『善の研究』の「序」に「『善の研究』と名づけた訳は、哲学的研究が其前半を占め居るにも拘らず、人生の問題が中心であり、終結であると考へた故である」とあります。確かに『善の研究』よりも『純粋経験』と名づけた方が相応しいような「第一編 純粋経験」「第二編 実在」の内容です。でもね、純粋経験論もそれが「肝心なことは、ただ生きることではなく、より善く生きることである」というソクラテス(紀元前470?〜紀元前399)の問題意識に連なっていることに注目すべきなのです。
ソクラテスは、それまでの古代アトム論を唱えたデモクリトス(紀元前460頃〜紀元前370頃)などの自然哲学が独断論に過ぎないことに気づきました。ギリシアの哲人たちはそれぞれ自分で作り上げた原理に基づいて、別々の真理体系を築き上げていたのです。どれも一応筋は通っていて、なるほどと感心させられますが、どれか1つが正しければ他はみんな間違いでなければなりません。しかもその内のどれが正しいかを実証することは不可能なのです。そこでソクラテスは、自然哲学なんかに関わっていてもらちがあかないと思ったんでしょう。アポロン神殿の標語「汝自身を知れ!」から啓示を受けます。啓示というのは突然、何かを見て、魂がうち震えるような衝撃と共に真理を悟ることです。それで超越者が真理を示されたとしか思えないことです。「そうだ!そんなことより、より善く生きることについて考えるべきだ!」と気づいたんです。
これを「魂(プシュケー)への配慮」と言います。「プシュケー」というギリシア語は「魂」とも「生命」とも訳すことが出来るんです。つまり古代ギリシアの人々にとってはは、魂と生命とは同じ意味で、区別がなかったんです。「魂=生命(プシュケー)への配慮」とは、ですからどう生きたらよいかを吟味するということだったんです。プシュケーは頭の部分は理性です。つまり頭に生命が入って働くのですから、理性です。胸に命が入ると気概で、腹に命が入ると欲望です。それぞれの徳ですが、理性の徳は智恵、気概の徳の勇気、欲望の徳は節制です。そして理性が気概や欲望を程よくコントロールできると正義の徳が発揮されるわけです。智恵・勇気・節制・正義の4つの徳は「ギリシアの四元徳」と呼ばれてきました。
この四元徳に関してだれもほんとはよく分かっていなかったのですが、賢人と呼ばれていた人達や「徳の教師」を自認していたソフィスト(智者)たちは、自分の狭い経験を絶対化して、なんでも知り尽くしているのように独断的に振る舞っていたのです。ソクラテスは、これらの徳についてはよく分かっていないことを認めていたのです。知ったかぶりをしている人達は、自分の見解を押しつけようとします。それではみんなが納得して、より善く生きることはできません。独断的な知を退け、無知という共通の土俵の上で、対話によってみんなが納得できる普遍妥当的な知を積み上げようとしたのが、ソクラテスだったのです。
対話を通して、「無知の知」に到達させる「無知の知」を産む産婆術の中身は次のようなものでした。独断的な知は各人の狭い体験を無理に普遍化したものですから、必ず論理に飛躍があって、そこを対話で衝いていけば、相手は自己の論理矛盾を認めざるを得なくなります。それで自らの無知を承認するわけです。でもソクラテスはそれに対して正しい知を用意できているわけではないんです。両方とも無知だと分かるだけですね。
西田哲学との関連で言えば、ノエマにノエシスを対置するやりかたです。つまり賢人達は、徳を名詞化し、あれこれの述語を与えて定義してしまいます。つまりノエマ的に対象化するのです。例えば「智恵とは何か」という問いの答えは、「智恵とは○○である」となります。それぞれの体験から「智恵とは、違いが分かる能力である」とか「困難にぶつかったときに巧みに切り抜ける能力である」とか「だれよりも早く計算の正解を出す能力である」とかと答えられますが、どれも一面的ですから、どれも不十分ですね。
しかし「智恵」とはノエシス(作用面)で捉えますと、「理性を最大限に活用して生きる働きです。」しかし「理性」という言葉は既に「智恵」を含んでいますから、十分な定義ではありません。問題は巧みに「智恵」を定義することではなくて、どうしたら「理性を最大限に活用して生きれるか」ということです。それは他人の体験も含め、自らの理性的な経験を反省し、より善く理性的に生きることです。つまり「経験」の問題になるわけです。「善」というものノエシスとしては「善く生きる」ということに他ならないのです。