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編集後記


 どうも、二年ぶりです。というのも、まえがきを書き始めたのか11月危機(94年)のころだったから、もう2年を過ぎているわけで。部員の巨大な恨みをきちんと描けただろうか、それにもまして、エンターテイメント性が損なわれていないかがもっとも心配である。今読み返してみると、どうも肩に力いれすぎた面が多い。
 最初はこんな堅苦しいやつじゃなくて、俺が入部してから辞めるまでを小説みたいに書こうかなと思ったのだが、そうすると俺の心理描写とかもしなくちゃならなくなってくるわけで、そうするといろいろまずいことがある。だからやめた。うーん、でもいつか小説で書くかもしれん。
 歴史記の取り扱っている90〜95年は、素子に始まって“こぱっち”に終わると極言できる。この流れにおいては俺もカツヒコも脇役でしかない。素子が偉大なのは当然として、歴史記を書き終えて“こぱっち”の先見性と企画力はやはり恐るべきものであることを再確認した。代表会も部会もグループ制も部則も、何もかも“こぱっち”が作ったのだ。素子が作った学習会というチャンスを、“こぱっち”は有効に活用しえるほとんどの可能性を網羅したと言っていい(ただしすべてではない)。素子が用意した舞台で、“こぱっち”の脚本にそって俺は踊っていたのだ。俺をおもいきりひいき目にみても脚本こぱっち・演出いくまの域を越えないだろう。
 歴史部に、こいつには負けたと思う人が二人いる。こぱっちとギャンブラー湊である。それぞれ方向性はまったく違うが、その極めかたにおいてこの二人には到底かなわないことを常に痛感している。ただし湊の極めている方向性は、歴史記の内容と関係ないところにあるので描くことはできなかった。また、まだ在籍しているので列伝に書くこともできない。さっさと卒業せい。

 人は二つの時代に生きられないと誰かがいったが、俺は歴史部に復帰しつつあり、あえて二つの時代に二またかけてみようと思う。一年間歴史部から離れて思ったことは、俺はまだ学習会をやり足りないということだ。
 96年の歴史部を見ながら、続歴史記の構想を練ってみた。たぶんそれはこんなふうに始まる。「3Kを失った“きゃみ”歴史部の混迷と、こぱっちシステムの遺産を食い潰すこと」。
 今の歴史部はこぱっち遺産の金利生活者ではなかろうか。プチいくまや極プチいくまはいるけれど、プチこぱっちがいない。ましてやプチ素子はいない。みんな勝手に踊ってるだけで、脚本も舞台の手入れもほっときっぱなし。踊ってるだけじゃだめだ、こぱっちになれ.ビジョンをもって企画して変革すべきだ。
 96年の追いコンのさいに、出席するしないで一年生ときゃみさんがひともめしたときく。その際一年生の誰かが4年生の人を全然知らないからとかなんとか言ったらしい。私は大変ショツクを受けた。俺を知らないのは当然のことだけれども、こぱっちを知らないとは何ごとだろう(むろん他の人も)。ああ、こぱっち君よ、君の偉業はもう歴史部で忘れられちまったのか? あれだけ苦労した君の働きはもう過去のものなのか?
 書き終えてみて思えば、そうさせないために歴史記を書き始めたのかもしれない。過ぎ去った過去にしてしまってはいけないこともあると思う。
 1996午12月30日 レヒ河畔ランツベルク要塞拘置所にて
   ただの“いくま”

追記:「歴史は人類の巨大な恨みである」の言葉は、もしかしたらA・ピアスではなく、ラ・ロシュフコーだったかもしれない。もし間違ってたら、ブタゴリラみたいで大変ハズカシイ。
追記2:本文はランバ・ラルの監修を受けた。その際カツヒコ列伝について重大な示唆を受けたことに、ここで感謝の意を表しておきたい。
追記3:本稿はレキシキver3.1である。表紙絵を加え、いくらかの誤字と不適切な表現を訂正した。ver2.2で記載漏れのあったイシダニア、95年大祭攻防戦記、および年表の一部を加筆した。それ以外はレイアウト等に変更はあるが、文章はいじっていない。このVer3.1はbashiの熱烈な要望に応えて作成されたものであり、これがレキシキの決定稿となるだろう(97 12/8)


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