レキシキトップへ

50年マフィア



(列)・きゃみさん 職歴:94年度部長補佐、95年度副部長、96年度部長


 きゃみさんは豪遊の男である。数々の武勇伝(ようするに酔っぱらう)と、彼女の話(ようするにノロケ)と、太っ腹なおごり方(ようするにたかられる)を歴史部に残した。お世話になりました。げへへ。
 また、まともに仕事をしたおそらく最後の副部長であろう。95年度のいくま政権で副部長だった彼は、部長会議に出たり歴史部をしきったり書類書かせたり、何かといくまのさぼりを助けた。お世話になりました。えへへへ。
 彼のマンションは第二部室と呼ばれ、土曜日の夜は多くの部員がそこで夜を明かした。特にランバ・ラル。お世話になりました。げへへへへ。
 きゃみさんは豪勇の男である。その学習会での槍働きもリーダーシップもキャラ立ちも、同学年の中では群を抜いていると言えるだろう。特にその「威」は歴史部史上もっとも優れている。こぱっちも素子も跳び越え、カツヒコに匹敵する「威」であった。いくまにいたっては比べるべくもない。「威」とは例えるなら、学習会において「静かにしろ」と言ってどれだけ静かにさせられるかということである。きゃみさんには威厳というか迫力というか、そういうものに恵まれていたと言えるだろう。その方面は俺はからっきしで、よくこぱっちに「おまえは威厳がない」と怒られたものだ。
 普段の軽いキャラクターと、非常時の迫力という、本来両立しがたいその両者をきゃみさんは両立させていたのである。その点で尋常な男ではない。
 いくまは軽いだけ、こぱっちも素子も重いだけ、カツヒコは……すさまじく重い。ただ一人きゃみさんだけは、軽くもあり重くもなれたのだ。
<ほめ言葉終了>
 しかし彼にはただ一つ欠点があった。調整力がない。ひとりで突っ走ることが多いのだ。そして突っ走っている最中に意見されるとキレる。
 項羽は知も勇も家柄も優れていたのに、すべてを自らでやろうとして敗れた。部下を調整しつつ使うことができなかったために敗れた。もし項羽が生きていたら、きゃみさんのような人間であっただろうと想像する。きゃみさんだって項羽のそんな歴史を知っているのに、いざ自分の番になると項羽の反省を生かせないことに歴史の役だたなさを感じるのである。
 “ぢ”の補佐を失ったきゃみさんは、ブレーキを失ったエンジンであった。キレて独走するきゃみさんは、トランスミッションを失ったエンジンであった。すべてを自分で行なうために周囲の手助けを必要としないきゃみさんは、シャーシを失ったエンジンであった。
 つまりどこにも接続されないエンジンが空回りして音だけ出しているわけだ。
 当人を知るものにはあまりにも辛い評価であると思うかもしれないが、彼のもとでこぱっちシステムは崩壊していったのは事実である。ただし付け加えなければいけないのは、こぱっちシステムの崩壊はすでにいくま政権の頃から芽を出していたことである。いくまが何ら事後処理をせず歴史部を去ったのちに、きゃみさんはただ一人で〜頼れる先輩も引き止め得る補佐役もいない中、なにからなにまで一人で〜奮闘せざるを得なかった。そこにきゃみさんの苦悩がある。
 悪意的に見るならば、きゃみさんは人を使う芸を欠いたまま、こぱっちシステムを失墜させた。
 好意的に見るならば、きゃみさんは一人でこぱっちシステムの崩壊をソフトランディングにまで何とか持っていった。
 どちらにせよ、孤独な男であったのかもしれぬ。

(評)きゃみさん 第五期生 75年度生 94〜97年度在籍 専攻:世界史
職歴95年度副部長 三代目部長(95年11月〜96年10月)
 三代目部長にして第五期生の中心人物。部の運営に、学習会に、イベントにと文字通り八面六臂の活躍で、4年間最も歴史部を愛し走り続け、今もなお愛し走り続けている人物。だれが何と言おうと人口:15OO人、超田舎の村の出身。郷里と、セガと、彼女をこよなく愛している男。
 起伏が激しい感情と幅広いのか狭いのか、深いのか浅いのかわからない知識、遊び人のようで勉強家、改革派のようで保守派、彼が部長だった治世は「レキシキ後伝」に記されているようにまさに混乱とそれに対するきゃみさんの戦いの日々だったと言ってもよいだろう。4年間通算で歴史部で最も苦労をしょい込んでいた男、歴史部が好きだったからそれこそ買ってでも苦労をしょい込んでいた男、それかきゃみさんである。
 その強烈な個性は学習会においていかんなく発揮され、わたしにとってはきゃみさんなしの学習会などは考えられないものとなっている。また人当たりのよい性格、気前のよい性格は多くの部員に愛されている。
 隠密漫研の総元締め。98年現在郷里で家事手伝い中(*実家の事務所の事務員じゃい)。


(評)赤いナポレオン 第五期生 75年年度生まれ 94〜99年度在籍 専攻:世界史・政治経済
職歴三代目法王・書記


 「きゃみさんは第五期生という異色集団の代表だがトップではない」。これは部長を務めて対外的に制度・キャラククーの両面で歴史部代表となったきゃみさんと、歴史部内の最高名誉職?である法王を名乗り、疑う事なく部内トップの異色キャラクターである赤いナポレオンの関係を示した一言である。
 「まあ、なんとかなるわ」「まあ、よう、とろくっさいことばっかり言っとったらいかんわ」などで知られるあまり上品ではない名古屋弁の口調と、エロ・グロの絶妙にブレンドされた危険な香りを放つ健全な精神の賜とはやや言い難いレポート。「よ〇」発言も何のその、政治理論と軍事理論、そして教職課程とK塾のチューターのバイトで培われた教育に対しての理論が独自に融合した肯定的な意味での人権や平和などという単語のしっぽすら出てこない「ゼロイズム」に代表される思想。「なんでそんなに波瀾万丈な人生なの」と皆が苦笑するほどの数々のプライベート、部内でのエピソードの持ち主。
 煙草と危険な会話を愛し、気さくで年上、年下を問わず部員からの人望は厚く、女性部員にも信頼されている。部内の日常雑務はまるで頼りにならないが、学習会で彼がいるのといないのでは三割から五割盛り上がり方が違うという存在感。かく言うわたしもレポーターの時は彼が来るかどうかを確認したうえで学習会のシナリオを練ったものである。
 また平日学習会(テーマ「民族」)の提唱者であり運営者であった。
 一面では部内有数の陰謀家の一人であり大学祭レポートから部内の人間関係、ボードゲームの「リスク」に至るまでその腹黒いところをみせた。
 時には奥三河へ、また時には名古屋港、そして蟹江・名城大学間を爆走した彼の愛車「移動〇地RAV4」とともに彼の名は語り継がれるであろう。
 歴史部餓狼三人衆の一人。ビリー・カーンの使い手でその容赦ない攻め口から特に『赤ナポ・ビリー』とも称される。「最凶」の称号をもつ。
 ※彼のエピソードもまたあまりにも数多いが、その中の一部を紹介したい。
1 赤ナポ支隊まさかの敗北!まちがいなくAをとれたテストに遅刻。
2 元寇「機動防御説」理解されず!大石助教授の歴史学1にて敗北。
3 赤ナポ支隊合流できず!コンビニでの一人忘年会。
4 新勧痛恨の失策!信長の野望はシルキーリップだった。
5 M・ファットマンに引導を渡す「まあ、ヨネやめさせるのかファットマンやめさせるのかはつきりせい」
6 「わたしおりる!」堤防上での出来事。
7 「パワーボムやっとった」赤ナポ研修生大立ち回り。
8 走れ赤ナポ!卒論提出2分前!!


(列)・bashi
職歴:96年財務(副部長と会計の兼任)


 ランバ・ラルが彼を評した言葉がある。「歴史部初の官僚」

(評)bashi 第五期生 75年度生 94〜97年度在籍 専攻:日本史
職歴95年度財務
 これを書いた人。主観的に見ても学習会への出席率は高かった。まあ、後はいくまが厳しく書いてくれるはずです。
*きゃみさん補足
 50年マフィアのひとり。歴史部で唯一、大学祭レポートに感動して入部した男。きゃみさん政権で他の50年マフィアが隠居した中で、孤軍奮闘きゃみさんの右腕として内政面を補佐してくれた。
 その後もきゃみさんの良き友として、きゃみさんと共に今なお歴史部を愛し走り続けている。ペンネームに「ドルアーガ」を使うことがある。


(評)大僧正 第五期生 75年度生 94〜97年度在籍 専攻:日本史
職歴95年度代表会メンバー


 俗世から離れたところに生きているとされる人物。飲み会などがあっても肉は食べず酒はたしなむ程度、枝豆・サラダ・野菜炒めなどを食す。合宿の帰り、養老インターで精進料理かと思って養老定食をたのんだが肉ばかりの内容で食べられなかったエピソードは有名。性格は温厚、憎まれない人柄、独特な口調とちょっとした毒舌の持ち主で年上、年下を問わず高い人気をあつめる。
 世間に愛想を尽かしたのか「ワシ、はよう死にたいワ」が以前から口癖だったが、本人の摂生のためかゲームセンターの余命測定機には不幸にも? 90代まで生きると診断されてしまった。
 日本史に関しては第五期生トップの知識をもち、例えば歴代天皇に関してなどはすぐに答えられる。専門は平安時代。また現代政治についてもプチトマトほどではないが強い。しかし世界史・現代史方面に片寄りがちだった大学祭レポートでは不本意なレポートを書かざるを得ないことも多かった。
 生来のノンビリ屋のためか遅刻の常習者でイベント・学習会を問わず遅刻することが多い。学習会が終わったころに顔を出すこともよくあった。
 将来、妹をプチトマトに、その間に娘が生まれた暁には娘を悪人に嫁がせることが三者の間で既に内定している。
 卒業後は京〇〇業大学大学院へ進学。
 愛称は「しのさん」「大僧正」「御坊」「坊主」


(評)つうじん 第五期生 75年度生 94〜97年度在籍 専攻:世界史
職歴95年度代表会メンバー


 「今の四年(第五期生)はみんなキ〇ガイ」とジュリーが言う中で(おまえが言うなよ)最も常識的と思われる人物。
 特に専門分野をもつわけではないので、時折部室で繰り広げられるあまりにもディープな軍事・政治の話について行けないこともあるが、奇をてらわない率直な意見を、しかも世間の観念としての大学生レベルの発言・レポートをすることができる貴重な人材。
 性格は温厚で安心できるまじめな人物であるが決して堅苦しい性格なわけではなくしばしば毒舌をふるう。栄一に言わせると「つうじんさんはけっこう悪い人だよ」ということだが栄一本人も「悪人」と呼ばれていることを考えると疑問符をつけざるを得ない。
 自宅が遠方で、しかも本人が「ユニーの奴隷」と自嘲するほどバイトを休めないため部の要職に就いたのは95年度の代表会代表取締役くらいのものであり学習会への参加率もそれほど高いわけではない。
 歴史部の餓狼三人衆の一人。主にジョー・東をつかい、投げ技の熟練で、当時無敵を誇った「赤ナポビリー」を破ったことにより「最強」という称号を得た。


(列)・ぢ
職歴:95年会計


 本来なら歴史部の中枢になるべきであった、96年にコワレチマツタ(中原中也より)ヒト。

(評)ぢ 第五期生 75年度生 94〜97年度在籍 専攻:世界史
職歴95年度会計
 第五期生きっての運営手腕をもっていながら中途で燃え尽きてしまった人物。真面目で頑固なところもあるが、性格は温厚、たまにキレることもあるが頼りがいがありユーモアがあり面倒見がよい。就職活動の際に見せた将来を考える姿勢は他の部員にはないものでありその面からも彼が運営から、そして学習会からさえ手を引いたのは非常にいたかった。 と、ここで思いをはせると、そういえばあまり彼と話したことのない自分に気づいた。決して彼を嫌っていたとかそういう訳ではないのだが。
(*きゃみさんの女房役として私が部長になるまで、色々手伝ってくた大恩人。公私ともに私の女房役であってくれた。
 下宿先が近かったため、コンビニのバイト帰りにいつも食料と酒を持ってうちにやってきてくれ、二人で大いに飲みあった。そして、 帰るときはいつも掃除をしていってくれて掃除をまったくしないきゃみさんにとって本当に助かった。あの頃きゃみさんは“ぢ”のヒモであったことは疑いようのない事実である。
 そして、彼にまつわるエピソードとして極度の方向音痴であることが有名である。合宿で滋賀にいくはずが、長野方面に走っていたり、地元石川に合宿したときは地元であるにもかかわらず道に迷い行き止まりにつきあたり、大学の回りでも・・・この手の話は彼については山ほどあるのでこれぐらいにしときたい。
 私にとっても彼がギャンブル道に堕ちて行ったのは痛かった、いや半身を持っていかれた気持ちだった。彼の不在により私は“いくま”いわく、「ブレーキをなくしたエンジン」となり、暴走街道一直線となったのである。)


(評)いなちん 第五期生 74年度生 94〜97年度在籍 専攻:日木史
職歴95年度局役員


 第五期生が異色の個性、異色の得意分野をもつ者を多く有したことが一つの時代、それがたとえ先人の遣産を食いつぶしたものだったとしても…を築く大きな原動力となったことはあらためて言うまでもないが、彼こそが、きゃみさん・赤いナポレオンといった明星の輝きさえもかき消すような妖星の煌めきをもってこの歴史部のみならず名城大学全体を包み込んだことは衆目の一致するところである。
 さて、彼についてはあまりにも様々なエピソードが知られており、その中で主だったものとされるものだけをあげようとしても枚挙に糸目がなく、また到底語り尽くせるものではない。これを読んだ方で「より“いなちん”という人物を知りたい」というアトミックソルジャーのように好奇心旺盛な方には、自他共に認める「現代いなちん学」の権威であるとともに、歴史部部長、軍令部総長を歴任したきゃみさん氏が膨大な量の聞き込みと自らの実体験を元にして描いた渾身の一作、「超・いなちん学」がその研究に対して最も質・量ともに優れた好著であると断言できる。なおこの著作はかの、失われた歴史部第一級資料である「イシダニアノート」を可能な限り復元したものでもあり、その意味でもこの著作の意義は大きいと思われる。
 ただ研究に際して最後に是非とも留意していただきたいのはベトナム戦争での戦争後遺症、阪神大震災での震災後遺症と並び世界三大精神後遺症の一っとされる「稲中」の発症への危険性があることである。正式症名は「いなちん中毒症」。目の前にいなちんがいると耐え難い苦痛を覚えるが、しばらく姿を見ないとちょうど麻薬の禁断症状のように無性に会いたくなってしまうというもの。前掲の『超・いなちん学』もきゃみさん氏の精神リハビリの一環として著されたものである。だがそんな危険を冒してでも妖星の妖しげな煌めきは好奇心を誘惑するのである。
 現在、四国高知県に生息中。


(評)Q 五期生 75年度生 94〜95年度在籍 専攻:日本史
 陽気なときはやたら陽気で笑い声が大きく、弱気なときはやたら弱気で心配症になり、卑屈と言ってもいいほどの低い腰と、「おいおい」と思うほどの尊大さを持ち合わせた人物。四期生のカツヒコ氏と対等な付き合いをしていると思っていたようだが、はたから見ればいいように遊ばれていたのは明らかである。退部の原因は“いなちん”とのいさかいであるが、普段は陰口をたたいていながら、「いなちん、メシ食いに行こう」とわざわざ誘って、2人で食べに行くというあまりにも理解しがたい友情?を考えると「結局なんだったんだ」と首をかしげたくなるところが多い。最後はきゃみさん宅にて「きゃみさん、いなちんに勝てよ・・・」と涙ながらに退部を申し出た。


(評)澤井くん 第五期生 75年度生 94〜95年度在籍 専攻:?
 う〜ん。どんなひとだったかといわれてもねえ。物静かな人でした。すいません、わたしにはそれくらいの印象しかないんですよ。二部生で、仕事が忙しくなって学習会に来れなくなったとかで退部されました。(*きゃみさんと一緒に大学祭実行委員をやったじゃよ。)


(評)ギャンブラー湊 第五期生 74年度生 94〜98年度在籍 専攻:?


 「湊さん」。同期の第五期生ですら「さん」づけをする、それだけの何かを感じさせる人物。比較するのも失礼だが同じ年齢で「いなちん」と呼ばれていたいなちんとは対照的である。
 部内の同好会のひとつでギャンブル研「鉄火場」の元締めとして近年は知られているが、かっては学習会にもよく顔をだしており、たまに見せるボケ・ツッコミは絶妙だった(過去形で語らざるを得ないのが非常に辛い)。
 幅広い知識と経験、鋭い洞察力、うけねらいとまじめな話を巧みに交えたまったく実はないが説得力のある話術と喰えない老獪さ、そしてカリスマ的な求心力の持ち主で(本人は自覚していないかもしれないが)無視できない闇の権勢をふるう、それゆえに求心力に衰えを隠せない学習会を中心と考える部員にとってはまさに保守的与党を脅かす恐るべき有力な反体制派の首領であると言えよう。
 ギャンブル路線が今後どのような影響を歴史部に与えていくのかは不明だが、それよりも首領がいなくなった後の「鉄火場」が金銭トラブルでもめないことを切に祈りたい。(*結果、学習会も歴史部自体も無くなりかけた。 )
 個人的には初めてのレポートの最後に“ぢ”につっこまれてしどろもどろになったところを氏に助けてもらったことは何よりもありがたく、また忘れ難い思い出の一つなのだが・・・ここまで書いていてふと思った。湊氏といくま氏はじつは鏡の裏表ではないだろうか?わたしにはそう感じられてならない。


レキシキトップへ

このホームページのホストは GeoCitiesです無料ホームページをどうぞ