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愛国者への手紙12章1節
by赤いナポレオン
(A)54回目の一億総懴悔
1945年8月15日以来、「懴悔」は日本人にとって夏の風物詩となっています。では何故我々は「懴悔」するのでしょうか。その懴悔は一体何に対して向けられたものなのでしょうか。仮に貴方を例にとって考えてみましょう。貴方は何に対して懴悔しているのですか。解答:「戦争中に占領し迷惑をかけた中国・東南アジアの人々に対してです。」「第二次世界大戦の敗北は、明治維新以来培ってきた日本文化の敗北です。私は自己批判の意を込めて懴悔します。」「無謀な作戦の為に命を落とした多くの兵卒の為です。」等々・・・答えを聞き出したら際限がないでしょう。かの昔、幾何学の世界では全ての疑問を紐解く黄金律(絶対普遍の公理)なるものが存在すると信じられていたそうですが、どうやら私達の「懴悔」の対象を明らかにする黄金律は存在しないようです。
それではここで発想を変えて日本語における「懴悔」の意味を考えてみてはどうでしょうか。「懴悔」とは、既に犯してしまった過ちに対して全面的にその非を認識し謝罪の意を込めて自己批判を行う行為を指しますが、その行為自体の目的は自己満足といった内向的な方向へ向けられたものではなく、延長線上には更に発展的な営み「反省」が存在するのではないでしょうか。生物にとっての「反省」とは、経験により得た情報をフィードバックし新たな行為に有効に反映させてゆく行為であり、広くは「学習」といった行動定型の範疇に入る行動定型のひとつであります。しかしながら実状はどうでしょうか。54回目の「懴悔」に何か目的を見出している日本人が果たして何人いると云うのでしょうか。「何に対して頭をさげているか分からない。」「周りが頭をさげているから私も下げる。」といった声がどこからか聞こえてくる様です。
今から60年前、旧日本軍は外蒙古の草原地帯で勃発したノモンハン事件において、強大な機械化兵力を前に消耗戦を繰り広げました。そしてその5年後、今度は灼熱の太陽射す太平洋上の小島ガダルカナルにおいても史上有数の大消耗戦を繰り広げました。同じ失敗を二度犯した旧日本軍、意味も無く頭を下げ続けている現代人。両者の対比から導き出される結論は「学ばざる軍隊・学ばざる国家・学ばざる国民・学ばざる日本人」だと思うのです。この民族にとっての54年前の「一億玉砕」の歴史的体験は何だったのでしょうか。確かに歴史は飯の足しにはなりません。しかし一個の個人として、もしくは有機的な社会集団(国家)にとって正しく歴史を紡ぐことができる資質を有しているのか否かと言う問題はその存立基盤を問う命題ではないかと不肖この私、愚考する次第であります。かくして本年も実体の無い54回目の一億総懴悔が幕を開ける訳です。
(B)対愛国者の広場
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