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ゲームについて


by津痔

 ゲームといっても様々あるが、今回は家庭用ゲーム機について書く。
 今の時期、よく聞くゲームのハード(ハード=本体)は「プレイステーション」、「ドリームキャスト」、「ゲームボーイ」、「NINTENDO64」などであるが、このような状態になったのも、ゲーム機には短いながらも、濃密な歴史があるからである。

 初めてのゲーム機と聞いてピンと来るのは、任天堂のファミリーコンピューターであると思うが、実はもっと以前にも存在していたのである。例えば、
(1)81年7月に発売された、エポック社のカセットビジョン
(2)82年6月に発売された、バンダイのインテレビジョン
(3)83年3月に発売された、同じくバンダイのアルカディア
・・・などである。これがゲーム機乱立時代の始まりとなった。そして、83年7月に任天堂よリファミリーコンピューターが発売された。この時の熱狂はかなり凄かったようで、学枚によっては禁止令も出たようである。
 これ以後も、セガからメガドライブやら、PCエンジンなどという機種が登場したが、任天堂一強は変わらず、まさにファミコンの全盛期であった。

 更に、90年11月にスーパーファミコンを発売した任天堂は、その地位を不動のものにした。それ以降4年間は任天堂の天下が続いたが、94年11月にセガから「セガ・サターン」が、94年12月にはソニーより「プレイステーション」が登場し、ゲーム機の勢力分布図は大きく変わった。しかし多くの人がすぐにこの32ビット機に飛びついたわけではなく、ソフトが出揃っていくのに並行して変化が起こったのである。
 そして任天堂もこの32ビット機戦争に乗り遅れまいと、96年6月に64ビット機の「NINTENDO64」を発売した。ついにセガ、ソニー、任天堂の三つ巴の戦いになったのである。

 結果としては、ソニーのプレイステーションの圧勝であった。その理由は、やはりソフトが充実していることが大きかったと思われる。スーパーファミコン時代、大人気を誇ったスクウェアの「ファイナル・ファンタジー」シリーズや、エニックスの「ドラゴンクエスト」シリーズが、プレイステーションで発売されることなどであったり、更にプレイステーションのソフトの幅が広かったということも理由として挙げられるだろう。
 例えば、アーケードゲームで人気の「ダンスダンスレボリューション」や、「ギターフリークス」などの移植を行ったり、ユーザーの対象をあまり限定しなかったことなども理由として考えられる。

 そして、ソニーの一人勝ちのままだったのだが、98年11月にセガが「ドリームキャスト」という新機種を発売した。ここでセガは“ソニー打倒”を堂々と発表し、CMにおいても本物のセガの専務である湯川専務を起用するなどして大々的に広告し、勢力を巻き返そうとした。その結果としては、発売日前日には夜から並ぶ人なども現れて、ニュースなどにも取り上げられ、かなりの売り上げで品切れが続出したという。しかし、それでもプレイステーションには及ばなかった。そして、ソニーは先日、新たに「プレイステーション2」を発表した。発売日は2000年の3月4日だという。

 ・・・以上が、今日のゲーム機に至る興亡史である。ここ20年の間に、ゲーム機は相当なスピードで変化してきた。ビジュアル、音楽、容量のアップなど、初期のゲームを見た者が突然今のゲームを見せられたら、とても驚くであろうが、基本的にはコントローラーのボタンを押せば、テレビの中のキャラクター、文字などがそのように動くというようなことは変わりがないし、今後出てくる新しい機種でもそれはそんなに変わらないと考えられる。

 しかし、それ以外にも変化したことはある。その顕著な例としては、ドリームキャストやプレイステーション2に搭載されているインターネット機能である。これにより、遠くの顔も知らない人達とレースゲームをやったり、麻雀をやったりできるのである。その上、様々な情報を引き出すこともできる。プレイステーション2は、更にDVDの再生が可能となり、もはやゲーム機はゲームをやるだけではなく、様々なメディアと結合して拡大していっている。ゲームはもう一大産業となり、何兆円というお金を動かし、経済の動きにも大きく関わっている。
 今後もゲーム業界に限らず、それを取り巻く様々なメディアも急速に発展していくであろうが、ユーザーはそれにただ踊らされるだけではなく、それを冷静に観察し、判断していくことが必要であろう。

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