イギリス経験論

 西田の学生達はみんな「純粋経験(ピュア・イクスピリアンス)」というわけが分からないけれど、どこか魅惑的なターム(用語)に苦悩したんです。「苦悩する」というのはドイツ語で「ライデン」といいます。苦悩することによって情熱(パッション)が湧いてくるんです。だからドイツ語では「情熱」を「ライデンシャフト(苦悩すること)」と言うのです。「ライデンからライデンシャフトへ(苦悩から情熱へ)」ということです。
 西田は「純粋経験」という言葉で学生達を苦しめたんです。苦しめる事によって彼らの情熱(パッション)を引き出したんですね。諸君は大学でいろんなわけの分からないタームにぶつかって、苦しんでいますか、苦しんで、苦しんで、なにくそと思って、情熱を燃やして学問しているでしょうか。難解な用語が出てきて、講義を聴いてもよく分からない場合、どうしていますか。講師の説明が悪いなんて腹を立てて、それでおしまいなんてことはないでしょうね。分からなかったら、徹底的に食い下がって質問しなきゃね。それでも分からないと、自分で関連の書物に当たって調べるんです。書物には書いてないこともあるかもしれません。自分の体験と突き合わせたり、瞑想したり、苦しみぬいた挙げ句に掴めたタームは、生きたタームとして、その人の人生に大きな力になるんです。
 西田は『善の研究』(岩波書店『西田幾多郎全集』第一巻)の「序」で「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」(4頁、なお引用に際して漢字は常用漢字に改めた)と動機を語っています。この考えは、経験を元にして世界をすべて説明する経験論の立場を純化して、「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明」しようというわけですから、まずイギリス経験論の立場を理解しておくべきでしょう。
 イギリス経験論を確立したのは『人間悟性論』のジョン・ロック(1632〜1704)です。法学部や社会学部の皆さんにはおなじみの社会契約論の代表者でホッブズ(1588〜1679)、ロック、ルソー(1712〜1778)の、あのロックです。彼は「あらゆる観念は経験から」と主張しました。つまり人間の持っている全ての観念は、経験を類別した結果、生み出されたものだということです。ですから生まれつき持っている先天的な観念などはない、だから「生まれつきは白紙(ホワイト・ペーパー)だ」というわけです。
 この立場は、あくまで実験・観察の結果に基づいて正しい観念や法則を打ち立てるべきだということです。ロックは、『ノヴァム・オルガヌム(新機関)』で有名なフランシス・ベーコン(1561〜1626)の新しい帰納法の立場を継承しています。新しい帰納法とは、人間が陥りやすい四つの偏見「四つのイドラ(偶像)」を退け、「三つの表」に基づいて観念や法則を樹立すべきだということです。
 「四つのイドラ」とは、1.人間という種族が陥りやすい割り切れる形で事象を捉えたり、自分の都合に合わせて解釈したりする「種族のイドラ」、2.個人の体験によって植えつけられた固定観念や思考法で捉える「洞窟のイドラ」、3.言語を使用することで陥る思い込みである「市場のイドラ」、4.権威ある学説を信じ込むことからくる思い込みである「劇場のイドラ」です。この四つのイドラを退けた上で、「三つの表」つまり 1.肯定的事例をすべて集めた「存在の表」、2.否定的事例をすべて集めた「欠如の表」、3.ある条件では当てはまるが、それ以外では当てはまらない事例をすべて集めた「程度の表」を作成して、そこから観念や法則を確立するべきなのです。ベーコンは、そうすれば自然を人間にとって有用な目的に利用できるようになるとし、進歩の方法を示したわけです。これを「自然は服従することによって、征服することができる」と表現しています。

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