書感No.12
書道やる人はポジティブでは駄目です。絶対ネガティブでないといけません。暗い。陰鬱。憂鬱。絶望。死。拒絶。退廃。裏切り。闇。残酷。
こういう言葉、イメージの中に住まないといけません。陰陽でいったら間違いなく陰。光と影でいったら間違いなく影。
で、確かにこういうことを前提にしなくてはいけませんが、それを開けっぴろげに表にしては台無しです。街中すっぱだかで歩くようなものです。
何故街中をすっぱだかで歩いてはいけないのか?それは公衆わいせつ罪で捕まるからです。何故そんな罪があるのか?それは人間には理性
があるからです。犬やネコがすっぽんぽんで歩いて捕まらないのは理性がないからです。
人間には恥じらいがあります。世界中どこの場所を探しても、陰部をさらけ出す民族はいないそうです。そう、「陰」は表に出してはいけない。
陰は存在するが、それを隠し、忍ばせるのが人間の人間たる所以なのです。と私は思います。
その最たるものが書道なのかもしれません。でも、今私が思う書道の現状の99.9%は、陰部丸出しのすっぽんぽん状態です。金だの地位だの名誉
だの自己愛だの、人間の陰の部分丸出しじゃないですか?まぁ今の世の中だいぶ丸出しですけどね。そのせいで感覚が麻痺しているのかもしれま
せん。
そして、私が思う陰部丸出しおっぴろげ大会が、書道の展覧会です。私は展覧会と呼ばれるものには「書道の作品らしきもの」を出品します。。敢え
てそれだけの覚悟をして出しています。
自分の陰部を見せて、心を安らげて下さい?筆文字の温かみを感じて下さい?今さらながら、書道にはリラクゼーション機能があるんでしょうか。
確かに活字は時として無機質な印象を受けますが、肉筆も時として恐怖に感じたりしませんか?ストーカーから送られる愛の手紙とか。
書道の作品を見て感動するとはどういうことなのでしょうか。「感情を動かす」ということが感動の語源だとしたら、私は見る人を怒らせたり、恐怖の
あまり泣かせたりしてみたいです。ほほえんだり和やかになりたいのだったら他にいくらでもいいものが世の中出回っていると思います。
書道の経験がある、というと十中八九「字がうまいんですね」と返ってきます。字がうまいという評価は書写の範疇だと思います。そしてそれは光の
部分。社会に対して前向きなポジティブな姿勢です。これと書道はまったく別ものと私は考えます。
書写の技能を高めることは対人関係を円滑にするのになかなか効果的だと思います。逆に、書道にはまると対人関係は悪化。さらには修復不可能
に発展。孤立。社会的抹殺。というケースになると思います。でもそれでこそ書道だと思いますけどね。
くどいですが、書道に笑顔は似合いません。大半の人は書写の利点を書道とダブらせて幻覚視しています。そしてそれを助長しているのが展覧会。
(展開してご覧にいれる会ですから)築40年の崩壊寸前のボロアパートの一室で、深夜2時11分に借金苦でガス菅くわえて死のうと思ったけど、ガ
ス代払ってなくて停められてた。こんなシチュエーションに書道はいくらか似合うような気がします。
光はまぶしすぎると白になり、全ての色を混ぜると黒になり、人の血は赤。書道っていうのはESなのかもしれませんね。