書感 No.8

 

  今回は先日拝見した文魚氏の作品に私がいたく感動したのでそれについて書きたいと思います。

元々氏の作品は前からすごく惹かれていたのですが、この作品は特に私の心をつかみました。どのような心境を表現しようとしたのかは当事者

でない私には分かりません。ですが、私の脳裏には、「活字との共存」という言葉が浮かびました。

  別の章で、「筆を持つ意味はない」と書きました。今でもないと思ってます。少なくとも人間が最低限生きていくためには。筆を持つのは、もはや

筆記具としてではなく、有閑者の戯れ事としてのみ存在していると考えています。ですが、それがいわゆる文化であり、伝統であり、そして平和な

ことなのではないでしょうか。戯れ事というとあざ笑うような表現なので言い換えれば心に余裕がある状態、でしょうか。

  人間は世の中のことを知りすぎてしまった気がします。火を自在に操れ、ゼロを発見したあたりで実はもう十分だったのではないでしょうか。

新幹線や、携帯電話や、月に人類が行くことに果たして意味はあったのでしょうか。人は貪欲な生き物で、限りなく上を求めます。現状に満足

しない、というと聞こえはいいようですが、それを進歩と呼べるかは個人的には大いに疑問です。

  いわゆる書道界の方々は、ワープロを嫌い、手書きの大切さを説きます。ですが現状としては活字のほうが手書きより権威を持っています。

公文書がいい例です。直筆で書くのはせいぜいサインのところだけです。この現状を把握し、直視したのが文魚氏の作品だと私は思います。

石川先生がすでに使われている表現だったかも知れませんが(捉え方は違います)、書はすでに死んでいると私は思います。私たちができること、

しなければならないことは、その死した姿を嘆き、悲しみ、畏れおののき、ひざまづくことではありません。継承すべきは姿ではなくその精神です。

  文魚氏の作品からはこのような、書のこれからを切り開く一つの道しるべになったように思います。やたらと賞賛しましたが、別に誇張している

わけではありません。素直に「いい」と思ったので書かせてもらいました。この作品もさることながら、氏の純朴な人柄には常日頃から尊敬の

眼差しでみています。「おれは汚れているなぁ」と氏の言動を目の当たりにするといつも思ってしまいます。同じ学年、同じG類でよかった〜。

 

 

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