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情報化社会の行方
by bashi
1まずはイントロダクション
2情報化社会
3情報化社会の落とし穴
4おわりに
1 まずはイントロダクション
富、名誉、権力に欲のくらんだ南蛮人どもが植民地、金、香辛料その他をもとめ世界地図の黒く塗りつぶされていた地域へ足を踏み入れた15世紀は「大航海時代」と呼ばれた。
無論、急に彼らは冒険心の虜となって自らの蛮勇を世に知らしめようと航海しはじめたわけではない。その背景には直接、貿易に携わって財政の強化を目論んだ国王や、羅針盤の改良、造船技術の発達などがあったわけで、歴史上の事象は決して突然起こる訳ではないというごくありふれた例の一つである。
そんな中、南蛮人ではないが排他的宗教世界の拡大に意欲的だった一人の男の発明は当初、この独善的な宗教の経典を広く普及させるのに大きく寄与した。
それから約600年後の21世紀。この世紀が「情報の世紀」とよばれるに至る大きな出発点の一つにこの男、「グーテンベルク」の発明である「活版印刷」がある。一応くどいようだがこの発明の背景にも「製紙法」などがあったことは言うまでもない。それでも彼は私が人類史上10人の発明家を挙げるならば必ずこの中に入れたいひとりである。
2 情報化社会
さて、「情報化社会の到来」がこの20世紀も終わろうとしている現在、しきりにマスコミを賑わしている。いや、正確に言えば「完全な」という形容詞(もっと正確には形容動詞)がつかないまでも既に国家レベルの経済活動や、アメリカを筆頭とする先進国では足を踏み入れている。具体的には何かと言えば、それはインターネットの普及であり、GPSの利用(つまリカーナビなどですな)に代表される人工衛星による世界中への細かな部分までのリアルタイムでの情報の提供であり、ごく身近なところでは携帯電話の普及である。これらはわたしの生まれたほんの20年ほど前までは(筆者は1975年生まれ)まだ孵化したばかりの雛のような存在に過ぎず、一般家庭が居ながらにして手軽に欲しい情報を手にいれることなど未来社会の空想であり、携帯電話と言えばベトナムで米兵の背負っていたランドセルより大きな通信機であった(幾分か誇張あり)。
このレポートでは上記のように空想が現実へとなりつつある現在、一見きらびらかに見える「情報化社会」の落とし穴について述べていきたい。論調が悲観的になるのは筆者の良くない性分であるが、筆者が自らの愛して止まないところでもあるのでほっといてほしい。どれくらい筆者が悲観的かという事を知りたい人のために例を挙げると、
「ゲーム機はすべてバーチャルボーイのような形式になる」
と信じている例が挙げられるであろう。(多分に誇張あり。しかし、はじめてCMで見たときは寒気がした)あれをやるくらいなら錦引勝彦が両面に向かって「ピカチュウげんきでチュウ」とでも言いながらゲームと戯れる方がはるかに明るい未来を夢想させるものがある。
3 情報化社会の落とし穴
情報化社会の落とし穴。それはもちろん不正なハッキング行為、個人情報の流出、コンピューターウイルスによる被害、麻薬などをはじめとする違法な品々のネット通販…とまあ考えつくだけでも多種多様な問題がパソコンが普及することによって現実に世界で被害が広がっている。しかし本レポートで取り上げる落とし穴はそういった個々の問題ではなく、もう少し大きな視点から見たときの情報そのものの危険性というものである。では具体的にはそれはどのようなものなのか?一つ一つ説明していってみたい。
まず第一の落とし穴、情報化社会自体が本質的にはらんでいる危険性として情報の飽和があげられる。インターネットの普及は世界中の人々がありとあらゆるジャンルの莫大な量の情報をリアルタイムで手にいれることを可能とする。だが、「手にいれること」と「使いこなすこと」ということは同義ではない。情報化社会への過渡期である今日でさえ大量の情報はウソか本当か、重要かそうでないか、有要か不要か、を判別するどころか認識すらされないまま生まれそして消えていっている。何もインターネットだけではない。日頃テレビ、ラジオ、新聞をはじめとする多種多様な情報媒体から流れる情報でさえ、管理しきれない人々が多いのだ。情報の飽和はもう既に現実のものとなっていると言ってもよい。人々は次第に何が本当なのかがわからず逆に情報から切り離されていく…。
第二の落とし穴。情報から切り離されて行った人々は何か一つのより所を求めていくようになる。身近な例では新聞の購読の選択。読売、朝日、毎日、中日、日経、各スポーツ紙、聖教、赤旗…。多くの選択肢の中から人々は自分の情報基盤となるものを選択する(選択しないことさえ選択肢の一つである)。何を基準に選択するかはそれぞれの求めるものによってだが、基準の一つとして耳触りのよい情報、刺激的な内容の情報というものがあげられないだろうか。「巨人べったりの記事はいや」、「朝日の論調は気に食わない」「日経は退屈」、「タレントの〇〇のスキャンダルをもっと知りたい」、「池田大作って誰?」、「革命はいつ?」…。そんな人々は莫大な量の情報が流れる中、何を情報の基盤とするのか?人々の基準の最小公倍数的な情報基盤が現れたとしたら?
第三の落とし穴。いつの時代にも善くも悪くも時代の寵児と呼ばれる人々が現れる。これは少しでも歴史を振り返ってみれば明らかなことで例を挙げようとするときりがないが二、三例を挙げてみよう。
織田信長:言うまでもない戦国の魔王。彼が享保年間(八代将軍徳川吉宗の治世)に生を受けて同じ個性を発揮したとしても(無論、戦国末期に彼が現れずして徳川政権があったとは思えないが)よくて「暴れん坊藩主」として現代のお茶の間を賑わすか、悪くて「ご乱心」により改易・切腹させられ、ただの気違い藩主として歴史の片隅にひっそりと名を留めるか…。
明石家さんま:言うまでもないトークの天才。筆者が大好きな人物だが、テレビがない時代に生を受けていればただのおしゃべりな男で終わったことは間違いなく、10年早く生まれたとしても時代の波に乗り損ねた可能性が高い。
才能や個性が時間や環境に裏切られなかったときそこに時代の寵児と呼ばれることになる人の生まれる下地が形作られる。情報化社会という時と、人々の基準の最小公倍数的な情報基盤という環境が揃ったとき、そこに人々を熱狂させ、思いどおりの方向を向けさせることのできる新世紀の司祭が現れる。
第四の落とし穴。ヴァーチャルリアリティー(仮想現実)技術の発達。近年の技術の発達には著しいものがある。映像、音声、そしてその合成技術はもはや現実と区別できなくなってきていると言っても過言ではない。先頃公開されたスターウォーズシリーズ最新作「エピソード1」ではほぼ全編にわたりCG合成のキャラクターが主人公とともに出演している(らしい)。技術のあまりのリアルさのためかゲームのフライトシミュレーターで鍛えた腕でレインボーブリッジの下をくぐってやろうと旅客機をハイジャックした気違いもいるくらいだ。(亡くなられた機長のご冥福をお祈り致します)
優れた技術は悪用されれば容易に情報操作を行うことができる。これまでも映像はさまざまな形で加工され我々の前にいかにも真実のごとく姿を現した。ベトナム戦争で村を焼き尽くされ焼け跡で一人泣いている幼児。この写真にはファインダーの外での様子は語られていなかった。湾岸戦争での原油まみれの水鳥。当時はイラク軍の製油所の爆破のためにこのようになったとイラクの非道性をアピールする材料として報じられたが現在ではこの映像はそれ以前の原油流出事故の際の被害のものということが明らかになっている。そしてこれからはそういった小細工をしなくても映像そのものをねじ曲げることが可能である。アーノルド=シュワルツネッガー主演の映画「THE RUNNING MAN」(邦題バトルランナー)は近未来を舞台に完全に情報の統制を政府がおこなっているという背景である(たしかそうだったはず)。しかも人々はそれに気が付かず主人公が参加させられた死のゲームも精巧な特撮によるものだと信じてテレビに見入っているというまさに映像の魔術、情報操作の思う壷といった状況になっている。
環境と天才と技術が一っとなったとき、情報を操る力をもつものは人の生死さえ思うがままになる。死んだ人間を生きかえらすことさえ可能なのだ。
わたしが高校時代最も衝撃を受けた作品にかわぐちかいじ原作の「沈黙の艦隊」がある。当時は現実の世界においても(作品の連載は88年〜96年)55年体制の崩壊、ソ連崩壊、冷戦の終結など世界が新たな局面へと大きく動き出しており、自分自身が大きな歴史の転換期にリアルタイムに差しかかっているのだということがたかだか高校生の私にもわかるぐらいで、劇中で繰り広げられる政争などはまさにストーリーがフィクションであることを忘れさせるくらいスリルと感動と興奮を味あわせてくれた作品であり、話の粗筋をあれこれ紹介するよりも「とにかく読め」と言いたくなる一読の価値のある漫画である。今回のレポートは今までわたしが暖めてきた考えを文章化したものだがこの作品を読んだ経験もこのレポートを書くきっかけの一つになったのかもしれない。
この物語の終盤、世界を代表する二人のマスコミのトップが情報の可能性と危険性についてそれぞれの野心と信念をぶつけ合うシーンがある。少し長くなるがその部分を抜粋してみたい。海江田艦長が示した「あらゆる国の束縛から離れた完全に自由な情報ターミナル」の可能性に気が付いたデミルが、その世界情報ネットワークへの参加を促す電話をサローにかけたシーン。以下はその二人の電話でのやりとりである。
ACN TV社長 セシル・デミル
英BBC会長 サー・ウインストン・サロー
サー・ウインストン・サロー(以下S):「ニュースは作ってはならぬのだ。その信念は変わらぬ!まして情報のたれ流しこそ最も危険だ!」
セシル・デミル(以下D):「そう、人類はまだ情報のたれ流しを経験していない。それが問題なのだ!来たるべき時代、情報は全ての障害を破壊してたれ流される。その状態に耐えられないものが危険を叫ぶだろうが…いつか!世界中の情報がいかなる制約も受けず世界中の人々に届く時代が到来する!人類は世界規模の双方向情報ネットワークを必ず手にいれる!」
(中略)
「その来たるべき時代、リアルタイムの情報だけがそのまま歴史の教科書となっていくのだ!」
「マスコミ人として、わたしはその時代の司祭でありたいと願っている!」
S:「世界中のテロリストがACNを利用し始めるぞ!」
D:「そのテロリズムも情報ネットワークの中にしか存在できなくなる!」
S:「・・・・・・。」
(中略)
「デミル、我がBBCは情報サミットに参加しないことでマスコミの取るべき立場を世界に訴える!人類が政治に意志決定を委ねている以上…情報も政治的判断を考慮せざるを得ない!」
D:「よかろう、サー・ウインストン・サロー。わがACNのなすことをしっかりみているがいい。」
第五の落とし穴。人々がインターネットという双方向のネットワークを手にいれたとき、それはつまり誰もが誰からの制約も受けず自分の思っていること(必ずしも“意見”でなくともよい)を発信することができ、かつ他人の言い分を肯定することも否定することもできる(もちろん無視することも)。そう、それは他人とのコミュニケーションの一形態でありそこで交わされる“おしゃべり”は必ずしも責任ある発言でなくともよいわけでその内容もあれこれ追及される性質のものではない。そこにこの双方向のネットワークというものの危険性がある。人々の無責任な“おしゃべり“があたかも“意見”のような服をまとって誰からの制約も受けず世界のネットワークに真摯な意見となんら区別されることなく同じように流され、公開される。それらが数々の問題に対してリアルタイムで世論を形成し世界を動かして行く…。
無責任な直接民主政治。世界的なデマ、パニックの危険を内包したシステム。この行き着くところは衆愚政治そのものではないだろうか。
ここまで情報化社会の5つの落とし穴について語ってきたわけだが、要約をすれば、それは情報の飽和と、それを操ることのできる者による高度な情報操作の危険性、ダイレクトに流される不特定多数の人々の個人的感情を反映した個人的意見による無責任な世論の形成ということになる。
情報化社会のある人気番組。カリスマ的人気を得ている司会者、人々を興奮させる刺激的なニュース、好奇心をくすぐる情報、それに熱狂する市民。司会者のニュース解説は人々に明快な指針を指し示すかのように思わせる。皆、堅くてつまらない番組などより肩のこらない番組、たとえば、竹村健一の「報道2001」より佐野四郎の「特命リサーチ200X」に魅力を感じるのだ。他の情報は多すぎて、手にいれても使えないし訳が分からない。あの司会者に従っておけば何とかなりそうだ。今日の自宅からの投票も彼に委任しよう。これまでも特に問題はなかった。
4 おわりに
18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は人類史において実に大きな転換点の一つであった。そしてまた、20世紀後半に人類におとずれた情報革命もこれからの人類史に大きな影響を与える転換点であることは間違いない。
グーテンベルクによる活版印刷の発明はそれまでの書き写しの作業や、木版印刷の作業ではとてもできなかったほどの大量の聖書の印刷を可能とし、宗教革命をはじめとして市民の識字率の向上の原動力となった。識字率の向上はやがて人々が新聞を手にいれる事へとつながり、「世論」がうまれた。そして情報化社会の到来は「世界世論」とでもいうものをうみだす可能性を秘めている。
今回のレポートのテーマを思いついたのはパソコンに付属する分厚いマニュアルを目にしたときだった。多すぎる情報は少ない情報が与える環境とさほど変わらないのではないか?それが出発点だった。
情報の飽和と、誰もが制約なしに自分の声を発信できる環境。近い将来におとずれる情報化社会はいったいどのような表情を見せるのであろうか?産業革命が負の方向に行き着いた先が地球規模の環境破壊だとしたら情報化社会が行き着く負の方向はどこなのか?情報という名の渦に巻き込まれもみくちゃにされていくのか?それとも世界世論は衆愚政治という泥沼にはまり込み、誰か(国家?企業?宗教団体?フリーメーソン?<笑>)の思惑どおりに踊らされていくのか?
最悪のシナリオがそこにあるのかもしれない。
おまけ
タレントの伊集院光がトーク番組で語った自らが深夜ラジオをやっていた時の話
ある日彼はリスナーにこんな指令を出した(DJがリスナーに指令を出すことはよくある。特に深夜ラジオは極端にリスナーの数が少ない番組もありそこではかなり無茶な指令が出ることもあるという)。この指令は伊集院本人がラジオで事あるたびに「〇〇さんってかわいいよね」などという発言をする他にリスナーも日頃の生活でこの〇〇さんの話題を出すことにより「架空の無名な美少女タレントをつくる」というものだった。無論、「彼女」の経歴・趣味などもでっちあげでそのつど番組内で語っていたという。
伊集院がどのようなきっかけでこの指令を出したかということはさだかではないが、数カ月後、放送局の伊集院の元に一本の電話がかかってさた。「〇〇さんに出演依頼の交渉をしたいのですが…」。某テレビ局のディレククーからだった。
ごく少数しか聞いていない深夜ラジオのささやかな情報操作。
参考文献
沈黙の艦隊 かわぐちかいじ 講談社
その他今まで読んだいろいろな雑誌、新聞
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