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ブルータス〜カエサル暗殺〜
byリトルボーイ
1、カエサル暗殺の経過
「Idus Martiae」、「The ides of march」、「Idi di marzo」それぞれラテン語、英語、イタリア語で「3月15日」を表し、西欧の歴史上そのように記述された場合「カエサル暗殺の日」を指すという。まずこの日について記述していく。
この日はカエサルにとってパルティア遠征を前に内政を委任するものを発表するための重要な元老院会議が開かれることになっていた。元老院会議は言論の場であるため、武器の携帯は禁じられていた。陰謀者にとって最大の難関は、カエサルの幕僚アントニウスが持つ当時の著名な政治家キケロによって剣闘士並とまでいわれた体力だけだった。ゆえに、アントニウスは陰謀者の一人トレボニウスによってカエサルのもとより引き離された。そしてそのすきに、会議場前の回廊で十四人の暗殺者がカエサルを襲った。暗殺者たちは皆狂乱状態に陥り、おたがいに傷つけながらもカエサルに二十三ケ所の傷をつけたが、致命傷になりえたのは、そのうちの二刃目だけだったといわれている。
ここにひとつの問題が起こっている。それは、カエサルの最後の言葉として伝えられている、「子供たちよ(ブルータスよ)おまえもか」という言葉である。暗殺者のうちに「ブルータス」の名前を持つものは二人いる。マルクス・ブルータスとデキウス・プルータスの二人である。かたやカエサルの愛妾の息子で(実の息子という説も有り)幕僚の一人、かたやカエサルの信頼も厚い子飼いの軍団長、共にカエサルの親しい身内である。話の脈絡上どうやら後者の方が「ブルータス」のように思える。ここからは双方について触れていくことにする。
2、マルクス・ブルータス
前記では、デキウス・ブルータスが「ブルータス」ではないか、といったので誤解を生んだかもしれないが、マルクス・ブルータスこそカエサル暗殺の名目上の首謀者なのである。真の首謀者は別にいるのだが、暗殺の実行犯を集めるときの中心人物として名が挙げられたのはこの男である。(詳細は後で記述する。)
八才で父親を失い母によって育てられるが、母はその頃愛人・カエサルの方に熱心だったらしい。事実、マルクスの本当の父親はカエサルで、マルクスは母親の密通の結果生まれたという説もある。青年期のマルクスは当時最高といわれた多くの学院で哲学を学び、卒業している。この頃、反カエサル派の叔父小カトーに影響を受ける。軍事・政治に興味がなかったのかその後三十代の後半まで金融業を営む。三十六のときカエサルのルビコン越えが起こリローマは内乱状態になった。マルクスはこのとき叔父の小カトーに身を寄せ、元老院体制の堅持を主張するポンペイウスのもとでカエサルに抵抗する。しかし、ポンペイウスはカエサルに破れる。マルクスの母に知らせを受けていたカエサルはマルクスを殺さないように全軍に命を下す。マルクスも、自らカエサルに戦勝の祝辞を送り自分の居場所を知らせたという。
その後、マルクスは政界に入り、カエサルのもとで出世を重ねた。
当時の知識人たちは、マルクスの広い知識と教養を愛し認めていたという。しかし、どうやらあまり熱意のある人間ではないようで、キケロには「文は見事だが、熱意に欠けている」というような評を受けている。ゆえにカエサルには、あまり好かれてはいなかったという説もある。
マルクス・ブルータス、カエサル暗殺当時四十〜四十一歳。
3、デキウス・ブルータス
この人は、資料があまりのこっていないが、才能ある者が好きで、事実才能ある将を数多く集めていたカエサルの配下の中でも二十代の前半からキャリアを積み、もっともカエサルに愛された将の一人である。マルクス・ブルータスとは従兄弟同士に当たるらしい。
ガリア戦役、ルビコン渡河以降の内乱をカエサルのもとで軍団長として戦い抜いた。
デキウス・ブルータス、カエサル暗殺当時四十歳。
4、暗殺の真相
ここで問題なのは、何故両ブルータスが暗殺に加わったのか、である。これはカエサルが勝ち過ぎて、カエサルのもとに権力が集まりすぎたことに一因を発する。
その当時以前のローマは、問題が皆無とは言わないまでも元老院制の下で拡大を続けていたが、肥大し過ぎたためか、植民地統治にも支障が生じ始めた。その最たるものが総督の不正とそれに対する現地人の反乱である。もともと、ローマと植民地とは征服者と被征服者ではなく、庇護者とそれに対する納税者のような関係である。が、総督の行為は明らかに越権行為である。それに加え元老院の関心は国外に向かうことは少なくなった。すでに元老院制の統治は限界に近かったのではないかと思う。
このときカエサルは、疲弊した元老院制の改善あるいはのっとりを目標に権力を集中し始めた。(当のカエサルも不正を働いたことのある身だが。)むろん王権に対して強い反発を抱く性質のある、古くからの元老院議員たちはカエサルが王権を樹立するのを恐れてこれを妨害しようとするが、対外戦争に勝ち続けるカエサルに対する民衆の人気にかなうはずもなく、カエサルヘの権力の集中は続いていく。本当かどうか定かではないが、カエサル自体は王権を欲してはいなかったらしい。が、当然ながら反カエサル派の議員たちはそうは取らず、このうえもしカエサルが手柄を立てようものなら今度こそカエサルの王位は確実なものになると感じたらしい。そして、パルティアヘの遠征が計画された頃に至る。
ここに現れたのが、カシウス・ロンジヌスである。彼は前五十四年のクラッススのパルティア遠征において、敗戦の色が濃くなると、あろうことか五百の騎兵と共に逃亡している。このためかっての盟友を失ったカエサルの不興を買いカエサルのもとでの出世は難しいものとなった。前四十四年法務官に任官した際にそれを実感することとなる。
こういった経緯を踏まえてカシウスはカエサル殺害の計画を企てる。まずカシウスは計画の首謀者にたる人物を捜す。自分が首謀者では大義名分が立たない。かといってあまり有能な人間では第二のカエサルになりかねない。そこでそこそこ有能で、ローマ自体に忠誠を誓う著名な人物を捜した。それがマルクス・ブルータスであった。これで、反カエサルの面々が集まる。同時にカエサル派の中からもまずローマに忠誠を誓う者が加わった。その中に、デキウスがいた。無論、これが真相であるとは断言できないが、おそらくは真実に近いであろうと思う。
5、暗殺の果てに
この後、暗殺者達はおもいもかけない事実に直面する。民衆の非難である。もしかすると、覚悟の上だったかもしれないが、ともかく、暴動寸前にまでなった市民の怒りに暗殺者達はこぞってローマを脱出する。
それ以前に、デキウスにはもっと衝撃的な事実が待っていた。カエサルの遺言状の公開である。後継者にはオクタヴィアヌス(のちのアウグストゥス)が指名されていたが、もし何らかの理由でオクタヴィアヌスが相続を放棄した場合の第二相続人にデキウスの名があったからである。ローマでは友誼を重んじる傾向がある。現に植民地のなかでも特に親しい間柄のものを「ローマの友」と呼び、危急の際に全力を挙げてこれを援助するという誓いを立てる。その内容を知ったデキウスの心中はいかようなものか、いまでは知りようかない。
その後、デキウスは前四十三年四月ギリシアに向かう途中現地人の手によって捕らえられ、アントニウスの手によって殺される。また、マルクスも前四十三年秋にオクタヴィアヌス=アントニウス連合軍に破れ、絶望して自殺した盟友カシウスの後を追うように戦いに敗れ、自殺する。
まとめ
この後、オククヴィアヌスはアントニウスとの後継者争いに勝ち、アウグストゥスの名を元老院より受けローマ帝政が始まる。
ブルータス達の行為は失敗に終わった。カエサルは死んだが王政はしかれた。彼らが何を思って暗殺に踏みきったかは、分からない。ただ良きローマを望んでいたことは疑いない。彼らはカエサルを裏切ったのではなく、ローマを守ろうとしただけだったのではないかと思う。
参考文献こ塩野七生エリウス・カエサルールビコン以降−
藤井昇ローマ史ものがたリ
トモンタネツリローマの歴史,
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