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byいくま
第2回 植民地の典型―インド帝国をおってみる
前回の帝国主義の何たるかをイギリスを中心におっていきました。今回はそのイギリス帝国主義の最大の被害者―インドに目を向けて、被害者の側から帝国主義の実践面を検証しましょう。
1.東インド会社
「東インド会社は誰が監督していた? イギリス政府だ。会社の目的は? 税金を集めることさ。どうやってそれができた? 大常備軍をもっていたからだ。従業員は? 大部分が兵隊で、残りはお役人だ。どこと貿易していた? 支那(注:差別語ですねえ)と。イギリスからは何を輸出した? 度胸だ。輸入したのは? お茶!」(C・ノースコート・パーキンソン)
全盛期の東インド会社を理解する上で、簡潔な分かりやすい文章です。
1600年に作られた東インド会社は、当初は港湾都市に商館を持ち、貿易を独占しているだけの単なる会社でした。それが百年後には上の文章のように強力な、よく分からない存在になります。
最初の東インド会社は、ムガル皇帝のご機嫌を取ったり、オランダ人と海上で戦ったり、決してインドそのものを支配する存在ではありませんでした。
それが、ムガル朝の政治的崩壊にしたがって変化していきます。
18世紀頃からムガル朝の力は衰え、地方政権が次々に自立していきます。ムガル朝にこれまで頭を下げていたヨーロッパの各国は、インド内部で表だった抗争―すでに戦争にも等しい―を始めます。東インド会社はオランダと戦い、フランスと戦い、またこれらと同盟した藩王(マハーラージャ。強い自治権をもった各地の王)と戦い、勝利します。
そしてこの後、ムガル朝にも他のヨーロッパ諸国にも妨害されることのなくなった東インド会社は、パーキンソンの言葉のごとくなっていくのでした。
18世紀中頃に、ベンガル地方で徴税権を手にいれます。これは、東インド会社が単なる貿易会社から、インドの植民地経営組織に変貌したことを示します。
東インド会社は、各地の藩王やムガル皇帝と戦い、19世紀中頃にはインド全土をその領地とします。
*問題提起
意見A:混乱していたインドを、植民地という形であれ統一に持っていったイギリスの力は評価されるべきです。
意見B:前回のレポートにあるとおり、それは植民地主義のためであり、決してイギリス人がインド人のためを思ってやったことではありません。植民地として株式会社に支配されるなら、私なら混乱を選びます。それならば、インドの運命を決するのはインド人ですから。
2.ムガル朝インド
ムガルというのは、語源としてはモンゴルからきています。
1500年に滅亡したティムール帝国の王族が、インドに侵入してムガル朝を建てました。ムガル(モンゴル)とはいっても、民族的にはトルコ人に近かったのですが。
ムガル朝最大の領土を築いたアウランゼーブ時代の後、急速にムガル朝は崩壊していきます。もともとムガルたちはイスラム教徒だったのですが、インドの多くはヒンドゥー教徒であり、アウランゼーブのイスラム的政策(例えジズヤ)によって彼等の支持を失います。
もはやムガルには、イギリスやフランスが国内で戦争を行ってもそれを止める力もなくしていくのでした。各地の藩王たちはこぞってイギリスやフランスと同盟を結んで、彼等の私兵となって戦います。
1857年に大反乱が起きても、ムガル皇帝は情勢を指をくわえてみていることしかできませんでした。
*問題提起
意見A:これ程無力で、しかも外国人が征服した王朝に、インド人が苦しめられているのを放っておいていいのですか。
意見B:インド人のため、という言葉は単に帝国主義的侵略を被い隠すパッケージに過ぎません。帝国主義的圧政者のイギリスが、そんな言葉を吐いたことには、全く憤慨してしまいます。
3.1857年の大反乱、あるいは東インド会社の解体とインド帝国成立
セポイというのはヒンドゥー語のシバーヒー(意味は忘れた)からきています。
1857年といえば、中学校の教科書にも出てくるあの有名なセポイの乱ですね。イギリスは、このインド人傭兵たちの大反乱に結局1年もの時間を費やしてしまいます。
私なりにこの反乱の契機をまとめてみると、
α.イギリスの安価な綿製品によるインドの綿産業の壊滅→各藩王、諸部 族、その他宗教団体の収入消滅。
β.イギリスの「人道的政策」―例えば、カースト制の緩和、宗教的いけ にえ、英語教育―への、インド人の反感。特に知識階級
γ.エンフィールド小銃の導入にともない、小銃弾の包み紙に豚の油が使 われているという噂、さらにその包み紙を歯で破るように強要したこ と―これが直接の契機。
セポイというのは、αβγのすべてに当てはまる階級だったのです。実は彼等は歴史的に傭兵階級には珍しく上流階級の出身で、これらの契機全てからイギリスを嫌悪していたのです。
もちろんセポイ自身はこの大反乱の発火点にすぎず、これによりインド全土に広まっていた反イギリス感情が爆発するのでした。
最初に火がついた反乱軍はデリーに突進し、ほとんど隠居にも等しい生活を送っていたムガル皇帝を担ぎ上げます。
イギリス軍は各地で残虐行為を行い、そしてそれにも劣らないことをセポイもします。まあ、戦争にはつきものですがイギリス軍は占領した都市で無差別略奪・虐殺を繰り返し、それによって大金持ちになった兵士もいたくらいでした。
一方セポイたちも、イギリス人をとっつかまえて女子供まで殺して回ります。
まあ、どっちもどっちの行為ですが、一つだけ言えることは、この反乱がイギリスには反インド感情を、インドには反イギリス感情を、それぞれ強固に植えつけることになったのです。
結局のところ、寄せ集めのセポイたちはイギリス軍の敵ではなく、大反乱はイギリスの勝利で終わります。
この大反乱で、イギリスのインド支配は大きな転換点を迎えました。すでに経営組織から政治・軍事組織へと変貌していた東インド会社は大きな赤字を出しており(経済的に大きくなった組織は、やがてそれを守るために軍事的組織になるといP・ケネディの理論を実践しております)、またこの反乱の責任もあって、インドの支配はこの会社ではなくイギリス政府が直接行うことになりました。
ここにインド帝国が成立します。
*問題提起
意見A:セポイが行おうとしたのは、結局のところムガル皇帝の統治復活であって、ムガル皇帝というのは、インド人を征服したモンゴル人に他なりません。イギリス人を非難するならば、ムガル皇帝の統治も非難すべきです。22年の歳月にわたってインド人を酷使し、多大な税金を使ってタージマハルを作るような王朝は、東インド会社の統治よりもよいというのでしょうか。そもそも、カースト制をせめて人道的にしようと努力したイギリス人の行為を、全く非難するのはどうでしょう。
意見B:少なくともムガル朝は、インドの綿産業を壊滅させるようなことはしませんでした。もとはモンゴル人であっても、インドに帰化してインドのために政治を行ったはずです。現に、タージマハルを作ったシャー・ジャハンは、息子のアウランゼーブに追放されているのです。このことだけでも、ムガル朝は少しはインドのためを考えていたのだと私は思います。その点イギリスはどうでしょう。イギリスがインドにどんなことをしましたか。産業を崩壊させ、アヘンを製造させ、自給自足を破壊したのです。傭兵さえも、怒りに燃えるようなことをインドにしたのではないですか?
意見C:イギリスかムガルか、と言う選択は馬鹿げています。重要なのはインド人の自治というものであって、それはイギリスもムガルにもどちらにもありません。
意見D:問題はイギリスでもムガルでも自治でもなく、銃弾の包み紙なのです。これに全ての責任があります。
4.独立まで
70年間続いたインド帝国のその後を軽く触れていきます。
インド帝国は、前回書いた帝国主義の構造をそのまま地で行きます。これですね。
「金融資本の、産業部門は植民地から原材料を安価で持ってくる
→商品を作る→植民地に売る→産業部門は儲かる
→産業部門と一体である銀行部門も儲かる
→金融資本の、銀行部門が産業部門に金を貸す
→産業部門はその金で工場を建てたい
→どこがいい?→労働力の安い植民地がいい
→植民地に工場を建てる
→商品を作る→植民地に売る→儲かる
→また工場を建てよう!→どこがいい?→植民地がいい……」
少しだけイギリスを弁護すると、この構造によってインドの産業の基盤ができたことも事実です(あくまでイギリス資本の、というつけたしは必要ですが)。
第1次大戦ごろからインドの民族運動が盛んになっていき、あのマハトマ・ガンディーが登場します(詳しくは映画でもみましょう)。
イギリスはそれを押さえるために、インド人を令状抜きで逮捕したり、裁判無しで投獄したりします。この措置はますますインド人を民族運動にはしらせました。
ネール、ガンディーらに指導される民族運動はさらに激化し、イギリスは1935年には新インド統治法を制定して懐柔策を取りました。
第2次大戦を経て、イギリスに協力したインドは1947年に独立します。
*問題提起
意見A:カースト制で、サティー(夫が死ぬと、妻は生きたまま焼かれた)が続けられたほうがよかったですか? 否! ムガル朝がつづいて、高い税金を戦争や建築などの、非生産的なことに浪費されてよかったですか? Nein! イギリス資本が導入されず、独立後の工業国への道がゼロの状態がよかったですか? Het! イギリスによる高い教育は無意味だったのですか? Non! 現在のマハーラージャたちを見なさい!あんな状態が全国規模で続いていたほうがよかったのですか! 不良! イギリス人の行ったことは、インドにとって害しかもたらさなかったのですか? 違う!
意見B:イギリスがもしインドのために何かを行ったのだとしても、それはイギリスの帝国主義の利益にそうからインド人に施しをくれてやったに過ぎません。カースト制への非難も、イギリスのそれは押し付けを感じます。それはインド人が決めることです。イギリス人の、人道の押しつけはもう沢山です。それがどれだけ帝国主義に利用されるかを考えると、インド人が自分で選んだカースト制さえましなように思いますね。自由か、しからずんば死か! インドの運命はインドが決めるべきです。
意見C:イギリス帝国主義はインドから出ていくべきです。しかし、インド政府がインド国民の意志を代表しているとも思いません。主要な言語だけで百個以上あるあの国を、一つの政府が代表できると思いますか? そもそもインド政府も、独立後にパキスタンと戦って国民を戦争に引き込んでいるではありませんか。今では核兵器さえ持っています。私はイギリスはもちろん支持しませんが、インドも支持しません。非暴力・不服従の精神はどこへいってしまったのでしょう。
意見D:「日本インド化計画」にのっとって、インドを買い取りましょう。
座談会
賭け王:なあなあ、度胸いくらで売ったん?
いくま:5ルピー。
全員:マハラジャとは何ですか。
いくま:日本で言うなら大名のようなもの。現在も存在し、世界のお金持ちのベスト10に必ず入ってる。
インドは何で統一国家なんだろ。言語も宗教もばらばらなのにね。
亀さん:一つにまとめるのは無理があるのでは。
いくま:分割統治はイギリスのお家芸です。
(ちょっと休憩)
いくま:(インドの歴史をたらたら語る。みんなうんざり)。ところで、ジズヤって何か知ってる?
きゃみ:人頭税でしょ。
いくま:おを。さすが。
問題提起について
法王:A。今のインドの子供たちが大変。
賭け王:A。夢がある。
夫婦生活:B。やりすぎでは。
亀さん:C(B)。どちらも納得いかない。
きゃみ:B。
次の問題提起です。
亀さん:B。イギリス人よりモンゴル人のほうがまし。イギリス人は利用するためだけにきたのであって、モンゴル人はまがりなりにも国をまとめようとした。
夫婦生活:A。イギリス人が好き
法王:A。征服王朝は清も同じでしょ。清の場合は漢民族の誇りとかあって反乱など起こすが、インド人は独立の努力が足りない。弱いなら弱いなりに頑張らなくてはならない。
いくま:一応、諸民族はムガル朝に反乱したんだけどな……。
賭け王:B。モンゴルが好き。
(話しはセポイの乱にうつる)
法王:セポイんの乱ていうと、イギリス人がセポイ取っ捕まえて、大砲に詰めて撃っちゃったやつでしょ。
全員:へぇー。
(そこからカースト制の話)
いくま:カースト制というのは恐ろしい制度でそこから利益を被る人間だけではなく、明白に差別を受けている人間さえも熱狂的に支持していたらしいよ。例えば、どこだかの食堂で、違うカーストの人が一緒の場所にきちゃったことがあったんだ(カースト制では、違うカーストの人間とは一緒の場所にいてはいけない。身が汚れるから)。「おい、こんなところでは飯は食えないよ」といって店を出ていったのは、高いカーストの人ではなく、低いカーストの人だったんだって。
さておき、そう言ったカースト制やインドの文化に、ちょっかいだしたことがセポイの乱の原因の一つでもあるらしいよ。イギリス人としては善意のつもりでやったんだろうけどね。
次の問題提起
賭け王:D。なんや、この答えわいのためにあるようなもんやな。
法王:D。んじゃ、僕も。
夫婦生活:A。イギリスを批判するよりは、ムガルを批判したほうがいい。
亀さん:B。
きゃみ:C。
いくま:A。モンゴル人に支配されるよりは、イギリス人に支配されるほうが未来がある。
最後の問題提起。
賭け王:A。
法王:A。帝国主義者で偽善者だから。
夫婦生活:A。カースト制よりイギリスのほうがまし。
亀さん:BかC。現実的なのはB。非現実はC。だからB。
きゃみ:B。他国の文明は批判できません。
いくま:A。帝国主義者だからです。ちなみに、
Aの意見は「帝国主義的偽善」
Bの意見は「民族主義的非進歩性」
Cの意見は「単なるアナーキズム」
Dは……。
(ところでガンジーの話)
法王:ガンジーっていつごろ死んだの。
いくま:独立後すぐです。ところで皆さん。ガンジーは白人だったんだよ。
全員:ええー!!
ガンジーは白人(アーリア系白人)だったという新鮮な驚きをもって、このレポートは終わったのだった。
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