ワールド・ラブ通信トップへ

テーマ 核
脅迫する核


byなっちゃん

1。原子爆弾の誕生
 第二次世界大戦の始まる直前の1939年8月、物理学者アルバート・アインシュタインはアメリカのルーズベルト大統領あてに手紙を送った。そこでウラン元素が新しいエネルギー源になり、ドイツがそれを兵器に利用する可能性があることを警告し、アメリカが核分裂の研究に取り組むことを進言した。アメリカは原子爆弾開発を国家プロジェクトとして推進するシステムを整え、欧米から第一級の物理学者、科学者、技術者たちを集め、マンハッタン計画を始動した。
 1945年7月16日、午前5時29分45秒。ニューメキシコ州アラモゴルドで、人類史上、最初の原子爆弾の実験が行われた。研究責任者のロバート・オッペンハイマーは「私は今、死神になった。世界の破壊者になった」と咳いたという。
 そのとき既にヨーロッパの戦争は終わっており、日本の敗北も明らかになっていた。にもかかわらずアメリカが広島と長崎に原爆を投下したのはなぜだろうか。戦後のアメリカの指導者たちは、太平洋戦争を早く終わらせるために原爆投下を決断したと米国民に説明してきた。しかし一方では、戦後の対ソ外交を計算したためだという説もある。アメリカはソ連が日本を攻める前に戦争を終わらせることを望み、原爆の威力を見せつければ、戦後のヨーロッパにおけるソ連との外交を有利に展開できると判断したともいわれている。戦後50年を経過した今日でも、これらの問題は依然として多くの謎と論争に包まれている。

2。冷戦期の核戦略
 第2次世界大戦後、東西の冷戦はヨーロッパを主な舞台として激化し、1950年代初めから米ソは核軍拡競争時代に入る。ソ連が原爆の実験に成功したのは1949年であり、1950年代の初期、米ソが相次いで原爆の500倍から1000倍の威力を持つ水素爆弾の実験に成功した。さらに1957年ソ連はICBMの開発においてアメリカより一歩先んじる。1962年10月のキューバ危機の際にはソ連はケネディ政権の圧力の前に屈した形になったが、その後は核戦力の猛烈な増強によってアメリカを追い上げていった。60年代は米ソ間の核軍拡競争がもっとも激しかった時代である。40年間の長きにわたって続いた冷戦は、米ソ間の核軍拡競争と核戦争の恐怖によって縁取られる。
 またその中で、イギリス、フランス、中国もそれぞれの理由で核を保有した。
  ☆核抑止論というパラドックス
 核兵器の開発と保有を正当化するため、1958年3月の第二回パグウォッシュ会議で従来の攻撃力および防御力に代わる核抑止力という考え方が出された。これは通常兵器とは比類を絶する強大な殺戮破壊力を持つ核兵器を用いて相手国を威嚇し攻撃意欲を失わせようとするものである。戦後今日まで核抑止力によって世界の平和と安定が保たれてきた、とアメリカ等は主張する。また核保有国は核抑止を提唱したとき同時に、核抑止力を信奉して核兵器を持つ国の数が増大するのは危険であるとして多国間条約による核拡散防止体制づくりに乗り出す一方、核兵器を持たなくても米ソいずれかの「核の傘」に入ることによって核抑止の恩恵に預かれると説いた。
 核抑止にはさまざまな修辞が国際状況と核兵器開発段階に応じて用いられてきたが、要するに国家による他の国家に対する核使用の脅迫である。そしてあくまで脅迫であって実際には暴力を使わずに目的を達成しなければならない。問題なのは抑止が維持されるか否かは、結局敵の出方次第でその成否を敵の計算と判断に委ねているところに矛盾と限界を抱えていた。
 また、「抑止が維持されるための重要な要素は、核戦争の危機の時には抑止が効かなくなるという恐れである」などという混乱する論理矛盾も持っていた。

3。冷戦後の核戦略
 冷戦の終結によって、アメリカの国内政治と対外政策の両面において核戦略の相対的重要性が低くなったことは事実である。しかし、核問題が消滅したことを意味するわけではない。ロシアに対してアメリカは引き続き核軍縮を推進する一方、不測事態への保険として核戦力の維持を図っている。ロシアの不安材料を鑑みて、基本的に抑止は必要という考えを継続している。
 問題は第三世界などへの核やその他の大量殺戮兵器の拡散である。NPTに調印しておらず、核保有の疑いのある国、NPTに調印していながら核を開発保有していた、していると思われる国も多くある。世界中に米軍基地を展開しているアメリカは、将来、地域紛争が起きた時に、米軍あるいはアメリカの同盟国、友邦国に対して、核などの大量殺戮兵器が使用される可能性は冷戦時代より高いという見方を示している。従って、それらの核の拡散を防ぐことが冷戦後の最も重要な国防政策であるとアメリカは考えている。

4。核軍備管理交渉
 アメリカやロシア(ソ連)を中心として、核軍備管理交渉は冷戦期から重要な核政策の支柱だった。重要なものを挙げると次のようになる。

部分的核実験禁止条約(PTBT)
 1963年調印。大気圏および水中での核実験の禁止を規定。地下実験は除外。

トラテロルコ条約
 1967年調印。核の製造・実験・使用を禁止する中南米諸国の非核地帯条約。未加盟国あり。

核不拡散条約(NPT)
 核拡散防止条約とも言われる。米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有5カ国以外に核兵器が拡散するのを防ぐことを目的とした条約で(5カ国の核保有を容認したともいうが)、1970年3月に発効。非核保有の加盟国に国際原子力機関(IAEA)による査察受入れを含む保障措置協定締結を義務づけている。
第1次戦略兵器制限条約(SALT1)
 正式にはABM条約も含むが、一般に「戦略兵器制限に関する暫定条約」(1972〜1977)のみを指すことが多い。主に戦略核の数量の上限を設定。

第2次戦略兵器制限条約(SALT2)
 米ソが1979年に調印。すべての戦略核兵器の上限を設定。この条約は結局発効せず、米ソは「紳士協定」としておおむね内容を遵守した。

INF全廃条約
 米ソ両国が批准し、1988年6月に発効した、中距離核戦力(INF)廃棄に関する条約。核兵器を削減するための最初の条約。

第1次戦略兵器削減条約(START1)
 1991年7月に米ソが調印した史上初の戦略核兵器の削減条約。戦略核弾頭総数の上限を6000個とした。うち、弾道ミサイル搭載の戦略核弾頭数の上限は、4900個とした。

第2次戦略兵器削減条約(START2)
 1993年に1月に米ロが調印。2000〜2003年までに、双方の戦略核弾頭を3000〜3500個に削減する。大型ICBMや、MIRV装備のICBMは全廃すると規定。


 INF条約、START1、2は核兵器の削減をすることになった非常に画期的な条約であった。もちろんSTART2によってもなお、米ロが維持する戦略核の規模は以前として非常に大きいし、2003年という期限内に米ロの戦略核が予定通り安全に削減、解体されるかどうかについては不安がある。しかし米ロの戦略核交渉が新たな段階に入ったことは疑いない。
 1996年9月、CTBT(包括的核実験禁止条約)が採択された。CTBTは1962年以来非核保有国が核軍拡競争を停止させるため国連総会で繰り返し要求してきたものである。しかし、CTBTはNPTの強化であり、それが核廃絶の道であるなら核廃絶の時期を明記せよ、と主張したインドの案を無視して採決が図られた。CTBTの締結は核保有国がNPTを無期限延長する際、非核保有国に約束したものである一方、公認核保有国の核兵器の存続と開発にたがをはめる事なく、核拡散防止をより厳しくするためのものである。
 中国やフランスはCTBTの妥結時期を睨んで、駆け込み的に核実験を行い、日本をはじめ世界の多数の国から強い批判を受けている。
 CTBTの交渉過程と中仏の核実験は、冷戦後の世界も核兵器の存在が決して小さくないことを立証した。中国とフランスは、国際的批判を受けても、信頼性の高い核戦力を残すことを優先させ、結果的に国際政治における核兵器の存在を高めたのである。

5。日本の非核政策
 日本人は一般的に核に対して強いアレルギーを持つ。それが50年前の広島・長崎の被爆体験に起因することは今さら言うまでもない。政府も非核三原則のもと、欧米の核問題から距離を置いてきた。しかし「核の時代」においては、非核国家といえども核問題から完全に絶縁することはできない。日本でも冷戦期には非核三原則の「持ち込ませず」に反して核持ち込み疑惑があったし、総発電量の30%を占める原子力発電は、プルトニウム利用計画に対する問題も多い。平和目的利用に限られているものの、原発も重大な核の問題である。
 しかし軍事面での核問題でもっとも重要なことは日米安保体制の下で日本は米国の核の傘の下にいるということである。非核三原則により自ら核兵器を持たない日本は、アメリカの拡大抑止(核の傘)に依存しており、非核三原則と拡大抑止という裏腹のものがワンセットになって、日本の防衛政策を形成している。


  ☆核廃絶は可能か?
 種々の条約で核の解体は一見進んでいるように見える。しかし核廃絶がこのままで本当に実現するかというとあまりそうは思えない。多くの条約には不平等性や抜け道があり、それが核保有国に核保有を続けさせ、非核保有国に核を持たせる機会をつくっている。結局どの国も核をゼロにするつもりはないように見える。しかし、核兵器はつくるのにも維持するのにも捨てることにまでカネとリスクの要るものである。持だずに済むなら持たないほうがいいに決まっているのだ。単純に考えると必要がなくなれば核は要らなくなる。では政治的交渉で核の必要をなくし、核廃絶への道を切り開くためにはどうしたらいいのだろうか。
 →核保有国が核を持ち続けるのは他の保有国が持ち続けるからであり、新たな核保有国に対する政策であり、要するに国益のために抑止力を持っていたいからである。つまり、他国への不信と恐怖心が核抑止論を支え、核保有をさせるのだからそれを取り除くための対策、特に信頼醸成措置(CBM)を具体的にとっていくことがまず肝要である。
 →そして、水爆や弾道ミサイルの禁止、CTBTの締結などの軍縮を実現させる。更にそれを足場にして非核国への安全保障措置を講じたり、核拡散防止体制の強化を行う。
 →それらが実現し、各国間の信頼醸成が高まり国際的な安全保障の枠組みがかたちづくられ、核物質の国際管理体制もきちんと確立されれば、核による互いの牽制の意味も薄れるだろう。
 だがそれがうまくいったとしても核物質が存在する限り、核拡散の危険は完全にはゼロにはならない。いったん誕生した兵器が完全に姿を消した例などないし、電気供給を主に原子力発電に依存している国も少なくないのだ。しかしそれほど多数の核弾頭は必要なくなるはずである。だからゼロとは言わないまでも「限りなく核廃絶に近い数にする選択」(ニア・ゼロ・オプション)もありうるということを我々は知っておくべきだと思う。


 核時代は多くの人にとって、広島・長崎の惨劇で幕を開けた。あれから半世紀。我々は核抑止だけでなく、生活面でも原発という核に依存している。核時代は、一握りの人間が決めるのではなく、私たち自身が考え、行動すべき時期に差しかかっていると思う。ちなみに核戦争を憂慮して1953年に出されたラッセル・アインシュタイン宣言の結びは「あなたがたのヒューマニティーを心にとどめ、他のことを忘れてほしい」である。


<参考文献>「核解体」       吉田文彦著
      「核戦略と核軍備管理」 岩田修一郎著
<資料>  「政治・経済資料」

ワールド・ラブ通信トップへ

このホームページのホストは GeoCitiesです無料ホームページをどうぞ