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セガサターンの消滅に見る家庭用ゲーム機の歴史と
子供達の遊びや遊びに対する心の変化
byおすぎ
皆さんは、セガサターンやプレイステーションという家庭用ゲーム機は、知っていると思う。私達が生きてきたこの年代は、上のゲーム機の年代であったと言っても過言ではない。また、このゲーム機の参入で子供達の遊びという考え方が変化していったことも否めないと思う。ここで、昔の遊びと今の遊びとを比較して、どのように遊びが変わっていったかを見てみたい。
昔、子供達に流行った遊びを挙げてみると、ビー玉、おはじき、お手玉、羽子板、凧揚げ(今は、正月に行われることが多い)、なわとび、ゴムとび(小学生のころ、友達がよくやっていた)、フラフープ(今は、腰を痛める原因となって、やる人も少ない)、ぞうきん、おにごっこ、かくれんぼ(この遊びは、今でも子供達の遊びの代表格である)、陣取り、缶けり、ぽこぺん、(これは小学生の頃、よくやったものである)、めんこ、ちゃんばらごっこ、お化けごっこ、草野球、石蹴り、ぶつけん、竹馬、缶のり、竹とんぼ、あやとり、ブランコ、ターザンごっこ、ままごと、草人形、草笛づくり、川に行けば、水泳、釣り、ザリガニ取り(上の情報は、家族からの提供)と数えれば限りがないほどある。上の遊びの中には、自分が小学生の頃に実際、やった遊びもいくつかある。それに上の遊びは、近くに自然という遊び場があることでできた遊びであるということもできる。
しかし、1981年の7月に子供達の遊びが一転する。エポックという玩具会社がカセットビジョンという家庭用ゲーム機を開発・販売したのである。これを境に各玩具会社がさまざまなゲーム機を開発・販売してきた。
[ゲーム機乱用時代]
1982年 6月 インテレビジョン(バンダイ)
10月 ぴゅう太(トミー)
1983年 3月 アルカディア(バンダイ)
5月 アタリ2800(アタリ)
[任天堂一強時代・ファミコン全盛期]
7月 ファミリーコンピューター(任天堂)
初期人気ソフト:スーパーマリオブラザーズ
SG−1000(セガ・エンタープライゼス)
SC−3OOO(セガ)
1987年10月 PCエンジン(NEC−HE)
1988年10月 メガドライブ(セガ)
[スーパーファミコン全盛期]
1990年11月 スーパーファミコン(任天堂)
[32ビット機戦争]
1994年11月 セガサターン(セガ)
12月 プレイステ一ション(ソニー)
1996年 6月 NINTENDO64(任天堂)
1998年11月 ドリーム・キャスト(セガ)
この家庭用ゲーム機の歴史の中にも例えば、ゲームボーイという携帯式ゲーム機も出てきているし、今では、プレイステーションの携帯版であるポケットステーションというものも開発されてきている。また、セガ・エンタープライゼス側は、「32ビット機戦争」という販売戦争に負けたとして、セガサターンの販売の中止を決定している。また、ソニー側は、2000年3月にプレイステーションの二号機である「プレイステーション2」の販売を決定している。
今まで、述べてきた内容で一番初めに思いあたる点は、子供達の遊び場が外から中に移動したということである。今では、携帯式ゲーム機の登場で外から中へという構図に広さが与えられたといっても過言ではない。最初に述べた鬼ごっこやかくれんぼは、外で遊ばれたものである。しかし、玩具会社のたくさんの家庭用ゲーム機の開発・販売で中で遊ぶ子がふえてきたのである。そこに拍車をかけているのが、住宅などの過度な建設である(少し、内容とずれるが・・・)。現代、我々の周りで最初に述べたような遊びのできる自然がいくつあるか?そのような自然があったとしても、だんだん住宅が建ち、遊ぶ場所が減っていっているのが事実なのである。
また、遊べるような場所があったとしても、そのような遊びをしている子供を見かけない。ほとんど、家に居て、テレビに向かって悪戦苦闘の日々なのである。鬼ごっこやかくれんぼという言葉は死語どころか風化してしまっている。なんとも悲しいことである。このような結果、ちよっとしたことでけがをする子が多いという研究結果が出ている。つまり、昔の子供達のように外に出て遊ばないため、体が弱くなっているというのである。ほかの観点から見ると、ここ最近、頻繁に起きている社会問題の間接的原因もこれが一理あると私は考えている。一番ソフトで人気のある対戦ゲームや格闘ゲームは、弱者や強者の区別がはっきりつく。このようなゲームをやり続けていると、いつかは自分の中に殺意やいじめの念が生じてくることがあると思う。このようなゲームをやってはいけないとは言わない。(書いている自分もこの種のゲームをやることは好きだから・・・)私の言いたいことは、ただ一つ。子供の遊び心に変化を与えたのは負けじと家庭用ゲーム機の開発をし続けた玩具会社達なのだ。自分達の手で子供の遊び心にゲーム機への執着心を植え付けるのではなく、自然への執着心を植え付けるように変化を与えて欲しい。
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