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魔首領奴治世


   1章 魔首領奴〜いくま体制
 魔首領奴体制下、著者はまだ歴史部に在籍していなかったので正確なデータはいくま著「レキシキ」によるのみであり箸しく客観性に欠ける。よって、ここではきゃみ体制以後を語る上での足がかりとして簡潔に魔首領奴〜いくま体制を論じたい。

  a,状況
 古代歴史部も崩壊して久しく、魔首領奴体制のもと現歴史部が誕生したのは今より約8年程前(平成2年あたり)のこととされている。古代歴史部(活動内容不明だが、頭蓋形態と推定脳容量からしておそらく純粋に歴史に関する雑談をしていたと思われる。)と現歴史部が決定的に異なる点は創設者、魔首領奴素子女史が左翼的思想に傾倒していたこと、そして女史にとって歴史部とは古代歴史部の如く単なるサロンとしてではなく、崩壊しかかった左翼系学生運動を自身の立場から展開していく為の校内における拠点として捉えていたと言う点において決定的に異なるのである。
 時は90年代であり、未だ反3Kの気運華やかりし頃である。その中で左翼系学生運動に身を投じてゆく女史の姿は、「時代のアイロニー」と言うほか如何なる表現があったであろうか。彼女の政治家としてのパーソナリティが不明なのは口惜しいが(豹柄のショーツに魅了された者は多かったらしく、女っ気が皆無に等しかった多数の部員達に生ズリネタを供給したという点では女史の政治的功績は余りに大きい。)
 かくして新生歴史部は、時代に逆流する様に左翼的イデオロギーを標榜し現実世界への挑戦を余儀なくされるのである。また90年代が世界的な共産勢力の現実的敗北を象徴するという見方をするならば、既にこの時点で歴史から何も学べない虚偽サークルだったこと。即ち出発点からすでに虚構であったと言う考えもあることを付け加えておきたい。

  b,外交
 歴史部はオール名城文化局に属する。無論、現在もそうなので誰もが分かっていることだろう。では魔首領奴体制下、外交は如何なる理念のもと展開されたかと言えば、それは専ら「孤立主義」に基ずくものであったと言えよう。なぜ女史は孤立外交を展開したのか、その哩由として、赤ナポ氏の97年度の研究結果を引用したい。
1、女史が歴史部に植えつけようとした「良き歴史部、悪しき外界」という基本的イメージの維持の為極力、外界との接触を断つ必要性があった。
2、他大学の左翼系勢力との合議及び、連絡に専心しており、そもそも時間も無ければ外交の必要性さえも無かった。
3、めんどい。
(赤いナポレオン,skin history thatof,p,S/M97 仮性社 より一部抜粋)

 赤ナポによれば、魔首領奴外交の基調をなす第一の条件として1で挙げたように、イデオロギー的恒常性を保つ要件を満たしていること、そして2の様に学外外交が盛んであった魔首領奴体制においては学内外交は不要であったことがわかる。3の見解には未だ学会内でも賛否両論と分かれるところだが、赤ナポの孤立外交説は、女史以後の体制においても一部の例外を除き継受されてゆく点において、その見解には正当性があるものと私は考えたい。

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