言語テロリストたちの哀歌トップへ

フェミニズム一考

by赤いナポレオン

  〜現代社会の中での女性〜
 田嶋陽子は何故吠えるのか?それは彼女がフェミニストだからである。フェミニストと云う輩はフェミニズムを信奉する者達のことでありフェミニズムとは女性の社会的地位を向上させていこうとする社会思想である。どの様な形であれ社会の中で積極的に吠える人間のモチベーションというのは彼等が社会の中で感じる何らかの「閉塞感」である場合か多い。しかしこういった種の人間がアピールする「閉塞感」は世俗の多くには当の本人の意図に反して単なるヒステリーだと受け取られがちである。何故そうなるのかと云えばこれらの思想の下層には歴史的・社会的な裏付けが不明確だった為である。
 それでは本題でもあるフェミニズムにそれがあるのか。それに関しては「ある」と仮定しなければ本論は成立しない(例え私がそれに納得しかねてもだ)。しかし人類社会は先史以来「男社会」であったことは歴史を振り返れば明らかである。

  〜革命〜
 「革命」といっても某少女向けアニメのことではない。革命を起こす原動力となるのは前述した「閉塞感」である。例えば市民革命の折りには新興市民層(産業資本家が中心)が封建的特権階級による支配に対して「閉塞感」を感じた筈であるし、ロシア革命の折りには、プロレタリアートがブルジョワジーの支配する非人道的な資本主義社会に対して何らかの「閉塞感」を感じたのであろう。そして本論のテーマでもある「女性」たちもまた、「男社会」に対する閉塞感を感じていた筈である。そういった意昧ではフェミニズムもまた一種の革命思想であろう。

  (1)歴史の中での女性
 人類社会は基本的に「男社会」である。人類は先史より拡大再生産を繰り返し現在のような資本主義文明を築き上げてきた。「働かざる者食うべからず」と云う言葉があるがそれは、生産活動に寄与しないものには人として生きる権利がない考えを端的に示したものである。男性には力(物理的な)があるが故に生産活動に関与することも可能である。昔から「女・子供」という言い方がある。ある種の侮蔑を込めたこの表現は生産活動に寄与しない種の人間を人間としてみない排他的な思考が込められている。しかし女・子供などの社会的弱者が社会の中において生産力であり得なかったのは産業革命前までの話であり、産業革命以後は科学技術の進展によって少ない労働力が補完され生産力自体が向上した。つまり現代社会においてはこうした生産性の観点から男女の性差を論じることは不可能ということになる。

  (2)資本主義構造としての女性
 女性は子孫を増やし、授乳などの手段によって未来を担う子孫を育成する能力を有している。故に女性は先史の昔より留守の家庭を預かる役割を果たしてきた(しかし家父長は現代に至るまで稼ぎ手である男性であったが)。それが歴史の中で生産に寄与しない(もしくは許されなかった)女性が社会の中で果たした唯一の役割であったのだがその後、科学技術が進歩し資本主義文明の華やかりし現代においても女性の主な仕事はと云えば「主婦」であるとする我々の認識は依然として変わっていない(このステレオ化された認識は寧ろ我々の停滞した歴史観の限界を示すものとして問題にされなければならないのだが…)。といっても別に家庭の主婦が悪いわけでもなく。主婦というのは決して悪い仕事でもない。寧ろそれは現代の資本主義社会に欠けているものを補完する仕事だということを我々は更によく認識する必要性かあるだろう。
 資本主義は人間一人一人に値段を付ける(賃金のこと)労働者は日々、労働力を資本家に売ることによって飯の種を得る。資本家は労働力によって加工された商品を売却し利益を得る。更に資本家はその収益の一部を活用し生産設備を拡大することによって拡大再生産を試みる。延々とその繰り返しによって資本のメカニズムは回転し続けるのである。ところで何か忘れてはいないだろうか、資本家はより高い収益を得るために絶えず生産設備(機械なんかね)の拡大に執心するが、労働力に対しては何を施すというのだろうか…(解答)何もしません。

(反論)いや、私共は福利厚生にも重点を置き社内一家族の精神を…
(更に反論)そんなものはおためごかしに過ぎない。利潤追求と一人一人の豊かな社会生活とは相互に背律的なものであって両立しえない。

 言うまでもなく、資本主義社会における神は金である。資本家はより多くの金を得るためだけに行動する。人間のみならず生物は指向性を待った存在である。昔、あるお笑い系エンターティメント番組で松本人志が「俺にチ〇ポがついとるんやない、チ〇ポに俺がついとるんや」と宣ったが、この一言こそ人間の存在性を極めた至言であろう。だから資本家を責めてもどうにもならない。金こそが全てであってそこに道義・地球に優しい環境などといった甘っちょろい要素など入り込む余地もないのである。だから労働者、「自分のことは自分でやりなさい。君たちにあげた賃金でソープに行こうがヘルスに行こうが競馬に行こうが知ったことではないから。だけど体壊しても知ったこっちゃ無いよ」…これが資本家の本音である。
 だから労働者は自らの労働力のメンテナンスを行うために「家庭」へ帰ってゆく。家庭へ帰ればカミさんが持ってる。飯が食える。ただでSEXできる。鋭気を養える。しかしカミさんがいなければ、外食する(サバみそ定食 750円也)。帰り道にふらっと歌舞伎町・女抱く(指名料 3000円、1時間フリープレイ 35000円也)。銭湯に行く(600円)=しめて3,9350円也…これでは労働力拡大再生産どころの騒ぎではない。つまり明日の拡大再生産の為に家庭には無償の労働力が必要なのである。即ち女=カミさん。別にダンナが悪いわけではない。資本主義がダンナにそうさせているだけなのである資本主義は自らの発展のために女性を奴隷として位置付けることを選択したのである。実は資本主義社会を陰で支えていたのは女性だったのである(こんなことよくよく考えれば誰にでも分かることなのだが…)

  (3)女の革命
 「革命」は社会が停滞状況に陥り、革命の主体がそこに「閉塞感」を感じた時に起こることは前述した通りである。何故停滞するのかといえば社会のバランスが誤差を生じてきたからである。その誤差とは言うまでもなく科学技術の進展によって可能となった社会的弱者たる女性の社会進出のことである。少しでも政治学をかじった人間ならば分かることだが政治というのは全体としての利益をいかに合理的に公平に社会の成員全体に再分配してゆく作用のことを指す。「成員」とは憲法などの政治理念上では国民全体(無論、女・子供・プーも含む)を指すと解釈すべきだが、実際は生産活動に寄与している人間を指すのみである。
 およそ革命は、今まで社会の中で制度外的存在として位置付けられていた存在が急激に他の連中並に社会に寄与するようになり初めて自分が成員の一人だったのだと自覚することから始まる。そしてしばらくたって冷静に自分の足下を見てみれば自分には何の保証も権利も富も無いことに気がつくのである。その時点で初めて権利獲得のための闘争、即ち革命に火がつく。
 この革命が成功するか否かは革命家の手腕にはよらない。革命にとって最も重要なファクターは「現行政権の柔軟性」である。もしも現行政権が新興層の権利要求を素直に認めて配分計画の是正を実施すれば革命は失敗するし、現行政権がこれら新興層の声を黙殺し警察権でもって弾圧すれば革命はいつか成功する。
 さて女性の場合はどうだったのか。彼女等にまず最初に接近したのはヒゲオヤジ(カール・マルクスのことね)であった。オヤジは彼女等に長々と資本主義の害悪を説き利潤を獲得するのは資本家だけだということ、そして彼女等が資本主義体制によって目には見えない形で奴隷階級として位置付けられていることを雄弁に語ると彼女等はヒゲと共に革命に殉ずることを決意した。しかしその直後、資本主義の側から打ち込まれた核弾頭によって彼女等の決意は脆くも崩れさったのだった。
     <男女普通選挙制の施行>
 こうして政治いや革命思想としてのフェミニズムはその命脈を絶たれたのでした。

  (4)フェミっ娘革命闘士 プリティー田島ヨーコ

プリ:見つけたわよバイブ男。世の女性をお前の好きにはさせないわっ
バ:性懲りもなく現れおったなプリティー田島ヨーコ。しかしもう遅いこれを見ろ

 〜亀甲縛りの上にパイプ攻撃。もんどりうつ風俗嬢〜

プリ:何て非道いことを。でもバイブ男よ、お前の負けね彼女の目を見てごらんなさい。決して情欲に溺れることなく彼女の瞳は明日の女性解放をみつめているわ
バ:ふははははーバカめもう一度よく見てみるがいい
プリ:ええっ

〜苦しそうな彼女の瞳。しかしよく見るとそれは苦痛ではなく恍惚としていた

プリ:ちくしょーあんた達にとっては所詮女なんて「穴と腹」だけに過ぎないのね
バ:何を寝ぼけたことを。この文明社会においては最早子供なぞつくる必要もないわ、いざとなったら試験管で…貴様らは「穴」に過ぎん。貴様らは永遠に男文化の奴僕なのだー

 予想以上に饒舌なバイブ男の出現に苦境に立たされるプリティー田島ヨーコ
 彼女はこの危機を脱することができるのか  to be continue…

言語テロリストたちの哀歌トップへ

このホームページのホストは GeoCitiesです無料ホームページをどうぞ