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テーマ世界恐慌
資本主義の崩壊
by bashi
大恐慌−それは資本主義神話の崩壊だった。この時、産声を上げたばかりの社会主義(無論、ソ連のことだが)は凱歌を揚げた。
そう、資本主義は敗北したのだ。
1991年8月のソ連崩壊によって「20世紀最大の実験」と呼ばれた社会主義体制は崩壊した。これは「資本主義の社会主義に対する勝利」と一般に言われているが本当に断言できるほどの勝利なのであろうか?
このレポートでは世界恐慌という形であらわれた「純粋資本主義」とでも言う自由放任型資本主義(無論、古来まったくの自由放任の経済など存在せず、常に何らかの制約はあり、ここではあくまで現在と比較したイメージとして)の崩壊までとその後について述べていきたい。
なお、現在問題となっている従来に無い経済の構造的問題などにかんしては割愛させていただくことをご了承していただきたい。
*資本主義経済は、近代の理念の中の「自由」を最も重要視した、私有財産制と市場経済の組み合わせによってできている経済社会である
(97’資料 政治・経済 清水書院)
1.まずは第一次世界大戦
軍需・民需物資の莫大な消費・欧州が戦場になったことによる欧州の生産力低下。
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戦場にならなかった国、アメリカ・日本の輸出の莫大な増加、欧州各国の輸出激減により両国の世界的なシェアの拡大
◎アメリカ→大戦景気
欧州への借款により一躍債務国から世界一の債権国へ
大量の需要にこたえるため生産の効率化がはかられる。
→機械、トラクターなどの導入→少人数での操業が可能に
→労働者の待遇改善(給与の増加など)→労使関係の紛争をなくす。
◆工場は交代制による操業時間の増加
◆一方で「かやの外」となった産業の状態は悪化(労働条件の格差・物価高)
恐慌の前兆
工業−潜在的な高失業率
農業−大量生産→耕地に過度の負担→表土の流出・侵蝕・荒廃・不毛化→自作農の没落
◎日本→同じく大戦景気
欧州諸国、特に英国の繊維製品の輸出量の激減により錦製品の輸出が大増加。インドなどでは英製品を駆逐していく。
船舶の不足(←輸出の激増による輸送力の需要増大、ドイツのUボートによる船舶の甚大な被害など)により造船業が空前の活気を呈し、「船成金」とよばれる成金もあらわれる。
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しかし蓄積された資本は民間には流れず潤うのは資本家ばかり。
2.大戦後、ウォール街の大暴落まで
ドイツ、賠償金の莫大な負債にあえぎ、猛烈なインフレに襲われる。
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戦勝国(英・仏など)、戦時中の負債、国土の荒廃などによる経済の悪化。
ドイツからの賠償金で経済にてこいれし、アメリカヘ輸出することで債務を返済。
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アメリカは英・仏から債務をとりたてるため、ドイツに経済援助(ドイツだけでなく英・仏をはじめとする欧州各国も各種援助をうけていた)
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ドイツはアメリカからの経済援助によって、自国の産業を建て直し、戦勝国に賠償金(条約で定められた物品、資源を含む)を支払う。
かくして、負債に喘ぐドイツ、経済立て直し中の欧州、そしてひとり繁栄を謳歌するアメリカという図式ができあがった。
◎まやかしの繁栄−アメリカの1920年代
この時期の経済的発展はまさにめざましいものがあった。ニューヨークをはじめとする大都市には摩天楼とよばれる高層ビルが立ち並び(もちろん大都市の土地不足という側面もあったが)、自動車産業の発達とその普及は凄まじいと言ってもよいほどのものだった。また、電気・ガス、特に電気の普及は著しく冷蔵庫・ラジオも一般家庭に入り込んでいった。
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大衆消費的社会の出現
◆余分な資本を少しでも持つ人々は(まるでスポーツ感覚で)株式投資に手を出す
(株式投資によって)「誰もが金持ちになれる可能性があるだけでなく、きっと誰もが金持ちになれるに違いない」
そのかげで…
繊維産業の衰退←合成繊維の普及
石炭産業←石油産業(ガソリン・重油・各種原料、アメリカは世界の生産量の七割を占めていた)に押される
鉄道産業←自動車の普及(全世界の自動車の八割以上を保有)
農業←慢性的な過剰生産(欧州の農業生産の復活)、農業恐慌はすでに始まっていた。
生産過剰→市場流入量の増加→生産物価格の下落→でも生きていくためには一定量のお金が必要→だから価格が下がってもそのぶん大量に出荷→市場流入量の増加…。→悪循環(なんてわかりやすいのだろう)
農業機器の購入費→生産コストの増大と赤字覚悟の生産により農家への負担がさらに増大
海外から安い労働力としての移民がアメリカという新天地を求め大量に流入した。そして大戦が終了したことで、潜在的な失業者が顕在化
↓
移民の制限
繁栄している産業においても所得の分配は公平ではなかった。
→でも、賃金はともかく上がっていたので不満の声は上がらなかった。
しかし、生産力と購買力とのバランスは崩れていった。
と言っても贅沢な暮らしのできる家庭は一部なわけで…
→1929年の統計によるとアメリカ全家庭の60%は貧困な家庭(年間収入2000$以下)だった。
と、なっていたころ、アメリカ政府はというと、
◆もともと高い関税を33%に上げてみました。←保護貿易どころの話ではなく、欧州各国はアメリカに輸出することで返していた債務を返しにくくなった。
◆低所得者の税率はそのままに、企業と高額所得者の税金を減らしました。(貧富の差が一層拡大)
◆労働運動に冷淡(大企業からの圧力など)
◆低金利政策!(…今の常識では考えられません)
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金待ちはより金持ちに。そうでない方は、よりそうでないように。
巨大企業は市場の独占化をおしすすめ、一層の生産の拡大。
株式市場では株価は上がり続けていた。
手持ち現金の乏しい株購入者→少し株を買う→仲買人はその株を担保にして、株価の値上がりを見込んで市場価格以上の金を貸す→その金で株を買わせる(仲買人はあくまで「株価が上がり続ける」ことを前提にしており、株価の急落ということは眼中になかった。しかしそれは株購人者とて例外ではなかったのである)
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そしてその日はきた−1928年10月24日 木曜日
3.やっと本編−大恐慌
それは突然やってきた。と、人々は思った。だがそうでないことは既に見たとおりである。
10月の第三週に不気味な動きを見せ始めた株価は、この日一気に下落し、膨大な量の株が売りに出された。人々は少しでも損失を防ごうと持ち株を次々と売りに出したためさらに株価は急落の一途を辿った。
その日の午後に銀行家達による協調介入が発表され、株価は若干の落ち着きを見せたが、再び株価は急落していった。大量の株が捨て値同然の金額で売りに出され、人々が破産という名の影に抱きすくめられ、絶望するまでそう長い時間を必要としなかった。そしてこれを契機に多数の産業が抱える問題は一気に顕在化し、街に職を求める人々があふれ、さまよった。
街でわずかな食事を求め長時間、配給の順番待ちに行列する人々。他方で原価をはるかに下回った農作物を捨て、腐らし、燃やす農村。職を求めさまよう人々。新しく設立されても注文が取れず閉鎖される工場…。自家用車を売り、家具を売り、ついには家を手放して堀つ建て小屋を建てそこに移り住む家族…。
この状況に至って政府は「自由放任」したままで経済が立ち直れないことを認識し、いろいろと手を打ち始める。それはやがて皆さんご存じのF.ルーズベルトが引継ぎ、ニューディール政策という形で1930年代半ばには一応の小康状態を得ることになる。だがこの不況の波はたちまちのうちに全世界へと広がり、そして飲み込み、人々を次の戦争「第二次世界大戦」という名の海底の奥底へと引きずり込んでいった。
ヨーロッパを襲った恐慌の波は計画経済を進めていたソ連を除いた各国で、30年代半ばから大きな爪痕を残した。イギリスは金融恐慌が起こり100年以上に渡る金本位制を放棄し、管理通貨制度に移行し、自由貿易制度から保護貿易制度に転換した。ドイツは若年労働者の失業が深刻化し、ナチ台頭への原動力となったのである。
4.まとめ
1個のパン、一杯のスープを求めて行列をする人々。絶望なまでの貧困。一般大衆の生活は崩壊寸前のソ連とどう異なるのか?経済システムはそれぞれ異なっていてもそのシステムの崩壊と共に現出する姿はまさに同じものではなかったのか?
資本主義と社会主義。この2つのシステムが現在において対照的ともいえる評価を生み出すことになった決定的な差異は、まさに柔軟性という一点にあったと言ってもよいのではないか。
社会主義とは一種の宗教的なシステムであり、宗教が基本的に教典の正しさを疑うことがないように、このシステムもまた他からの新しい「教典」を認めることはできなかった。
一方の資本主義はその性格が「計画」でなく「自由」という点に代表される柔軟さを持ち合わせていた。利潤の追求が究極的な目標であるこのシステムは、その目的のためにはいかなるものも取り入れることができた。それが1930年代のニューディール(新規巻き返し)政策からはじまる資本主義の社会主義化、政府の農家に対する作物割り当て、社会保障制度…、の原因となったのではないだろうか。競争社会における国家による一定の管理、それは自由放任された社会よりも遥かに安定した国家を作り出し、それが例えば「日本は社会主義が最も成功した国」といわれるようになった所以ではないだろうか。
それでは先年の「バブル」はなんだったのだろうか?。システムがいかに整っていたとしても投機熱にとりつかれた人々には何の警告も教訓も耳にはいりはしない。人々、そして企業・銀行のみならず政府まで半世紀前と「株」と「土地」の差こそあれ同じ過ちを繰り返したのである。過ちを繰り返した当事者の中に政府が入っていることからも、いかに管理しようとも管理する側が腐っていては何にもならないということがよくわかる。
政府の経済見通しは非常に甘かった。あのころは私は選挙権を持っていなかったので好き勝手に言わしてもらおう。「それは後知恵にすぎない」という声も気にしない。歴史をふりかえれば似たようなことはいっぱいある。それにもかかわらず「景気はこのまま上昇する」とぬかしていた。
そしてこの時も。
1928年選挙戦の最中 ハーバート・フーヴァー大統領候補
「我々は間もなく、貧困がわが国から消えさる日を見ることだろう」
同、ハーバート・フーヴァー大統領就任演説
「私はわが国の未来に何の心配もしていない。それは希望で輝いている。」
1928年10月29日付「ニューヨーク・タイムズ」
ゼネラル・モーターズ社長
「わが国の全般的な経済・産業状況は健全そのものであると確信している」
1928年末 銀行家会議inケルン ある銀行家
「資本主義の復活」を宣言 →1931年倒産
だいじょうぶだと強調しているときが一番心配なときである。
参考文献(順不同)
アメリカの歴史(4) アメリカ社会と第一次世界大戦
(5) 大恐慌から超大国へ 三省堂
20世紀の歴史(3) 経済[上]1900〜45 両大戦と大恐慌 平凡社
新書アメリカ合衆国史(2) フロンティアと摩天楼 著 野村達朗 講談社現代新書 講談社
イラスト版アメリカの歴史4 波乱と戦争の現代 1920〜1981 ノーネル・ファー著 東京書籍
20世紀の歴史52 アメリカの繁栄と矛盾
53 大正デモクラシーの運命
61 大恐慌
67 アメリカ資本主義の危機 株日本メールオーダー
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