バークリー唯心論とヒューム懐疑論

 イギリス経験論も新しい帰納法で法則的な認識を確立しようとしたのですが、ロックの「すべての観念は経験から、生まれつきは白紙」という立場は、経験にすべてを還元しようとする経験主義を発達させます。この立場がデカルト的な主観・客観認識図式の固定化を批判する立場を生むのです。ロックの「すべての観念は経験から」という言葉を突っ込んで考えますと、知覚に基づく経験なしに事物の観念も生じないということになりますね。そこでバークリー(1685〜1753)は、「存在することは知覚されてあることである」と、唯心論の立場に達したのです。つまり意識の外部に客観的な事物がまずあって、それが知覚されるのではないというのです。逆に知覚の内容を反省する事によって、客観的に事物が存在すると考えているだけだということです。知覚の連鎖が世界を構成しているのだとすれば、その知覚を呼び起こす原因として客観的な事物が存在すると考えて説明するのは、一つの世界解釈に過ぎないということです。知覚や経験それ自体が存在だと直接的に受け止めてもいい筈だということなのです。でもどうして様々な種類の知覚像が現れ、それが様々に変化するのか、その原因となるものが必要です。バークリーにすれば、それが神だということになるのです。
 ヒューム(1711〜1778)もロックの「すべての観念は経験から」を受けて、客観的事物の法則性や存在は、既成の経験から蓋然的に帰結されたものに過ぎないと気づいたのです。ですからひょっとしたら、経験の仕方が突然変化してしまうかもしれないのです。そこで「明日の朝、太陽が東から昇とは限らない」とも言えるのです。それで彼は『人性論』で徹底した懐疑論を唱えたのです。

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