倫理学説その二、権力説

 道徳的に行動する場合、我々は自己の快楽や満足に従って行動することを抑制しなければならないことが多いですね。厳粛な命令が下って、それに従っているような気持ちになります。そこに着目して、道徳というのは外的な権力や権威に従うところに発生するという倫理学説が権力説なのです。この権力を神が持っているとする場合が神権的権力説で、君主が持っているとする場合が君権的権力説です。
 西田は神権的権力説の代表者にドゥンス・スコトゥスをあげていますが、『バイブル』や『クルアーン(コーラン)』こそがその典型です。神の命令は善だから下されるのではなく、神が下された命令だから、その命令が善に成るのです。有名なのが「アブラハムの信仰」です。彼は百歳になって授かった世継ぎの子イサクを神に犠牲として奉献するように命令されます。普通なら神に交渉して命乞いをお願いするところですが、アブラハムは神がそれを望まれるのなら、それは息子にとっても素晴らしいことに違いないと、進んでその命令に従おうとしました。つまり息子を殺して焼き尽くす捧げ物にしようとしたのです。これは実は神のテストだったので、このテストにアブラハムは見事合格です。それで神は天使に命じて、息子を殺す直前に天使に止めさせました。この信仰は無条件に神に従うという信仰で、「絶対帰依(イスラーム)」と言います。イスラム教はこのアブラハムの信仰を見本にしているのです。
 この絶対帰依の論理を徹底しますと、もし神が全人類を絶滅させる命令や全宇宙を消滅させる命令を下されるとしますと、その命令を実行することが善だということになります。神は愛であり、善の塊みたいなものだから、そんな悪逆非道で残虐無慈悲なことをなさる筈がないという考えは甘いのです。だってより素晴らしい創造の為に、罪深い世界を清算されるとしたら、それこそ神の大偉業であり、愛の営みということになります。そしてその営みに参加して大審判の手伝いをさせていただけるとしたら、それに優る神聖で名誉なことはないわけです。
 オウム真理教では、麻原彰晃は破壊神であるシヴァ神の化身です。麻原の命令で人類救済計画の一環としてサリンを散布することは、神聖な愛の実践に他ならないということになります。それに巻き込まれて死んだ人は、麻原の理屈では、「シヴァ神にポアされてよかった」ことになるのです。お陰で魂はより高い境涯に送られるとされているからです。ですから噂によりますと、オウム真理教の信者の中には、自分が神聖なサリン散布役に指名されなかったことに不満だった人もいるということです。
 宗教的権威の束縛から脱出した近代主権国家は、主権者の命令に善悪の基準を置くわけです。西田は君権的倫理学説の代表にホッブズを置いています。
 「ホッブズに従へば人性は全然悪であつて弱肉強食が自然の状態である。之より来る人生の不幸を脱するのは、唯各人が凡ての権力を一君主に托して絶対にその命令に服従するにある。それで何でもこの君主の命に従ふのが善であり、之に背くのが悪であるといつて居る。」
 ホッブズの人性論は、必ずしも性悪説ではありません。各人が自己の欲求を満足させようとして、自己の利害の拡張の為に戦うことは少しも悪ではないのです。何故ならホッブズは自然権の根本に先ず自分で生きる権利、即ち自己保存権を置いています。自己保存の為に必要ならば、他人を殺したり、他人の物を私物化することも正当だと言うわけです。自己保存という最高目的にとって必要な行為ならば、普通悪とされる行為でも、その限りで善だということになります。
 でもそれを放置していますと、「万人の万人に対する戦争状態」に陥り、共倒れは避けられません。それで人民は、社会契約によって主権者との代理契約を結ぶのです。社会における全ての社会的権限を代理人に永久に譲渡する代わりに、身体的安全を保障してもらう契約を締結してあるのです。もしこの契約を破りますと、元の「万人の万人に対する戦争状態」に逆戻りですから、この契約を忠実に守って主権者に服従することが善であるという説になっているのです。又主権者は人民との永久代理契約に基づいて、権力の意志を法律化してそれを遵守させる権限を持っています。この法律に従う事は善であり、背くことは悪なのです。
 西田は、利害得失や恐怖から権力に従うべきだとホッブズが説いていることに対して、それでは純粋な権威説を離れていると指摘していますが、元々ホッブズは自己保存論として功利的に議論しているのです。その意味では純粋な君権論ではありません。西田によりますとキヒルマンという人が、絶大な勢力を持つ者に接するとき、その力に圧倒されて驚きの心が生まれ、その感情が尊敬になって、その命令に服従すると権威説を説明したそうです。しかし外的な力に圧倒されて従うところに道徳性を求めるのは一面的です。やはり「人性自然の上に根拠をもつた者」として道徳を捉えるべきだと、西田は主張します。

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