働くものから見るものへ

 しかし意識がそれぞれの個人において現れるということ、だから個人がそこにおいて意識が現れでる場所だということは、分かり切っていますね。何故そんなことが問題にされるのかと反発されそうです。それは実在についての捉え方の違いからくるのです。世界を諸事物の運動および関係としてだけ捉えていますと、意識は諸事物とは区別されたそれを写す映像だということになり、実在それ自体ではなくなります。そういう意味では、意識がそこに於いて現れる場所は、実在の現れるトポスに相応しくありません。
 西田のように意識経験を実在と捉えるとしますと、諸事物は経験のノエマ化に過ぎません。経験が行われる意識経験の場所こそ実在の現れるトポスであるわけです。しかしではそれを意識を統一する意志や、意識を自己自身として捉える自覚や、絶対自由意志として捉え返すだけではどうして足りないのでしょうか。
 我々は何ものにも囚われない自由な意志として行動し、自らに忠実に生きるべきだという思いを抱きますが、しかし自分が自由な意志だと思っているその意志も、自らの根底にある大いなる力や生命から規定されているわけです。マルクスはそれを社会的諸関係に限定して、唯物史観を打ち出し、「存在は意識を決定する」と表現しました。勿論西田は、もっと根源的な生命の自己限定として意識の現れる場所を考えていました。何に感じ、何に揺り動かされ、何を目指して行動するのかは、意識経験が現れる場所によって限定されているのです。
 それではこの場所はどうして「無の場所」とか「絶対無の場所」なのでしょうか?諸個人は具体的な身体的存在としては「有」ではないでしょうか?いえ、別に時間空間的に身体として存在しているかどうかで、有無を言っているのではありません。また身体において生じる意識は、その身体が置かれている環境や「大いなる生命」によって生じているのです。そして意識現象として現れる、「事物としての有」や、「意識としての無」などから、それらがそこに於いて生じるところの「場所」は絶対的に区別されているという意味で、「絶対無」なのです。ですからそこに働く意志は、何ものにも囚われない「絶対自由意志」に当たるのです。しかしそれは同時に根底的な生命の意志でもあるのです。
 西田は西田哲学の誕生とされた画期的な論文「場所」とその前後の諸論文を収めた著書に、『働くものから見るものへ』(一九二七年刊)という書名を付けました。これは彼の哲学の立脚点が、「自由意志」という「働くもの」から「場所」という「見るもの」へ移ったということなのです。
 純粋経験は主客未分化ですから、ありのままでそこに何ら主観の意志が働かないように受け取られがちですが、西田は純粋経験こそ統一された意識であり、この統一の働きが意志だと考えました。そして意志のノエマ化として自我を捉えたのです。こうして意識は意志によって統合されたものとして自我の働きとして捉え返され、フィヒテのように自我の体系として世界を捉えるような主意主義的な展開になり、「絶対自由意志」の立場に到達したのです。
 しかし世界を働くものとしての意志が獲得するには、意識経験として現れる内容を自己自身として素直に受容しなければなりません。意識の統一は意志が行っているにしても、意識の内容を個別的な意志が恣意的に決定できるわけではありませんから。その為には、自己の内容を自己自身の内に映し出すところの「見るもの」の立場に立つ必要があるのです。これが意識経験がそこに於いて現れ出る「場所」に他なりません。
 意志も意識経験とは別にあって、意識経験をする主体ではありませんでしたね。意識経験自体の自らを統一する働きでした。これをノエマ的に対象化して捉え返したのが主体としての自我でした。それと同様に「場所」も意識経験とは別にあって、意識経験がそこに生じるわけではないのです。西田はあくまでラジカルな経験主義なのです。ですから「場所」も意識経験それ自体が自己をそこに於いて見る意識に他ならないのです。しかし意識としては事物的な有の意識でも、意識的な無の意識でもないわけで、場所を意識として捉えた時は、それは「絶対無」の意識でしかないわけです。この絶対無に自己の意識を置いた時に、意識内容として現れる世界がそのまま自己自身として素直に見えてきます。これが「物になって見、物になって考える」ということです。
 具体的に場所の論理である「述語論理」や「繋辞論理」については次回に検討します。そこに入る前提がやっと解明できたというところでしょうか?現在の代表的な西田哲学研究家の上田閑照でさえ、西田哲学は読めば読むほど分かりにくさが深くなるという趣旨のことを言っています。わたくしはそれを全くの哲学の初歩の学生にも分かりやすく説明してみせると、見えを切ったのですが、実際上田の言葉の真実の方に圧倒されています。それでも西田哲学の分かりにくさを含めて、分かりやすく説明するためになお悪戦苦闘のドッキュメントを続けたいと思います。

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