十分に検討したのは、16世紀の天才レオナルド・ダ・ヴィンチでした。みなさんも一度はみたことがあるかも知れませんが、現在のヘリコプターに似た機械の設計図をはじめ、多くの航空機に関する著作を残しました。しかし彼の著作は発表されることはなく、この貴重な資料は当時の研究に生かされることはありませんでした。ちなみに彼の資料が明らかとなったのは彼の死後、300年ほど経った19世紀のことです。

 人類が初めて空に浮かんだのは1783年のことで、フランス人のモンゴルフィエ(へんな名前)兄弟が熱気球を用いたのが最初です(とは言っても彼らが乗り込んだわけではなく、当初2人の死刑囚を乗せようという話から、最終的には「気球愛好家」であるロジエとダルランド侯爵の二人が人類初飛行を行った)。気球なのでしょせんは風まかせの飛行となるわけですが、何にせよ人は空という未知の空間に見えない第一歩をしるしたのです。ただしここで一つ述べておきたいのは彼等より先にこの栄誉を手にしたものたちのことです。アヒル・ヒツジ・ニワトリなどの生き物たちは、本来、人と同じく空は見上げる対象でありこそすれ、飛ぶ(浮かぶ)対象ではなかったものの、科学というものの常か、「実験」という名目でかなえられない願い?をかなえられた(かなえさせられた)のです。ちなみに、はじめて宇宙にでたのはイヌ(ライカ大)で、ここでも人を差し置いての栄誉でした。ただし地球に帰ってこれませんでしたが…。
 とにもかくにも熱気球ではじめて空に進出した人類は、グライダー(1784年)・気球(水素ガスをつめた・1785年)・飛行船(1852年)と、様々な研究を続け、その手段を多様化していきました。

 そんな中、グライダーによって空を飛び続けていた男がいました。彼の名はオットー・リリエンタール。彼は鳥の飛び方を研究し、様々なグライダーをつくり2000回にもおよぶ実験を重ね、彼自身は96年に墜落死したものの、その研究は、後の各国の研究者に大きな影響を与え、かの世界初の動力飛行に成功したライト兄弟も影響を受けた研究者の一人(二人なんですが)でした。
 彼等の大空に対する挑戦は1900年にまずはグライダーによってはじまります。
 オハイオ州デイトンで自転車製造業を営んでいたライト兄弟(兄・ウィルバー、弟・オービル)の兄弟は、幼い頃に彼らの父から買ってもらった空を飛ぶおもちゃによって、空へのあこがれを抱き続けていました。成人した彼らは、リリエンタールの研究に影響をうけ、事業の傍ら自らの研究と、先人たちの多くの資料を積み重ね、風洞実験(現代に至るまで航空機の設計に欠かせないこの風洞実験を考案したのも彼らの偉大な業績のひとつです)を初めとする数々の実験と試行錯誤の末、模型・グライダーとステップを踏みながらついに動力付き飛行機「フライヤー1号機」の完成へと至りました。
 フライヤー1号機の初飛行は、彼らがこれまでグライダー実験などを続けていた東海岸に面したノースキャロライナ州キティーホークで、この飛行実験の証人として招かれた兄弟の友人ら4人の見守る中、おこなわれました。

 第一回目 オービル(弟)  飛行距離36m・滞空時間12秒
 第二回目 ウィルバー(兄) 飛行距離58m・滞空時間13秒
 第三回目 オービル(弟)  飛行距離60m・滞空時間15秒
 第四回目 ウイルバー(兄) 飛行距離260m・滞空時間59秒

 時に1903年12月17日、20世紀になって人類は遂に空を征したのです。

 ちなみに、この牧師の名前はミルトン・ライト。彼には二人の息子がいて…。

参考文献(順不同)
(学研の図鑑)飛行機・ロケット 学習研究社
航空機のおはなし アルバートかん太のイラスト解説 成田博一 実教出版
クロニクル世界全史 講談社
ちょっと笑える話 ベネット・サーフ 常盤新平訳 文春文庫 文芸春秋

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