帝国主義トップへ

日清・日露戦争

byランバ・ラル
日清戦争
Qこの戦いで日本の求めたものは何であったか?
・ただ純粋に朝鮮半島が欲しかった。
・清から満州での優先権(鉄道など)を認めさせたい。
・この戦勝により、列強国に日本の強さ、実力をアピールする。
     ・
・富国強兵策にのっとり、植民地をとり、周辺の利権を握るのはもちろんのこと、このことを世界に宣伝し日本が当時「眠れる大国」と言われた清と戦い勝つことにより、英仏などの大国にアピールし、そして今後の条約改正交渉(権利回復)を有利に進めることができる。
条約改正交渉の歩み
         改正案の内容            経過、結果
1872     主に法権回復            欧米視察、予備交渉
1878     税権回復              米賛成、英の反対により失敗
1882     法権・税権一部回復         欧化政策(法典編纂・鹿鳴館)
〜87      外人判事任用・内地雑居       改正予議会→内外の反対で失敗
1888〜9   外人判事を大審院に限る       国別交渉、違憲問題で遭難
1891     法・税権6年後回復         英同意。大津事件で引責辞職
1894     法権回復、税権一部回復       英と調印、他14カ国とも調印
1899                         改正条約を実施(有効期間12年)
1911     関税自主権回復           条約満期に伴い、改正・調印・施行

 上の表からして1868〜1894までの日本は諸外国からあまり信用されていない国家であったようだ。どこの国も急に造られた国家にまかせては自国の利益、安全は守れないと思っているようだ。日本は日本で当時の国際社会に早い時期に国としての信用を回復しようとやっきになっていたため、最終手段としての“戦争”まで行ってしまった。日清戦争以前と以後とでは段違いに交渉が進んでいる。どうやら、当時の大国と戦い、勝つ又は引き分けにすることにより条約改正を行い、国家的信用を築こうとした。これが私の“日本の帝国主義路線”であると思う。

日英同盟
・ロシアに対抗するためには日本しかない。
・日本が列強並みになったこと。
・イギリスと同盟を結ばなければロシアと戦争しにくい。
イギリスがなぜ日本と結んだのか?
・イギリスからシベリアに行くのは遠すぎる。
・イギリスが世界中の植民地などに兵を派遣しているので、ロシアに派遣する兵があまりない。

日露戦争
・列強の中でも日本は弱い方だから、他の列強並みになるには、戦争をして領土を拡大しなければならない。
・戦いに勝って日本の力を世界に示す。
・短期決戦でないと日本は勝てない。
・日本は陸戦は不利だが海戦は有利。
・ロシアは国が古く、国力が衰えているが、日本は維新からあまり年がたっていないので、国力がさかんである。
日露戦争は侵略か防衛か?
・ロシアが満州→朝鮮と進出してくるので、日本の生命線である朝鮮をとられる……それを守るので防衛である。
・勝ち続けているのにここで負けると列強としての地位が危うくなる。
ポーツマス条約
・日本もロシアも戦争を継続する力がなくなったから結んだ。

まとめ
・旅順の攻防戦が日露戦争を象徴している。
・戦争に勝つのは士気。
・日本の帝国主義を進めたのは日英同盟であるので、結ぶべきではなかった。
・日本が世界情勢についていっていない。
・戦争して勝つことが日本が世界に認めてもらうための手段である。=帝国主義

帝国主義トップへ

このホームページのホストは GeoCitiesです無料ホームページをどうぞ