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日本史班「まとめ」
(意見・質問・疑問その他)
日本史篇・第3回
◎意見
・軍備力は必要である
◎質問・疑問及び対する回答
・軍事力はなぜ必要なのか?
→植民地政策には不可欠なのではないか
日本史篇・第4回
◎意見
・ワシントン体制は打破すベきである
・日本の時代による天皇制の違いというものがあり、時代が進むにつれて軍部に権力が移行していったのではないか
・条約面を主体に外交面を見て、列強国から見た日本、日本から見た列強(英、米)を考えてみた
・日本から見た列強国との条約について政治家・憲法・天皇との関係が条約に関わると考えようとした
・軍事面についてだけでなく、企業、金融のことも知りたい
・軍部が内閣より優位になる経緯が知りたい
◎質問・疑問及び対する回答
・天皇の無能・有能なんて関係あんのかな?
→国民には関係ない
・大正期の天皇は無能であったから軍部の暴走を招いたということは、それ以後の軍部のなせる業はすベて軍部に責任があるのであって、天皇に責任はないということだろうか?
・天皇の位置変遷について明治に関して疑問である
・一応全政権の顔だからその意向に沿っていたのではないか
・江戸時代の将軍などと同等の「政権の頭」ではないのではないか?
・明治維新後、大正期に天皇は無能、とあるが、それまでの天皇は神格化されていたのか?もし神格化されていたのなら、そうする必要は果たしてあったのか?あくまでも当時の上層部は政治的に利用したかったのか?
・外交と軍部の強化との絡みは?なぜいきなり軍部が強くなったのか?
→軍人の作った内閣と軍、海軍大臣、陸軍大臣は軍人しかなれないので、軍人がなってくれないと結果として内閣がつぶれるから
日本史班「まとめ」
日本は“後れて進出した国”である。しかも他の国々とは違い、ヨーロッパの先進国の知識をあまり知ることなく、近代国家を成立させた。つまり近代国家としての基盤をつくらずに大日本帝国をつくったのだ。さらに徳川幕府と諸外国との条約を引き続いていたのでまったく不利な状態で明治維新を行った。
まず明治政府は、隣の清の様子を見て、国として認められる為にはまず、日本がいかに強い国であるかを示すことが必要であると考え、まず当時最新の文明である英・仏・米などから技術文化輸入を行った。“欧米のまねをすれば自分もあの様な国になれる”と考えたのだ。そのおかげで日清・日露の戦争に勝ち、条約改正も行い、植民地を順調に征服できた。ここまでは政府はしっかりとした目的を持ち、どこまでを目標と定め、達成したらすなおに引き下がるという行動をとっていたが、第一次世界大戦前後より、ただ日本の肥大化を望むのみとなった。確かに日本は列強の真似をしたがそれは欧米の帝国主義ではなく、軍事力の成長に経済力が追いつかず、現地の支配のほとんどを軍政下に置いてしまうものであった。経済・宗教による進出により、まず軍隊が土地を占領する−デミ・インペリアリズムと呼べるものであった。この様な支配は占領された民族の反発を招き、更に悪い事に1910年あたりから日本はそれ迄の成功に酔い、戦争すれば必ず成功するという考えを持ち、常に国内は経済的に不況だったので飢えを満たす為に、また新たな植民地を押さえる。この様な目的の無い無意味な膨張は、その後の太平洋戦争へと突っ込んで行った。
日本は列強の真似をする事に先進国の仲間に入ったが、その植民地競争には常に“遅れた国”としての引け目を感じずにはいられない。しかしこの行動を採らなければ今の日本とは随分と違った形で国ができ、私達の名も外国風になっていたかもしれない。
〜自己の繁栄は他人の犠牲から成り立つ〜
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