和の論理について

 「批判仏教」のひねくれぶりを最もよく示しているのが、厩戸皇子(聖徳太子)の『十七条の憲法』の和の論理を批判しているところです。私はまだ納得していませんが、厩戸皇子については実在をめぐって、各方面から大きな疑義が出されているところです。袴谷も『十七条の憲法』をそれが記載されている『日本書紀』の編纂過程で捏造されたものと見ています。この捏造に思想的影響を与えたのが新羅の学僧元曉だと、袴谷は『批判仏教』二八六〜二八七頁で指摘しています。
 袴谷によりますと元曉は極端な折衷主義でして、二説が対立して争っていますと、両方の説をうまく折衷しようとしたようです。「衆典の部分を統べて万流の一味に帰し、仏意の至公を開いて百家の異諍を和す」という「和諍」思想で有名だったそうです。現象である「事」については、様々な見方は別れて対立しても、一つの「理」の現れとすれば、「百家の異諍を和す」ことができるということです。このように「理事」と「和諍」をあらわに結託させたのが、元曉の特色なのです。袴谷にすれば、そのような「理」は基体としての原理であり、如来蔵思想、本覚思想だということになり、したがってそのような理に無理やりまとめあげようとする「和諍」思想は、仏教にあらずということになります。では『十七条の憲法』ではどうなっているでしょう。
 「一に曰く、和を以て貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ。人皆党有り、亦た達者少し。是を以て、或いは君父に順わず、乍た隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧えぬれば事と理と自ら通じ、何事か成らざらん。」  議論がまとまらないのは、喧嘩腰で相手をやっつけようとするからです。国民の福祉などの共通の目的があって、その実現のために協力しあっていこうという姿勢があれば、和やかに話し合い、智恵を出し合い、互いに相手の話をよく聞けば、自ずから話がまとまるものだということです。その際、自分だけが偉くて、相手が愚かだと決めつけていれば、自分の議論の誤りに気がつきませんし、相手の議論の正しい面も評価できません。そこで「我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚にあらず、共にこれ凡夫のみ」という「凡夫の自覚」を説いているのです。
 確かに共通の理念の共有を前提にしていて、はじめて「事と理と自ら通じ、何事か成らざらん。」と言えるわけですから、これが天皇中心の中央集権国家の形成という理念の強制下での議論だと想定していますと、和と言いましても、「詔を承りては必ず謹め」という枠内での事にすぎません。その意味では体制を根底から否定し、問いなおすような批判はできないようになっています。批判仏教がこの「和」の思想を「批判」への封殺体制とみなすのもある程度理解できます。
 とはいえ豪族連合国家から律令国家への移行という歴史の中で、豪族の勢力争いの場から、理に基づく議論の場に朝廷を変えようとする姿勢が『十七条の憲法』には伺えます。共通の理念の下での議論ですと、発言者は自己の背後の勢力の大小と係わりなく発言することが可能になるのです。特に仏教ですと、凡夫という対等性を打ち出せますね。そこに勢力は弱くても有能で理想に燃える下級貴族の智恵も動員して、新しい国造りをしようとする菩薩太子の姿勢が明確に打ち出されています。批判の封殺を狙ったというよりも、有力な豪族の力を恐れて発言できなかった下級貴族も堂々と発言できるようにすることが狙いだったのです。そういう『十七条の憲法』における「和」の論理の進歩的性格を肯定的に評価することも大切ではないでしょうか。
 もちろんこれまでに対外的な排外主義や侵略を対内的な「和」によって支えたり、合理化したりすることがありましたし、権力者が人民に「和」を押しつけて批判を封殺するのに使われることもありました。しかしそれでも和を大切にすることが間違っているのではありません。権力者が和の成立する基盤を破壊した事が問題なのです。もし天子が衆生済度(生きとし生ける者を救おうとされること)を願って菩薩となり、全ての人民が幸福になれるように協力し合うことができれば、それに越したことはありません。
 厩戸皇子の時代は、イデオロギー的に天子が菩薩になることが求められていた時代だったのです。そしてその下で和の論理でまとめあげることが、たとえイデオロギー的な擬制に過ぎないにしろ行われたのです。『十七条の憲法』はその表看板の役割を担っていたといえます。たとえ看板にすぎなくても、そこに書かれていた内容そのものは、「和」の論理として現代にも通じる普遍妥当性を持っています。
 袴谷は「和」の論理に「批判」の論理を対置します。彼に言わせれば、「批判」の論理こそが仏教なのですから、批判を封殺し、対立を隠蔽して形而上学的な原理に帰一させようとする「和」の論理は反仏教的だということになるのです。もちろん批判によって体制の矛盾を暴き、糺していくことは大切ですが、その際に共有できる理念がなければ和が成立しなくなり、敵対的な闘争になりかねません。歴史は革命や戦争を繰り返し、大量の血を流してきました。そのことによって学んできたのは、平和や人権の尊重を共通の理念にして、その上で建設的に対話することです。対立や闘争も生命や人権を損なわないことを共通の土俵にすべきです。そういう「和の論理」を形成する上で『十七条の憲法』は、先駆的意義を持つものだと高く評価できるのです。
 袴谷は真理を信じる「信」の立場にたって、誤った議論を言論で批判することに仏教の真骨頂を見出していますが、何が真理かという場合に縁起や空を持ち出して、それ以外の立場をラジカルに批判することが真理だと言われているような印象を受けます。縁起や空の立場が大変深く、素晴らしいものであることは認めますが、物事は様々なパースペクティブから捉えられるものなのです。いかに一つの論理が素晴らしく感銘を受けても、だからといって、他の捉え方は全面的に否定し、批判すればよいというものでもありません。やはり相対立する議論は、双方に真理と誤謬があるのであって、弁証法的に率直に誤りを指摘しあい、正さを補い合って、高め合う対話の精神こそ求められます。その意味で「和」の論理は捨てがたいのです。

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