書感No.14

 

何度も書いているんですがここで改めて東宮の書道に対する自論をここでもう一度。

 

1.一般人に書道はできない。

2.政治家を政治屋と揶揄するように、書道家という人はすべて書道屋である。

3.書道と展覧会は合い入れない。

4.現在世間で求められているものは書道では無く書写の範疇である。

5.書道が人を作るのでは無い、人が書道を作るのである。

 

次にその根拠となる私の考えを示します。

 

1.一般人に書道はできない。

 → これまでの日本・中国における書道史を振り返ると、名筆の担い手はただの能書家にあらず。というよりも政治の第一線で活躍した政治家

  や、文人しか後世まで伝えられていない。書道に対する造詣はもとより、政治、経済、法律、絵画などの諸分野における深い知識無くして書道

  は存在しない。

 

2. 政治家を政治屋と揶揄するように、書道家という人はすべて書道屋である。

 → これはもう見ての通り。金しか頭にない。個人的には書道屋というよりもお習字屋さんのほうがより的確かと思う。

 

3. 書道と展覧会は合い入れない。

 → これは自分の頸動脈に包丁を突きつけるような発言だが、本心なのでしょうがない。書道の展覧会は入場料を取らない。何故か?

   其の一、 金を取ったら誰も来ないから

   其のニ、 会場に来る人は出品者とその関係者が大半を占めるから

   其の三、 出品者が、金を取るだけの価値がないと自虐的になっているから 

 

4. 現在世間で求められているものは書道では無く書写の範疇である。

 → 今さらいうべきものでもない話だが、改めてもう一度。世の中の99.9%の人は文字は「正しく整えて」書かれていればそれで事足りると

   思っている。だから私の母校で芸術科書道の授業は無くなった。残りの0.1%の人間はただの物好きでしかない。

 

5. 書道が人を作るのでは無い、人が書道を作るのである。

 → これは1と重なるところが多いが、やれどこぞの展覧会で入選しただの、どこぞのお偉いさんに師事してるだのといってそれで一流気取りして

   いる輩が多いので敢えてこう表現した。書道は一つの職業になりえない。書道は人格形成を担えない。担っているとすればそれは幻想である。

 

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  とまぁいつものように暴言を吐いた訳ですが、正直空しいです。大学では、書道をやっていれば時間何か忘れると思っていました。同じ道を志し

 た人たちと素晴らしい日々が過ごせると思っていました。私に知識がないのはよく分かっています。ですが今の私に欲しいのは知識ではなく知恵で

 す。自虐的になるか、開き直るか、パロディ化するしかないんですね。

 できれは結論は希望的観測のあるものにしたかったんですが、どう考えても現在の自分を否定せざるをえません。そして、現在書道に携わってい

 る多くの人たちを疑問視せざるをえません。そんな生き方はとても悲しいので、あまり公にはせずに私はひっそり暮らします。今この文章を目にさ

 れている方はどんな方なんでしょうか?もはやお笑い種にもならないでしょうか。「いやいや、書道って素晴らしいものなんだよ!」とおっしゃる方は

 ものすごい自信があるのなら私に教えて下さい。私を啓蒙して下さい。ただ、私はそうとう強いので覚悟して下さい。書道が素晴らしいというのなら

 勿論漢語くらい話せますよね?

  

  本当に切なくなってきたので今回はこの辺で。

 

 

 

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