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韓信、お前もか
byトジ
劉邦は国士無双ともいうべき配下と、地方の諸候らの協力をもって、宿敵であった項羽を倒し、中華を統一したわけであるが、その当時、彼の配下の中に、後に彼を裏切った、韓信がいたのである。
韓信は劉邦から「大将軍」という、軍事の最高権力をもらい、現在では、漢の三傑の一人とされているにもかかわらず、彼に対して叛乱を起こそうとした。
しかし、劉邦の后によって発覚し、返り討ちにあう。
劉邦はなぜこのような目にあわなければならなくなったのか?
我々は、このレポートから、理想的な有能な人材の使い方について考えていきたい。
1.劉邦の挙兵
まずは、劉邦の人なりについて述べたい。
彼は若い頃、喧嘩ばかりしていたが、30歳のときに宿場の長になり、38歳のときに地元の仲間を率いて、打倒秦王朝の兵を挙げたのである。その際、人生最大の宿敵であった(*1)項羽の叔父の下で参戦していた。このとき項羽の下に韓信がいたのである。この当時二人に認識があったかは定かではない。
この二人の共通点と言えば、出身の身分の低さと挙兵の目的である。あとは、二人とも暴れん坊であったということだ。
劉邦は勝ち負けを繰り返し、時には危うく項羽に謀殺されそうになりながらも、(*2)配下の力によって生き延びて、とりあえずは項羽が中華を一時的に統一し、彼の事業に功績があった者18名を地方の諸侯として任じ、その中で劉邦は、(*3)西の辺境の王となった.しかし、その後劉邦は諸侯に対して、項羽打倒を呼びかけ、最終的に中華を統一し、新王朝「漢」の皇帝となるのである。
2.韓信の帰属
劉邦が項羽から与えられた地に赴く際に、項羽の下から離れ、追ってきたものがいる。それが韓信である。まずはとりあえず、この新参者に(*4)それなりの役職を与えたが、それに不服だったらしく、韓信は脱走してしまう。しかし、彼の非凡な才能に目を付けた(*5)配下が追いかけて連れ戻し、劉邦に説得して、劉邦は彼に「大将軍」という軍事の最高の地位を与え、その儀式まで行う羽目になってしまったのである。
ちなみにこの時代ではまだ、家臣は君主に対して忠実に仕えなければならないという、儒教的な思想はまだ完全にはいきわたっていないということを、頭の片隅にでも残しておいていただきたい。
ところで、劉邦は彼にどのような役割を期待していたか、具体的に分けると、
(1)軍事(戦闘)顧問
(2)別動隊の司令官
(1)はあくまでも、兵法に関する部門であり、謀略に関しては別にスペシャリストが配下の中にいた。(2)は劉邦の命令または彼自身の判断で、各地を転戦したということである。つまり、戦闘に関していえば天才的で、それこそ国士無双であったが、頭脳的なほうはいま一つというような気もする。
3.韓信の独立の予兆
劉邦は配下に命じて、諸侯に協力を要請しながらも、彼自身も各地で奮闘していた。あるとき劉邦軍と項羽軍がにらみ合いの状態となり、劉邦は韓信の援軍が来るのを今か今かと待ちわびていた。しかし、劉邦の下に来たのは韓信の使者であり、(*6)韓信がそのときに平定した地の仮の王になりたいといってきた。彼にそれなりの理由があったとしても劉邦にしてみれば、こんなに苦しいときに助けに来ず、なにを生意気なことを・・・といいたいだろう。しかしまたここで、(*5)配下に足を踏まれながら説得され、仮の王とはいわずに、心ならずも真の王にしてしまった。
またあるとき、劉邦は項羽に大打撃を与えるチャンスを手にした。韓信はじめ数人の配下、同志と日時を決めて約束をしたが、その当日になって来なかった者がいた。そのために逆に大反撃にあってしまった。この後配下に、領地を与えないとまた脱走されるといわれ、いやいや与えてしまったのである。このように、劉邦は韓信に対して下手をとらざるを得ない状態になってしまい、今後どのように待遇していけば良いか考えていたことだろう。
4.劉邦の配下(同志)の構成
これまで劉邦の行動を見てみると、配下または同志の行動に大きく左右されている。そこで、配下(同志)について述べてみたいと思う。
そもそも劉邦陣営の構成を見ると、
(1)挙兵の際に一緒に来た同郷の同志
(2)以前は項羽の下にいたが、劉邦陣営に寝返った者
(3)劉邦の協力の要請を受け入れた諸侯
の3パターンに区分される。その他にも、独自で活動していた者が劉邦に協力したという例もある。(2)の主な原因としては、配下の功績をあまり評価したがらないという項羽の性格によるものらしい。
予断になるが、挙兵をした者達の出身についても見てみると、
(1)秦を除いた戦国六国の将軍等の子孫
(2)地方の役人
(3)荒くれ者
つまり、いろんな輩が一旗上げようと大暴れしたということがおわかりいただけるだろう。
5.韓信の粛清
劉邦は韓信などの配下、同志、諸侯らの協力によって、新王朝「漢」の皇帝となったわけであるが、建て前として一応諸侯から推薦を受けて皇帝になったという形をとった。
そこで戦後の処理において重要なこととして、配下、同志、諸侯に恩賞を与えなければならない。彼らに土地を与え、とりあえずは項羽のときと同様に、新しい地方の諸侯として赴任させ、韓信も同様に扱った。そのとき軍隊は取り上げた。ふと劉邦は思った、自分の直轄地があまりに狭いと。諸侯をこのまま野放しにしたら、項羽の二の舞になるぞと。彼らと自分との間にはどれほどの信頼関係があるのだろうと、いろいろ考えているうちに不安になってきた。疑心暗鬼に陥り、心の中で政策を打ち出した。
「劉氏にあらずんば王たるをえず」
このフレーズ、日本史にこれに似たのがあったような・・・
統一したその年から諸侯は叛乱を起こした。諸侯に任ぜられても、やはり野望の火の種はそう簡単には消えないようだ。劉邦は早速、粛清の軍を出した。しかし、次々と叛乱の火の手が上がる。なかには、暗殺をしようとする者も現れた。
そのうちに、韓信にも不穏な動きが見え始めた。劉邦はまさかと思ったに違いない。しかし、彼の后に見つかってしまう。簿々感じ取っていたらしいが。君の今までの行動や言動が自分の身を滅ぼしたのだよ、と劉邦はいうに違いない。私はそれは言い過ぎではと思うのだが・・・
諸侯の粛清の結果、劉邦の一族がその地の王となったわけであるが、王朝の権力自体にさほど変化もなく、ただいえることは、叛乱を起こされる心配が、少し減ったことぐらいである。王朝の基盤は全く盤石とはいえず、体制が整うのは、これから何代もあとのことである。
6.まとめ
なかには、劉邦のことを倣慢無礼な奴だという人もいるかもしれないが、配下の言うことに耳を傾け、自分の平凡さを認めても、野望も強い。そしてこんな奴に多くの者が協力したことは、紛れもない事実であり、彼らに惜しみなく恩賞を与えた。こんな劉邦の何処がいけないのだ。
*1
項梁:項羽に子供の頃から習字、剣術、兵法といろいろ教えていたが、その概略の意を学び知るとそれ以上は学ぼうとしないのにはほとほと困り果てていたようである。
父は戦国時代の楚の将軍
*2
張良:戦国時代の韓に相として使えた家系の出身、重要な場面ではいつも劉邦を助け、目覚ましい活躍を示した。
*3
蜀・漢中(今の四川省)
*4
連敖:接待係
*5
蕭何:劉邦の出身地である沛県で役人をしていた。
挙兵すると常に丞として庶事を取り仕切った。
*6
斉(今の山東省)
参考文献 歴史群像シリーズ32「項羽と劉邦 上巻」 学研
歴史群像シリーズ33「項羽と劉邦 下巻」 学研
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