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植民地経営
byランバ・ラル
日清、日露戦争により、日本は台湾、朝鮮半島、南樺太にまたがる帝国主義体制国家へと成長し、英仏などの列強国家と肩をならべるまでになったが、その植民地経営の方法はどのような物だったか?
・天皇制軍国主義
なぜ日本が先の2つの戦争の資金を得たのかというのは殖産工業に努めたがそのほとんどは国民に重税を課して戦争を遂行していたためである。戦時はたくみに宣伝し納得させればよかったが、戦争が終わるとただ税を課すだけでは国力は低下してしまう。国力が低下してくると国内の不満をおさえるためにその穴埋めを外の領土から求めて、国力の不足分を穴埋めする。
こうして植民地支配が天皇制の物質的基礎となると同時に国内の不満の要因である資本主義的発展にとってのはけ口にもならなければならないことを意味するものだった。こうして日本の植民地はそのほとんどが大日本帝国の維持のために収奪されていった。
☆日本の場合はまず国が植民地経営を先導して行い、あとから遅れて育ってきた民間資本を育成している。(ホントカァシラン)が、民間資本に利益を独占させなかった。そしてそのほとんどが政府ひいては軍部の監督下にあった。(軍政下etc)
台湾の場合
(1)1910〜14(明治43〜大正3年)の五年間に林野の調査を行い民有地3万1179甲に対し官有地75万2091甲も所有していた。
(2)上の助長策により1906以降内地資本の輸出が始まり、特に砂糖が中心に輸出されていった。
1906、工場数7、資本金合計622万円→1914、31、1億210万円へと成長。
(3)このように資本輸出はふえたが、砂糖、タバコ、製茶などの農作物にかぎられてしまい、住民に必要な繊維、金属、機械工業はすべておさえられていた。
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台湾の場合は日本により原料・食料の供給地、商品と資本の輸出対象地として植民地支配は確立された。(軍政下?)
朝鮮の場合
(1)日本の戦勝や、ヨーロッパの政局変動により三国協商vs三国同盟の構図は対立を深め、その逆作用によりアジアにおける日本の地位は向上した。その結果日英同盟更新、日露、日仏協商が成立した。
(2)このような対外関係の有利さを利用し、朝鮮での警察権を獲得し「朝鮮憲兵政治」といわれるほど武断政治を行った。
(3)抵抗は激しかったがそのほとんどを武力で鎮圧し国内のすみずみまでに憲兵隊を拡張させ、1910に統合された。
(4)後は台湾とほとんど同じだが、鉄道・通信網が整備されている。
満州の場合
・1909に清と協商をむすんでからは関東軍、領事館、関東庁、満鉄の4本柱で運営されている。唯一鉱物資源が豊富な場所なので日満の貿易関係は1910〜1914の間に輸出量は2256万6000海関両から3648万9000に、輸入量は2076万3000海関両から3232万1000になっている。
◎三つの場合に共通していることは国内資本蓄積が不十分で金融資本が確立せずに資本輸出を行っている。なぜなら中国、満州への列強進出を防ぐために資本を投下せざるをえなかった。国内の資本主義発展水準を無視した投資は国家資本と外貨にたよるしかなかった。軍事力を最優先、それによる民間資本の不足は外貨を投入しなければならなかったのだ。
どうやら日本はまず軍隊をおくって、徐々に経済でしめ上げるという策をとったが、急速に軍が肥大化し経済支配がおいつかなくなり、結局軍政による植民地支配が経済支配を駆逐したのだろう。もちろん軍政といえば「天皇陛下万歳」であるからして、朝鮮のようにしめ上げていったのだろう。
まず軍事がなによりも優先された支配権が確立されたあたり「明治」というおくれた国の悲劇であろう。そしてその遅れをとりもどすために日本は膨張しつづけるしかなかったと思う。
◎シベリア出兵と21カ条要求
上記に書いたことの延長であると思う。日本は植民地をあれだけとったのに日本は国内に完全な金融、交易、産業体制をつくり上げるほど余裕がなかった。植民地を持っていると言っても、国家資本だけでは足らず外国の資本にもたよるしかなかったので、常に外国を戦って勝ち、その権益を奪い取るしか飢えを満たせなかった。
このあたりモンゴル民族が南方の農業国家と戦い、その富の収奪を計り、常に中国にあこがれをもっていたところに似ている。が、騎馬民族と農耕民族では考え方、風習、社会通念が違う。そして1900年代はその諸々がほぼ1つになりかけようとしていた時に日本は天皇的封建国家をつくり上げ、前世紀の騎馬民族のように行動していた。おかげで諸外国ににらまれ、撤兵、撤回を繰り返したが。
だいたいこのあたりから欧米のまねではなく日本独自の道を歩みだしたようだ。常に列強にあこがれて何事もまねをした昔の影はなく、「威信を保つためにはまず軍備、次に経済」といった日本流帝国主義が完成したと思う。他国から見れば「西洋のまねごとをしている野蛮人」のようだが日本にはそれなりの理由で侵略、進出し続けなければならない理由もこの当時に作ってしまったと思う。太平洋戦争に影響しているかな。
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