書感No.3
みなさん、電車の中で携帯電話を使うのがマナーに反するのはなぜだと思いますか?私は携帯に向かって独り言を言うのが不気味
だからだと思っています。街中でも一人でボソボソしゃべりながら歩いている人をみたら気持ち悪いですよね。そう、独り言は変なものなんです。
それは書だって同じ事だと私は解釈しています。展覧会という開かれた場において、公然と話される独り言。しかも何を言っているのかすら
分からない極めておかしな現象です。でも身内の方々は絶賛の嵐。周りの人はチンプンカンプン。これはやっぱりおかしいです。
そんなに独り言を言いたいのなら、トイレの中とか自分の部屋で大いにやってもらったらいいと思います。「日展万歳!読売万歳!毎日万歳!」
ってな具合に。何もそれを公衆の面前でやる必要性はどこにもないです。
そもそも、芸術にとって展覧会とは何でしょうか?「ご高覧、ご批評のほどよろしくお願い致します」というのが定番の文句ですが、誰が好き好
んで自分の作品を批難されたがりますか、苦心して制作した作品なら誰でも褒めてもらいたい、認めてもらいたいというのが本心でしょう。
だからといって観客に媚びるのは駄目だと思いますよ、第一それは観客がすぐに気付くと思いますが。その逆に、ぜ〜んぶ自分よがり、
人の目なんか気にしてたまるか!オレはわが道を行くんだ!芸術とはそういうものだ!というのは私は好きではありません。そう思いたい方は
それでもちろんけっこうですが、私は嫌です。そういう方はどこか山奥にでもこもって霞を食べて生きていけばいいと思います。
話が飛躍しているようですが、人が人として生きていく以上、社会との関わり、つまり他者との関わりは避けて通れないものだと思います。そして
コミュニケーションの手段として最も身近で便利なものが言葉や文字だと思います。そういう意味において、私は書という芸術は最も実用的な、
さらに言えば最も「俗」な芸術だと思います。音楽や絵画は芸術であるが故に芸術なのではないでしょうか。書から実用性という要素を取り除き、
芸術としての芸術に純化させると、いわゆる「読めない書」になり、抽象画のようになるのはいわば当然の原理です。
私は小学校の時に社会見学で鎌倉に行き、源実朝が殺されたとされる場所に行きました。その時の感想を文章にした時に、「何とも言え
ない気持ちになりました」と書いたところ、担任の先生に、「何とも言えないんだったら書いて表現しろ」と言われました。このやり取りは今でもよく
覚えています。何でこんな昔話を取り上げたのかというと、書に携わる人は、この、「何とも言えない気持ち」を表現してなんぼのものだと思うから
です。あなたが今おかれている状況、例えば進路のこと、就職のこと、友達のこと、好きな人のこと、これらはすごい切実な悩みですよね。こういう
悩みを表現する時、ピアノを弾く人がいますか?絵を描く人がいますか?いきなり踊りだしたりしますか?そんなことやりませんよね。友達に相談
したり、手紙を書いたりしますよね。これでしょ、書の神髄は。書の原点は。別にルーズリーフにシャープペンシルで書かれていてもいいじゃない
ですか。私はそういう心のこもった書に出会えればもういうことはありません。何も展覧会に出す必要なんてどこにもないですよ。分かり合いたい
人と分かり合えればそれで十分です。王羲之の尺牘が世に出て久しいですが、羲之自身はあの世で怒り狂っているかもしれませんよ。「勝手に
おれの書いた手紙読むな!」って。
言葉や文字って人間にとっては空気のような存在だと思います。いつもそばにあるけど、無いとすっごく困るということです。確かに漢詩を草書
で書いたり、有名な古典を臨書するのは楽しいし、勉強になると思いますが、やっぱり私はあくまでお勉強、お習字だと思うんです。今の時代に
即した、ニーズに合ったものを作らないといけないと私は考えます。現代ではコミュニケーションが希薄になって、子供たちは戸惑い、大人になりき
れずに本能むき出しのままやり場のない暴力として社会に訴えかけています。そんな時代だからこそ、多少古臭くて、垢抜けてなくて、しみったれ
ていても私は心温まる作品が書ければいいと思います。
繰り返しになるかと思いますが、漢文や漢詩、篆書、隷書、草書は現代においては書の表現に当てはまらない、というのが私の現時点での
持論です。読める、読めない書というのが論議になるのもナンセンス。読めなくていいという人はよほど社会に対して斜に構えている人じゃないで
しょうか。それと、臨書についてですが、何も古典を学ぶな、ということでは決してありません。むしろ学ぶべきだと思います。しかしそれはあくまで
「今」を表現するための幅を広げるということにすぎないと思っています。
今、書に携わる人の大半は、古典を、臨書を、絶対視しすぎじゃないですか?それをやっただけで(しかも形をまねるだけで)満足し、喜んで展覧
会という名のお稽古発表会に参加してませんか?やっぱり自分で考えないと。現状を疑ってみないと。
今回自分でこの文章を書いていて、自分自身色々再発見できて、整理もできたのでよかったです。また書きます。