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テーマ 領土問題
北方領土
byあべちゃん
[北方領土とは]
現在、日本人に「北方領土とは」と尋ねると「色丹、歯舞、国後、択捉の四島である。」と答えるだろう。確かに日本とロシアにおける北方領土問題はこの四島に限定されている。しかしはじめから四島に限定されていたのだろうか。歴史をたどっていくと四島に加えて千島(クリル)、樺太(サハリン)までもが北方領土に含まれていたと思えてくる。その歴史をたどってみることにする。
日本では17世紀前半に松前藩によって曄太・千島が確認された。そして1644年、幕府に千島とカムチャツカを含む自領の地図を献上、さらに1700年には樺太をも含む自領の地図を献上している。そして1715年には幕府に「蝦夷地本島・千島・カムチャツカ・樺太は松前領で自分が支配している」と述べた上申書を提出している。
一方ロシアでは1697年に新領土発見の命令をうけてカムチャツカ半島の占領に着手した。そうして1711年にはほぼカムチャツカ半島を制圧、同年千島列島の最北にある占守(しゅむしゅ)島に渡った。
こうしてロシアはどんどん進出していったが日本は、18世紀後半になると北方への対策か停滞してしまった。それは北方問題に力を入れていた老中、田沼意欠の失脚によるところが大きい。
[北方領土に関する様々な取り決め]
1、日露和親条約(1854)
この条約の第2条において北方地域の国境画定について定められている内容は、千島については択捉より南を日本領とし得撫(うるっぷ)より北をロシア領とする、樺太はこれまで通り、日ロ、雑居とする、というものである。
2、樺太・千島交換条約(1875)
この条約の第1款と第2款が領土問題についての条項である。
第1款では樺太島の権利を全てロシアに譲る、と定めており、第2款では樺太島のロシアヘの譲与と交換に、ロシアが所有するクリルという島々を譲与する、と定めている。
3、日露講和条約(ポ−ツマス条約)(1905)
この条約では第9条で領土問題について規定している。
内容は、ロシアの領土であった南樺太を日本に譲る、境界は北緯50度とする、となっている。
以上の1、2、3の条約は第二次大戦前のものである。
まず1の条約で現在北方領土と呼ばれている択捉までが日本領とされた。次に2の条約で第2款に現在ロシアが所有しているクリル群島として第一「シュムシュ」島〜第十八「ウルップ」島としてある。これを見てもわかるように1875年以前ではウルップ島までがロシア領で択捉より南は日本領であった。言い換えると、この段階まで北方にある四島がロシア領になったことなど一度もないのである。そうして樺太と千島が交換され、千島は日本領となった。それから日露戦争後の3の条約で樺太全島を望んでいた日本は、譲歩して北緯50度以南割譲で納得した。しかし後にロシアはこれについて「日本が侵略戦争で奪った領土である」といっている。
4、ヤルタ協定(1945)
この協定の二と三で北方に関する領土について書かれてある。
二では樺太南部をロシア領とすること、三では千島をロシアに引き渡すと書かれてある。そしてそのかわりにロシアは対日参戦することとなっていたのである。
5、サンフランシスコ対日平和条約(1951)
この条約の第2条に領土について定めてある。
内容は千島列島並びにポーツマス条約で主権を得た樺太南部の主権を放棄する、となっている。
以上4、5は戦中、戦後のものである。
まず4について、これは対日戦での被害拡大を何としても避けたかったルーズベルトがロシアの協力を得るために米、英、ロで秘密裏に作成されたものだった。5では、日本は千島・樺太南部の主権は放棄したが帰属先が書かれていない。4の頃、アメリカのルーズベルト大統領はロシアとの協調路線をとっていた。しかしルーズベルトが死去、後任にトルーマンがついた。このトルーマンはルーズベルトとまったく反対の路線をとるのである。これにはルーズベルトのとったロシアとの協調路線への国内からの不満、原爆が完成したことによる軍事力の増強などが理由としてあげられる。そうして秘密協定では、ルーズベルトは千島・樺太南部をロシア領とするとし、こうした協調路線を取るルーズベルトをスターリンは信用していた。しかし新任のトルーマンをスターリンは信用していなかった。現に5の条約で領土の帰属先はロシアとなっていない。結局ロシアは5の条約への署名をしなかった。アメリカは千島・樺太のことをあいまいにしておいて日ロ間に係争点を残し、日ロの将来的な協調を避けようとしたように思える。このままアメリカ・ロシアは冷戦へと突入していく。
6、日ソ共同宣言(1956)
この協定には、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する、そして歯舞・色丹を平和条約締結後に引き渡すと書かれてある。
この条約ははじめ、「領土問題を含む平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する」と書かれていた。また歯舞・色丹に関しても「平和条約締結後かつアメリカの管理下にある沖縄が日本に返還された後に引き渡す」とされていた。これに対して日本は「沖縄が日本に返還された後に」という部分を削除したいといった。そしてロシアは「領土問題を含む」という部分の削除を要求してきた。その結果、沖縄のことに触れるのはアメリカとの関係上よくないと判断し、「領土問題を含む」「沖縄が日本に返還された後に」という部分の削除で合意した。しかしこれは後に、ロシア側に歯舞・色丹の引き渡して領土問題については解決したという言い分を与える結果となった。
このままロシアは領土問題については解決済みとして交渉のテーブルにもつこうとしなかったのだが、政権(フルシチョフ→ブレジネフ)がゴルバチョフに移ると領土問題に関して柔軟な考えを示した。「領土返還には応じないが日本側が領土問題は解決していないというのならば、それは取り上げて話し合われるべきだ。」と言ったことからもわかる。しかし政権かゴルバチョフからエリツィンに移ると、再び領土問題については強硬な態度を示している。
[解決策はあるのか]
現在、日本では領土問題については「四島一括返還」「二島分離返還」が論じられている。日本が国際的な取り決めで得た領土なのだから「四島一括…」にこしたことはないのだが、おそらく相当な年月がかかるだろう。少しでも早く返還を望むなら「二島分離…」なのだが、ロシアは自国の利害の為に領土を占領したということをわすれてはいけない。
冷戦も終わり軍事的価値のやわらいだ北方地域をそんなに重要視しているのは、ロシア政府の立場が国内的に弱くなっているからだ。ならばそこをつけばよいのではないか。ドイツが再統一をひとまず棚にあげロシアに経済脇力をして信用を固めた後、北方領土返還よりも困難だといわれた再統一を返還よりもはやく成し遂げたのだ。だから日本も日本の領土なのだから返還要求をして当然というのではなく、まず経済・技術協力で信用を固め、そうして将来的に返還の話を進めていくのがよいと思われる。
外国では次々と領土問題が解決し、20世紀も終わろうとしている現在、日本の領土問題は未だ解決の兆しはみえてこない。だからといってどうでもいい問題だとは思わないでほしい。それは侵略戦争を容認したということにもうけとれかねない。領土が占領されたときに多くの人が自ら命をたったのだ。この20世紀に起こった問題を忘れないでほしい。
参考文献
北方領土−軌跡と返還への助走− 時事通信社 木村汎著
北方領土の真実−300年の歴史と将来への提言− 南雲堂 中名生正昭著
日露新時代への助走−打開の鍵を求めて− サイマル出版会 東郷和彦著
「北方領土」とソ連外交 時事通信社 重光晶著
これが日本の対日外交だ−秘録・北方領土交渉− NHK日ソプロジェクト著
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