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プチトマト治世


    第三章プチトマト体制
 10年前、私がイシダニア州立工科大学に留学した折、友人の研究者から「近年、レキシフで最も研究者の知的関心を呼んでいるテーマはなにか。」と問われた事がある。その時、私は直感的にプチトマト体制であると答えた。今思えば、あの言葉は10年前の私の思慮の浅さが言わせたものに違いない。しかし10年後の今日の状況はどうだろうか、きゃみ体制の崩壊に伴い歴史部の体制分化は進行し現在、実に多くの研究者がポストきゃみ体制を模索の中、プチトマト体制研究にとりかかっている。なぜ今、プチトマト体制なのか。本章ではあくまでも著者の見解としてプチトマト体制へのアプローチを試みたい。

   a,状況
 きゃみ体制はその権威主義的体制の代価として歴史部に階級分化と闘争の嵐を残した。きゃみ体制とは実に不安定な造り物であり、その意志表示記録を見ればきゃみさん自身も、自分が構築してきた権力基盤を誰に引き継がせるかに砕心していたことが分かる。96年度の部長選の焦点は穏健派のプチトマトか、それともキチガイ悪人栄一のどちらが新部長の座を射止めるかであったが、この新体制発足時においてきゃみさんは悪人を新部長として推しているが、その真意は新体制との共存、即ち二重統治体制の確立にあったと私は見ている。何かに例えるならば、それは二世帯住宅であり、後部座席から運転者へ口煩く指示を与える舅となることであった。
 しかし、ここで一つの疑問か生じてくる。悪人栄一と言う人物をよく心得ている方なら既にお気付きかとも思うが、なぜ大学祭期間中もトーマスやトップレス・ハム卿(トップハット卿)の人形と戯れているような男を部長として推したかと言うことである。正常な判断ならば、いつ暴走機関車と化する様な男とあまりにも大きすぎるリスクを共有することなど考えられない。
 この時のきゃみさんの判断に関しては研究者間でもきゃみさんの飲酒料増加による人格崩壊もしくは、94年度の被爆体験による人格崩壊を直接の引き金として、見解も大きく二つに分かれるが理由はどうあれ体制末期のきゃみさんのパーソナリティの実質的崩壊にその要因があるとする崩壊説が主流を占めていることは間違いないだろう。結果として部長選はプチトマトの大勝に終わり、きゃみさんの一時的後退と言う形でプチトマト体制は幕を開けるのである。

   b,体制検証
 史家によって立場がまちまちであるプチトマト体制だか、今となってはプチトマト体制はその全ての歴史的事象が鳴海高校柔道部から始まったと言っても過言では無いように私は思える。その点で史家大僧正は96年度のイシダニア政治文化会議において、プチトマト体制の特徴をバッソ・オスティナート(執拗低音)として指摘している。
 即ちそれは、体制の基底部分を形成するプチトマト文化(皇軍信奉と女子中学生信仰)とアンチ・素子テーゼとして95年度より醸成されてきたニューライト的アナーキズムとのリンク形態の問題とも言えるが、プチトマト体制においてはしばしばコアを形成するプチトマト文化が執拗に強調された事実(軍歌を触媒としたミリタリズムの導入、書き殴り墨字の普及、女子中学生)をして大僧正の主張を成すところであろう。簡約すればプチトマト体制とは部長の趣味の洗脳過程であり、その触媒として軍歌、そして全ての出発点が鳴海高校柔道部だったと言うることである。
 しかし、問題は政治文化の一元化によって解釈されるべきものではない。拙著「プチトマト体制、その効力と射程」(廃人社)でも示した通り、プチトマトには経済政策的意図もあったと見るのが通説であろう。前章でも述べたように、きゃみ体制の同床異夢状態を打破すべく、部のコンセンサスの土台として学習会に代わる新たな価値供給を狙ったものだったのではないか。極言すると、この問題はナショナリズムとパトリオシズムの関係とアナロジカルな立場に立つものであり、プチトマトはパトリオシズム(愛部精神)の形成を狙っていたと私は見るのである。
 以上が体制前期の話である。では後期のプチトマト体制はと言えば、前部長の暴走と形骸化した権力に依存し求心力を失った点でゴ・ディン・ディエム政権末期のアナロジーと言うよりほかない。何故、プチトマト体制は変質の過程を経ていったのか。私はそれを悪人、トジとの関係の推移に見ることにしたい。

 1、三頭政治
 林が部長に就任する折に宣った言葉を引用する。
   「戦うも亡部
      戦わざるも亡部
        しかし、戦わずして部の魂を売り渡すことは
           更なる亡部である。」
 この言葉は階級闘争、華やかりし頃の状況をよく噛み締めていたプチトマトの気概を示すものとして知られている。確かに状況は風雲急を告げていた。しかし体制前期のプチトマトには補佐官トジと宰相悪人と言うマン・パワーが存在したことも忘れてはならない。この点で大僧正はプチトマト体制前期と共和制ローマ末期の第一回三頭政治で活躍したカエサル(プチトマト)、クラッスス(トジ)・ポンペイウス(悪人)の三すくみ関係に置換し、その類似性を指摘している。
 史実ではクラッススが勝手にパルティアと交戦し戦死、ポンペイウスはプトレマイオス朝のクレオパトラにいれこみ、堕落。挙げ句の果てには、カエサルの討伐を受けて憤死している。大僧正の主張するところは、局総会の為に一張羅のスーツを仕立てたにもかかわらず、オール名城との交戦の果てに憤死したトジ、自らその身を落としていった悪人との双務的権力関係の断絶をして、プチトマト単独での権力継受が自然発生的に完成したことにその論拠があるだろう。よって普遍的な人間関係をコアとする大僧正の主張は50年後の今日でも色褪せることはないのである。

 2、体制後期 〜ゴ・ディン・ディエム〜
 かくしてプチトマトの単独権力は確立された。しかし体制後期を概観していくと、しばしば4年生を中心とする枢密院の影響下にあったことがわかる。なるほど確かにプチトマトの権力は確立された。だがプチトマトの権力自体が4年生に著しく依存するものであったことも忘れてはなるまい。よって大僧正の学説を裏返すと、「プチトマト体制前期とはその権力機構の崩壊過程である。」と言えよう。
 つまり体制後期は枢密院の暴走・権力機構不在に伴う合意形成能力の喪失、ないし学習会に代替する新価値形成の失敗による階級闘争の激化と言うきゃみさんの下宿部屋状態に類似する特徴を見せるのである。まさしくそれはきゃみ邸の台所であり、ポテトチップスの転がる寝床と言うよりほか形容のしようがなく、プチトマト自身も体制の外へと追いやられる事態となった。
 かような状況を私の見解をもって要約するならば、「初期の統合化の過程、初期の失敗による後期の分散化の促進。」としたい。そして当のプチトマトの姿は、さしずめ南ベトナムのゴ・ディン・ディエム大統領と言ったところであった。

    C,外交  きゃみ外交が反体制を掲げた、現状打破的国際主義に特徴付けられるのに対し、プチトマト外交はいくま・素子外交(孤立主義)への回帰の特徴を見いだすことができる。一種のモラトリアムとも言える、プチトマト外交の原点回帰の要因に関しては、史家の間でも局の制度的崩壊を原因とするものと、プチトマト自身の日和見主義的傾向にあるとするものとで、見解が大きく分かれる研究課題のひとつであるが現状ではプチトマトのパーソナリティにその要因を求めようとする声が大きいことが事実である。
 ともあれ、プチトマト外交の展開は結果として、補佐官のニコチン汚染(タバコを覚えて帰って来た)と一時的な対外的安定をもたらした。しかしこれは「終わりの始まり」に過ぎなかったのである。

    d,プチトマト体制の残したもの
 大局的な立場からプチトマト体制を外観すれば、その歴史的役割はきゃみ体制末期に破綻した魔首領奴制度(学習会を根拠とする左翼系市民運動的論調に規律される体制文化)の復権を狙うものであったことが明らかになってくるだろう。ただ読者諸兄において誤解頂くことのないよう補足すると、それは魔首領奴体制のプチトマト系論の確立に置換されうべきものであることも付け置きたい。
 つまり学習会とは歴史部における支配サークル層にとって魔首領奴制度の再生産装置であり、支配サークル層に属する人間にとっての純粋入部動機はア・プリオに魔首領奴制度を認識していたと言う決定的な前提に立脚する限りにおいて、魔首領奴制度は支配サークル層にとっての必要十分条件であったことは間違いないことであろう。その点から思考を巡らす限り、プチトマトは紛れもなく支配サークル層に属する人物であり、彼にとって再制度化は至上の命令以外のなにものでもなかったのである。
 よってプチトマト体制初期は「政治」と呼べる代物ではなく、「債務履行」とアナロジカルな関係にたつものであったと私は言いたい。それではプチトマト体制は政治体制のひとつではなかったのか。いやとんでもない。むしろ権力機構崩壊により単独権力が発生した体制後期こそがプチトマト体制にとっての「政治」の始まりであったのである。
 プチトマト体制後期、それは一研究者としての私の自己主張が許されるならば、現状打破勢力たるギャンブラーに対する多角的オプション戦略に基ずく、斬新的攻勢理論(progressive offence theory)の実践であったと私は見たい。ギャンブラーのオプション(選択肢)を封じない政治的配慮と段階的に攻勢を仕掛けようとする姿勢は学習会の柔軟化と天白警察への通報をほのめかした史実にも象徴されている。
 では何故、プチトマト体制はギャンブラーを押え込むことに失敗したのか。その解答を簡略化するならば、「オプション制限が緩やかすぎた。」の一言に尽きるだろう。つまりプチトマトは敵に対して積極的機動を許す時間的猶予を与えると言う、戦略的定石を敢えて犯すふとつの賭けに出たと言うことである。しかしその賭けはギャンブラーに合理的かつ愛部的な精神構造が存在する前提に立つ上で初めて成立するものであった。
 その結果はどうか、ギャンブラーを体制内に包摂するプチトマトの政治的勝負は、その現状認識の甘さから見事に失敗し、時間的猶予をえたギャンブラーがその絶対数を増加させ、「相互確証破壊」(両者手詰まり)の状況を現出せしめた。そして支配サークル層主導型大祭秩序の陥落(次世代ギャンブラーの旗手蟻国の起こしたひともんちゃく)をもってプチトマトの政治生命は幕を閑じたのである。
 よって、ここに読者諸兄も御存知の通りプチトマト体制の終了まで続く熾烈極まる内戦が始まるのである。この内戦において魔首領奴制度は悪人栄一の官能世界とSM後のトジ的妄想世界のオナペットと化し徹底的に破壊された。しかし魔首領奴制度は、その後の蟻国体制においても「コンドーム通信」に見られる様に、肉奴隷としての存続は許されたのである。

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