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49's
(列)・いくま 74年生 93〜95年まで在籍 専攻:世界史・現代史
職歴:94〜95年度部長

こぱっちがいないと役に立たない人。これ以上自分のことを書くのは公正じゃないので書かない。私が他人を書くのが公正かと聞かれても困るけど。
(評)いくま 第四期生 74年度生 93〜95年度、97〜98年度在籍!専攻:世界史・現代史
職歴二代目部長(93年11月〜95年10月)
歴史部の最も輝かしい時代を作った中心人物であり、また「新歓から追いコンまで」という夢の保障プランを実現した名(迷?)部長。
安定した人格と幅広い知識、豊富な創造力と素直でないものの見方、学習会におけるエンターティメントという概念を提唱し体現し、第五・第六期生にみられる独特の気質を創った主犯格。小説家を志しているだけあってレポート・その他の文章力は群を抜いており、前述のエンターティメント性とをあわせて歴史部史上最高のレポーターの一人に数えられる。その他、氏には数多くの功績、例を挙げるのなら歴史部伝統芸「火噴き」の創始、学習会の教育と振興、大学祭振興、スエズ侵攻などがある。
しかし一方において負の部分も取り上げざるを得ない。その中で最たるものはやはり96年度部長選挙敗北後の突然の退部(と休学)であろう。このことに関しては既に本文で詳しく述ベているので省略するが、これがきゃみ政権、ひいては歴史部自体の土台を大きく揺るがすことになった一つの大きな要囚となったことは否定できない。また氏の部長在任中の部長会議欠席などの実務上の怠慢は当時副部長であったきゃみさんを初めとした部員たちに負担としてのしかかったことも見逃せないであろう。その他個人的なものを挙げるならばみちひと氏が95年度クラブガイドの草案を深夜までかかって作成してきたにもかかわらず突如、局に提出する直前に彼に何の断りもなく氏が作成した原稿と差し替えるなどの非道な行為をおこなったなどがある。
それはさておき、氏が他の個性あふれる人物たちと明らかに異なったのは他の個性を光らせたという一点にある。実際、赤いナポレオン・きゃみさんをはじめとしたくどいほどの「個性」という名の磨き上げられた鏡がここまで輝いたのは氏という光源(太陽ではなく行灯かもしれない)あってのことだと思われる。(もちろん、もともとくどい個性なのだが)
特に我々第五期生は決して氏の手のひらの上(ましてや足の裏の水虫の上)でのみ踊り狂っていたわけではないが氏の手のひらの上が最もステップがとりやすく、かつ、より熱狂的に踊り狂うことができたのもまた事実である。
「いくま君が四年間で卒業できたら私、首をくくってもいいわ」と素子さんに言わしめたほど(と、言っているほうも言っているほうなんてすが…)学習会などがない日に大学に来ることはなく、たまに顔を出しても講義に出席することはない。そもそも履修登録をしていなかったと思われる。そのような訳で95年度までに取得した単位数はわずか「13」。これは歴史部史上最低取得単位数として部員に記憶されていた(96年度に「4」をひっさげてきたリトルボーイにこの記録は破られる)。しかし復学、そして部への復帰後の97年度に20単位を取得、「33」として今に至る。とはいうものの8年間で卒業できるかどうかは不明である。まあ、それが冒頭の「新歓から追いコンまで」を実現した大きな要因だったのだが…。
その容姿から今中(今中慎二・中日ドラゴンズ投手)、今田(今田耕二・お笑いタレント)と間違えられ、街中で声をかけられたこともあるらしい。
(列)・こぱっち 第四期生 74年生 93〜96年まで在籍 専攻:日本史・現代史
職歴:94年度局役員

93年末に大変にもめたすえ、2代目の局役員となる。その責任感の強さから見事に局役員をやり遂げ、また、部則の作成・代表会の創始・グループ制学習会提案など、94年度の歴史部の運営の真の中心人物だった。それに関しては部論の一致を見ると思う。
いくまなどは、初代法王に「こぱっち君がいないと何もできない」などと言われる始末である。また、「仕事しろ 仕事しろ こぱっち君も泣いている。」などとも歌われた。
実行力に富み、企画力と責任感にはだれしも信頼を置いているが、ややもすると少々気分屋さんで、前後矛盾することを言ったりして私は困惑させられた。しかし、まちがいなく歴史部には欠かせない人材であったろう。
部の事務・運営面もさることながら、彼の新骨頂はむしろ学習会にあったと言えよう。独特の頑固さと押しの強さとハッタリは、学習会をおおいに混乱させ、活性化させた。それを自覚して「芸」としてやっていたのか、それとも単にそういう人だったのかは今となっては分からないが、とにかく彼がいて学習会が救われた面は少なくない。運営での政治力に加え、学習会での槍働きも兼ね備えた知勇兼備の部員と言えよう。
93年大学祭攻防戦では、勧誘として戦果未確認ながら多くの撃墜を成し遂げた。歴史部の真の撃墜王であろうが、残念ながら94年は局役員の仕事のために、その撃墜手腕を発揮することはできなかった。
同年の大祭打ち上げおよび局総会では、トイレにこもってゲロして寝てしまい、スワリゲラーの名を頂戴することとなる。ちなみに“いくま”はネゲラー。
96年は事実上歴史部を引退していた。
今思えば、こぱっちは私よりもはるかに部長に向いていたのではないかと思う。素子も人を見る目がない。
(列)ランバ・ラル 第四期生 74年度生 93〜96年度在籍 専攻:日本史・世界史
職歴二代目法王

史上最も面倒見の良いOBの一人。就職後は仕事の合間を、四年時にも忙しい就職活動の合間をぬってたびたび部室を訪れ、学習会・イベントに参加し青春貴族(*レキシフ高官の御用達ショットバー、きゃみさんは週2、3回は深夜までカウンターで飲み明かしていた。)ではグラスを傾けながらいろいろと我々の愚痴を聞いていただき、そしてたびたびおごっていただきました。悪人にたかられていました。特に何をするわけでもないがその一言、その存在がなんとなく安心感をもたらした人物。詳しくは「レキシキ」を参照のほどを。
歴史部の餓狼三人衆の一人。キム・カッファンの使い子で「最狂」の称号をもつ。
(評)・ランバ・ラル 第四期生 74年生 93〜96まで在籍 専攻:日本史・世界史
職歴:2代目法王
“いくま”の盟友。辞めたり、4年生になったら来なかったりした49,Sのなかで唯一四年間ちゃんと歴史部の面倒を見てくれた。でも間が悪い。
学習会参加数は恐らくトップであろう。でも間が悪い。
こぱっちのように鋭すぎず、いくまのように無責任でもなく、素子のようについていけないほどバイタリティにあふれてもいない。安心感のある人と言えばそうだが、キャラクターが立っていないと言えば立っていない。でも間が悪い。
初代法王卒業後は法王の名を買収する(一回の飯で)、以来初代法王的な安心できるキャラクターを目指していたようだが、でも間が悪い。
カツヒコ・初代法王・いくまの襲撃事件の際にカニを御馳走してくれ、以来カニと呼ばれる。でも間が悪い。
(列)・カツヒコ 第四期生 70年生 93〜95年まで在籍 専攻:日本史。

92年、神大より名城大学に編入する。90年体制破壊の帝王。身長180cm体重80kg(けっこういいかげんな数字だが)のごつい体格で、くわえて独特の円熟した人格とカリスマを持つ。ちょっとオヤジ。
歴史部のほかにはない自由な雰囲気をこよなく愛し、94年度の歴史部の秩序化対して、それは自由な空気を拘束するものとやや反発を感じていたようだ。
93年度はまさしく石田の年であった。部員をして部室を「石田さんの部屋」と言わせさしめるほどに、石田は歴史部の空気を象徴していた。
そうそう、かつてはおニャン子クラブの、激烈なファンであったことを付け加えておかなくてはなるまい。ランバ・ラルといくまはそのことを嗤ったため、石田に迫いかけまわされた。
現在は東京にいるが、名古屋在住のおりは乱暴狼藉の数々を働く。たとえばカラオケ屋の壁に正拳突きで穴を開けたり、ランバ・ラル宅襲撃の後に路上で……あ、石田さん、いつのまに帰ってきたんですか? え、何を書いてるのかって? ひえー、ごみんなさ……
(中略)
大変素晴らしい人でした。はい。これ以上は命にかかわるので言えません。
(列)・亀さん 74年生 93〜95年まで在籍 専攻:世界史・現代史
職歴:94年度会計
エコロジストであり、素子の愛弟子だった。が、左翼思想に洗脳されたわけではない。彼女も素子に名古屋大学の集会につれていかれたくちだが、あの集会には辟易したようである。
96年度以降はほとんど姿を見せなくなったようだ。
(列)・ハスラー堀本 73年生 93年〜96まで在籍 専攻:ビリヤード
最初から最後まで一貫して平日派を貫き通した一徹の人。ハスラー。94年度学習会不参加者問題において狂王河合とともに中心人物になる。その際に土曜日は忙しいからというのが理由であり、しかし平日学習会が始まっても姿はない。あれ?
(列)・西尾様 74年生 93在籍 専攻:F1
まずはすみません。フルネーム覚えていません。私は彼に将棋で負け、以来永遠に西尾様と呼ばなくてはならなくなった。あまりキャラクターが立っていないので、ここで書く内容がない。
彼のやった唯一のレポートはF1であり、それは歴史部を恐怖のズンドコにたたきこんだ、とだけ言っておこう。狂王河合にいじめられて退部(ファミコン黄色事件)。
(キャミ)・狂王河合 74年生 94〜96まで在籍 専攻:雑学
あれ? 列伝・評伝どっちにも書かれてないぞ、この歴史部の中で最も恐れられていた男、狂王河合について・・・。そりゃ書けないよね・・・。こんなの河合さんに見つかったらどんなことになるやら・・・。
とても礼儀ただしく、いつでも低姿勢、第一印象はすごくいい人である。
だがそれは彼の裏の顔であり、彼は歴史部で最も部員に恐れられていた人物であった。
その恐怖は素子の左翼洗脳、カツヒコの腕っ節、きゃみさんの逆ギレ、とは全く違った恐怖であったとだけ書いておこう。
これ以上は書けません・・・(このHPが彼に見つからないように)
いくまとは高校からの同級生らしい。
準部員列伝
歴史部には唯一準部員がいた。準だから字を小さくしてやる。まあシャレだから怒らないでね。(*HP上では同じフォントです。よかったね神谷さん)
(列)・ダミ神谷さん 1974年生 94〜96まで在籍
こぱっちのツテで入部するも、自ら準部員とうたって学習会でない、部費払わない、部室使うの3悪を兼ね備えた男。かなりオッサンくさい。
*でも大学祭では大活躍! その独特のダミ声で客を店内に引込み、ステージではおむつをはいて奮闘(強制的に)。本当に助かりました。
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