書感 No.7

 

  「話せりゃええやん 電話やし」っていうCMありますよね。某松本さんがやっている携帯電話のキャッチコピー。私もそう思います。また

留学ネタですが、一年中国に行って戻ってきて、みんな携帯持って腕伸ばしてパシャパシャやってる姿って中々ビビりましたよ。

  確か数年前、某auが、「携帯にカメラが付けられる!」っていうのを宣伝してて、「携帯にカメラ付けてどーすんねん」と思っていたら、今や

カメラ付きが当たり前ですよね。某docomoは、今売っている機種は全部カメラ付きでしたっけ?そのうち十徳ナイフみたいに、「携帯でコルクが

抜ける!」とかでるかも知れませんよ。「んなアホな」と思っているあなた、事実は小説よりも奇なり、ですよ。

  それで、前ふりが長くなりましたが、これを強引に書の話しに結び付けると、「読めりゃぁええやん 文字なんやし」ということになります。

読めない字を書いて適当に床の間でも飾っておくのはいいかもしれないですけど、それを全国的に広げるのはまずくないですか?ひとえに、

漢文の読解能力や変体仮名を読める人が少なくなってきているのは問題だと思うんですが、じゃあ現代において漢文、古文をやる意味って

なんでしょう?その、開き直るつもりはないんですが、私は明確な答を持っていません。

  展覧会をやるのは、自己目標の設定のためだけですか?そのためには限りなく(99.9%くらい)「文字らしきもの」、「筆と紙と墨で書かれた

抽象画のようなもの」を書いていていいのでしょうか?

  今晩のおかずを考えるのは、考えないとご飯ができず、飢え死にしてしまうからです。いささか短絡的ですけど、死活問題です。じゃあ、

「今度展覧会があるけど何書こう?」っていうのは死活問題でしょうか?別に書かなくても死にませんよね。

  これです、この視点のあり方。これこそが東宮が目指しているものです。具体的には、「もう書かないわけにはいられない!」、「この気持ち

を表現しなけりゃ気がすまん!」そういう気持ちを素直に飾らず表したいのです。

  そうして、そういう書は正直いって展覧会向けではありません。展覧会場というのは、不特定多数の方に見ていただくので、ある程度万人

向け、エンターテイメント性が必要になってくると思います。これは媚びるということではなく、必要最低限の事柄だと思ってます。ですが、これは

はっきりいって東宮にとっては妥協です。妥協ですが、自分の力が試されるいい機会にはなると思います。展覧会というものに対する考え方は

まだまだ模索しているので、また考えが変わったらお伝えしたいと思います。

  何回もいいますが、これは東宮の独断と偏見によって作られてる唯我独尊ページです。その中で勝手に発言していることなので、読んで

いただいている方を傷つけるとか、洗脳しようとかいう意志は毛頭ありません。ただ、「へー、東宮ってやつはこんなこと考えてんだ」くらいに

受け止めて下さい。

  そんなあなたに私からの質問というか投げ掛けなんですが、

  1.「あなたにとって書はなんですか?」

  2.「書の魅力、美しさ、芸術性ってなんですか?」

  3.「筆を持つ意味ってどこにありますか?」

  私の答えは、1.「生活の一部。決してすべてではない」 2.「人の生きざまを垣間見れる点」 3.「ない」 という感じです。あなたはどうですか?

 

 

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