書感No.10
書感もついにNo.10まできました。そんな記念すべき今回のテーマは「書家」です。
私は書家という職業は存在しないと思っています。でも、「書道家」は存在するとかいうことも思ったりしません。そう思ういきさつについてお話
していきます。
まず、書家は何を表現したいのかということです。漢詩しかり、漢字仮名交じりしかり、仮名しかり、自分の言葉を書いている人がいますか?
名作と呼ばれる詩などを現代風にアレンジしましたという話はよく耳にしますが、せっかくの名作が迷作になってしまっているのがほとんどのような
気がしてなりません。特に書きたいこともないのに、お金や権力維持のために書いている、といような印象しか受けません。
少し前までの日本では、毛筆は日常的に使われる筆記具でした。多くの文豪は文学作品とともに書作品も残しています。そしてもはや言うまでも
ないことですが、中国においても名筆を産んだ人の多くは政治の携わっている人でした。そうです、書はあくまでその人の教養や経験に基づいて生
まれてきているのです。このことを、自称「書家」の方々はどうお考えでしょうか?
前にも言いましたが、書きたいことがないのに無理やり書く必要はどこにもありません。ヒトは、「レポート提出があるから」、「好きな人に告白
したいから」書くのです。つまり、伝えたいことがなければ書きません。そんなの当たり前のことです。送る相手がいないのにメールの内容を考え
ますか?つながってもいない携帯電話に向かって話しますか?
書聖でも唐の三大家でも三筆でも三蹟でも何でもいいんですが、その形だけを真似て我が物顔で得意そうにしている書家ってどうすればいい
のでしょうか。筆法なり結構などを説くことももちろん大切だと思うんですが、まずもっと身近なところから考えてみてはどうでしょうか。例えば医療
制度改革、年金問題、少子高齢化などなど。
ヒトは卑しい生き物で、常に自分の存在価値を他人に認め、賞賛してもらいたいがためにあの手この手でアピールします。私も例外ではあり
ません。なので、いつものようにボロクソに言っている東宮ではありますが、ある意味では書家の方にとても同情します。そして、まだまだ日本は
平和ボケしているなぁとつくづく思います。北朝鮮や、ビンラディンが攻めて来た時、「ペンは剣よりも強し」何て絶対言えないでしょう。
書家の人をメチャクチャにぶっ壊してやりたいと思う反面、どうでもいいや、好きにやってて、と思うあたりが今回の結論です。おわり。